使わないのに飾ってるのはなぜ? ― グッズを並べる私たちの静かな理由

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 「どうしてグッズを飾るの?」ーこう尋ねられたことはありませんか?

 買っただけで満足。開封することなく、箱のまま棚に並べる。

 人によってはそれを、「もったいない」「意味がわからない」と言うけれど、あなたは分かっているはず。

 飾ることにはきちんと意味があるのだと。

 この記事では、グッズを「使わず、飾るだけ」にとどめる我々ヲタクの行動について、その奥にある心理や感覚を掘り下げようと思います。

そこに“いる”だけで、安心する

 自宅に迎えたグッズを、棚やデスクの上に並べる。そこに特別な理由はないものの、なんとなく視界の中に置いておきたい。そう思うことはありませんか?

 たとえば疲れた日、目が合うわけでも、何かを話しかけてくれるわけでもありませんが、推しのアクリルスタンドを見るだけですこし、呼吸が楽になる。

 そんな感覚に心当たりがある人もいるかもしれません。

 それはきっと、そこにいてくれること自体が安らぎや安心につながっているからではないでしょうか。

 使わない。触れない。しかし、大切にしている。

 「ただ飾っているだけ」ーそう見えるその行為が実は、静かな感情の支えとなっていることがあります。

「使わないの?」にうまく答えられない理由

 「それ使わないの?」「開けちゃえばいいのに」

 未開封のグッズを棚に並べているのを見て、こんな風に聞かれた事がある人もいるかと思います。

 発言者の多くは、悪気があるわけではないのでしょう。

 けれどその度に、うまく言葉にできずもやっとした気持ちだけが残ります。

 なぜなら我々にとっては、”飾ること”が既にゴールですから。迎えた瞬間から、本来の使い方をせずとも役目は果たしています。

 その姿がそこにあること。それだけで十分なのです。使わない=大事にしない。そうではありません。

 この感覚を持たない人に対し、言語だけで説明するのは骨が折れます。でもわかる人にはよくわかる。

 たとえば神棚に手を合わせることや、自分のために花を生ける行為に似ているかもしれません。

 誰に見せるわけでもなく、自分が過ごす空間を整えることで、自分の心に静かな秩序を生み出す。

 飾るという行為は、何かを祈るでも、誰に見せるでもなく、”この場所にいてほしい”という願いを形にしたものではないでしょうか。

 それは、生け花が「活けられた瞬間」に完成するように、グッズもまた、飾ったときに我々の感情の一部になるのです。

飾ることでなにが満たされるのか

 グッズを飾るのは、満たされない気持ちの裏返しなのかも知れません。

 それは、目立ちたがりなわけででも、誰に見せびらかしたいわけでもない。

 むしろ誰にも邪魔されず、自分の感情を整えるための行動に近いものです。

 たとえば、整えたグッズ棚を前に深呼吸するとき、「あぁ、自分の空間に帰ってきた」とホッとする。

 それは、混乱した心の輪郭を取り戻すような感覚に似ていませんか。

 飾ることは、単に趣味やコレクションにとどまるものではありません。日々の中で自分を支える「静かな習慣」でもあるのです。

「それって変かな」の答えは、既に決まっている

 グッズを飾るだけなのに、「こんなことで満足する自分はどうなのか」と思うことがあるかもしれません。

 周囲に同じような人がいなかったり、誰かに言われた一言が気になったり。

 けれど、思い出してください。

 そのグッズはあなたに、安心をもたらしてくれるものだったはず。静かに寄り添い、支えてくれる存在だったはずです。

 「飾るだけ」といいますが、それは決して中途半端な愛し方ではありません。自分の心を守る方法のひとつなのです。

 だから、飾ることを辞める必要はありません。

 未開封でも、未使用でも、そこに”いてくれる”ことできちんと役目を果たしている。

 あなたがそうする理由は、きちんと意味がある。

 もしも誰かに聞かれたら、こう答えるといいでしょう。

 「これが私にとって、いちばん大事な形なのです」と。

平成弐年式、やぎ座のO型。 ふだんは行政書士事務所の代表、根暗をやっています。

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