バラと牛乳と、わたしたちの家族:あたしンち劇場版に泣かされた夜

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 私は、「あたしンち」を毎日観ている。食事の支度中、あの家族がいつもいる。

 今日、「劇場版あたしンち 情熱のちょ~超能力♪母 大暴走!」を観て、いつもと同じ光景に笑いながらも、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

 母が変身し、バラが咲く。そのどれもがさみしさを抱えていて。

 調子に乗る母、怒るみかん、間に立つ父、困るユズヒコ。

 それは日常の延長のようでいて、気づけば「家族とはこういうものなのか」と考えさせられる。

 鈍く痛み、どこか懐かしい時間だった。

 今回は、いつもの”あたしンち”と少し異なる本作が見せた家族の矛盾と、その構造の描き方について書きたい。

母と娘はぶつかるが―

 本作のうち、印象的な朝がある。

 母が夜中に家を抜け出し、不良を”成敗”したうえ、自らの超能力を使って彼らの落書きを掃除した。

 その結果、夜が明けてしまったお母さんを待ち受けていたのはみかんだった。

 「なんで勝手なことするの!」
 「朝帰りなんて信じらんない!」

 次々と投げつけられる怒りの言葉。

 けれど本当は、みかんは怒っていない。寂しかったのではないか。

 自分に黙って外に出ていたこと、何もできず心配するしかなかった夜を。そして何より、自分の知らない場所でお母さんが何かをしていること。

 彼女はこれらの気持ちを、「怒る」という形でしか出すことができなかった。

 その結果、「お母さんがそのつもりなら私だって!」と思ってもいないことを口走る。

 高校2年生のみかんにとってはそれが精一杯の感情表現だったのだろうが、自分の存在価値を認めてほしい母に届かず彷徨うこととなった。

沈黙は「逃げ」ではない

 口論の最中、みかんは言った。

 「お父さんがどれだけ心配していたかわかっているのか」と。

 しかし、その言葉を聞いているお父さん本人は何も言わなかった。困ったように、ただそこにいる。

 普段ならぐっすり眠っている時間に、ずっと起きて帰りを待っていたのに。

 このシーンが心に残ったのは、お父さんがどちらかを肯定しようとしなかったからだ。

 みかんはただ、怒っているのではない。

 「なぜ心配させるのか」という気持ちを父の名に託し、ぶつけたのだ。

 自らの言動を母を責める形にされた父はただ、沈黙として引き受けていた。

 彼が何か言えば空気は変わっただろうが、それをすればどちらかを否定することになるだろう。

 だから黙って、そこに据わっていたのではないか。

 家族の中で何も言わぬことは、逃げではない。お父さんは単なる”寡黙な人”ではなく、家族のバランスを支える空白の芯なのだ。

ちゃんと見ていた

 この朝、終始沈黙していたのは父だけではない。ユズヒコもそうだ。

 みかんが怒鳴り、母が言い返し、父が沈黙を守る中で、ユズヒコはひと言も発しなかった。

 しかしそれは、何も考えていないからではない。むしろ彼は、いつも家族の全体を見ている。

 あたしンちという物語において、ユズヒコの立ち位置は絶妙だ。

 自分から積極的に場を動かすことはあまりないものの、みかんの言い分に頷き、母の言葉に首を傾げ、小さな仕草で今の空気を読みながらバランスを保っている。

 集団の中に1人はいる空気を壊さない存在。

 このような存在は、責任を問われることは少ないが、誰からも真正面で受け止めてもらえないことがある。声を上げないことがそのまま「無感情」なわけではないのに。

 けれど、本作での彼はヒーローだ。

 みかんが怒りに任せて部屋を飛び出そうとしたとき、母の力が暴走し、家族や家具が宙に浮かんで大混乱となる。

 その騒動を止めたのは、他でもないユズだった。

 父の足を掴み、ジャイアントスイングのように回して母に投げつけ、「これがホントの投げキッス」―。

 シリアスな場面がギャグに寝返り「ふふふ」と笑ってしまったが、家族を現実に戻す大事な一撃だったことに違いはない。

 ユズヒコという存在は、立花家最後の調整役なのかもしれない。

家族と社会での立場

 本作の中で、人の役割について考えさせられるシーンがある。

 たとえば、お母さんの場合。家庭内では太陽のような存在で、誰より行動的で感情がストレート。けれど、一歩外に出た途端、大人しくなる。

 超能力を手に入れ社会の役に立とうとしたのに、家族からは「外で超能力を使うな」と規制される。「母親はこうあるべき」という圧力と、母自身がもつ”期待を裏切りたくない”気持ちの板挟みが垣間見える。

 そして、お父さん。家では何もしないように見えるが、いざ「お父さんが心配していた」と引き合いに出されただけで、言葉に重みが出る。普段の沈黙の価値がここで発揮される。

 みかんは感情の矛先を間違えることもあるが、誰より家族の動きを察しており、母を”止める”役割を無意識に引受けている。その立ち回りは、反抗期の娘というひと言で片づけられることもある。

 ユズヒコの場合、何もしていないように見えるが、肝心な場面では誰より気転が利く。

 家庭内における役割と価値と、社会が与える評価とはまったく異なる。

 声を出した人、動いた人、見ていた人、支えていた人。

 それぞれが確かに何かをしているのに、ラベルを貼られた瞬間に歪む。

 あたしンちはそれを、笑える形で見せてくれることも多い。そのうえで、自分も誰かをそんな風に見ていたのではないかと気づかせてくれるのだ。

 おわりに:矛盾だらけ、それが家族なのかもしれない

 母が夜中に抜け出し、みかんが激怒し、父は黙り、ユズは投げキッスを仕掛ける。

 家族全員がちぐはぐで噛み合わず、しかしどこかではきちんと繋がっている。

 本作を観て笑い、何だか泣きたくなったのは、「家族はこんなにもぶつかって、それでも一緒に生きている」ことに気づいたからだと思う。

 怒って、泣いて、笑って、バラが咲き、牛乳を流し込む。そして最後には「おかえり」と「ただいま」がある。

 家族は、うまくいかない。だが、うまくいかないからこそ誰かが踏ん張り、黙って見守り、ふざけ、笑い合いながら元に戻る。

 あたしンちはそれを、「超能力」として描いた。

 とんでもない設定だが、私たちが忘れているふつうの家族のリアルが生きていた。 

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【レビュー】生ごみが臭わない暮らしへ|loofen生ごみ処理機を使ってわかったこと

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「またコバエ…」そんな日常とさよならしたくて

 ゴミ箱の蓋を開けた瞬間、鼻をつく悪臭と飛び交う小バエ。こまめに捨てているのにどうして?と思うことはありませんか?

 私も、そうでした。

 しかし、生ごみ処理機「loofen」と出会い、暮らしはガラリと変わりました。

 この記事では、loofenを実際に使ってみた感想と、私が受け取れた補助金の話、気になる電気代やランニングコストまで、包み隠さず、丁寧にお伝えします。

  • ゴミ出しがストレスになっている人
  • 生ごみの臭いに悩んでいる人
  • loofenが気になっている人

 そんなあなたの参考になれば嬉しいです。

loofenってどんな機械?

 loofenは、家庭用の感想紫希生ごみ処理機です。

 生ごみを本体に入れるだけで、AIが最適な乾燥時間を判断し、ニオイや虫の発生源となる水分・バクテリアを取り除いてくれます。

サイズたて27cm×奥行き27.5cm×高さ35cm
※脱臭フィルターを含むと奥行きは約37cm
重さ6kg
容量最大約1kg
※焼く5L分の生ごみ
消費電力10W~130W
(AI制御)
処理時間1~8時間
※乾燥時間はAI自動調整
脱臭フィルター

 扉を開けてバスケットにゴミを入れたら、あとは電源ボタンを押すだけ。

 操作はボタンひとつだけなので、誰でも迷わず使うことができます。

loofenを実際に使ってみた

 朝、りんごとバナナを剥いた後の皮や芯。

 これまでなら、袋に入れて口を結び、ゴミ箱へ直行でした。

 でも、今は違います。

  1. loofenのバスケットに専用の不織布をセット
  2. 生ごみをそのまま投入
  3. 電源ボタンを押すだけ

 たったこれだけで、数時間後には生ごみがカラッカラに。

あとは、本体の電源ボタンを入れれば、自動で乾燥してくれます。

 今回、スケジュールの都合で約3時間後に開けてみましたが、しっかりと乾燥できていて感動です。

 もちろん、最大8時間しっかり稼働させると、さらにコンパクトになります。

 そして、乾燥したゴミは手で簡単に砕けますので、家庭菜園や観葉植物の肥料にも活用できます。

loofenのデメリット(正直レビュー)

1.バスケットのメッシュが外しづらい

 バスケット底面に付いている水切り用のメッシュがちょっと厄介。

 洗うたびに取り外すのが少し手間で、「ツメ」が折れそうでヒヤヒヤします。

 頻繁に掃除される方は、この点が気になるかもしれません。

2.本体価格が高い

 税込価格は64,680円(執筆時点)。

 決して気軽に買える価格帯ではありませんが、「ニオイが出ない」「虫が湧かない」「ゴミ出し回数激減」など、効果は価格以上。

 私は、買って良かった家電No.1だと感じています。

 また、自治体の補助金制度を活用すると、実質1~2万円で購入できるケースもあります(詳しくは後述)。

3.意外と場所を取る

 サイズは事前に確認していたつもりでしたが、実物は想像より大きめ。

 特に、背面の脱臭フィルターの厚みを考えると奥行きがさらに必要です。

 キッチンが手狭なご家庭ですと、事前の設置スペース確認は必須。

 私はニトリの3段ワゴンに載せて使っていますが、横幅は少しはみ出ています。

4.ランニングコストがかかる

 消耗品として、以下が必要です。

項目価格交換目安年間コストの目安
脱臭フィルター(2本)4,574円3~6か月ごと約9,000~18,000円
専用不織布ネット(20枚)2,280円必要に応じて不定期(任意)

 毎日使う場合、年間で最大2万円ほどのコストがかかります。

 ただし、夏場だけフル稼働するなど、使い方を工夫することで抑えられる可能性はあります。

loofenのメリット(ここが推せる!)

◎ゴミ捨ての回数が減った

 週2回のゴミ出しが、月1~2回で済むようになりました。

 生ごみが9割を占めていたことに気づき驚愕ですが、ゴミ袋の消費量も減り、エコで経済的にも◎

◎臭いがしない。虫が出ない

 loofenの脱臭フィルターは本当に優秀。

 稼働中にフタを開けても、ニオイはまったく気になりません。

 乾燥後の生ごみは、まるで乾燥野菜のような香りすら感じられるほど。

◎キッチンに馴染むシンプルデザイン

 今回購入したグレーは、家電っぽさがなくインテリアに溶け込む色合い。

 正直、ピンクやブルーのラインナップしかなければ購入に至っていなかったと思います。

◎ごみ→肥料へ。小さな循環が気持ちいい

 乾燥した生ごみは、家庭菜園や観葉植物の肥料に再利用可能。

 うちの自治体では、余った肥料を市役所に持ち込むと、トイレットペーパーと交換してもらえる制度があります。

 「ごみではなく、次に役立てる資源なんだ」

 そう思えるだけで、心が少し整う気がします。

loofenの電気代・維持費について

 平均消費電力90Wでm⑧時間使っても電気代は約20円/回。

 毎日稼働しても月額600円前後と考えると、ランニングコストは想像以上にお手頃です。

 さらに、戸内が50度に達するとAIが送風モードに切り替わりますので、常に最大出力で動くわけではない=節電設計なのも安心ポイント。

専用のカバーを使わずとも、サイズがある不織布があれば代用できるかも?

自治体の補助金制度を活用しよう!

 loofenの購入を後押ししてくれたのが、自治体の補助金制度でした。

 多くの自治体で「ごみ減量推進」を目的とした、生ごみ処理機購入費補助制度が設けられています。

よくある補助内容

補助率購入額の3分の2~4分の3
上限額3万~5万円前後
対象条件家庭での使用/転売不可/領収書や写真の提出など

私のケース(実体験)

補助率4分の3
上限額5万円
実質支払額16,000円
申請~交付決定約1.5か月
入金まで約2か月

 購入後に申請するタイプでしたが、地域により事前申請が必要な場合もありますので、必ずご確認下さい。

🔍自分の住んでいる市区町村名+生ごみ処理機 補助金
で検索してみてくださいね!

生ごみ処理機購入費補助金決定通知書

まとめ:loofenで”ごみゼロ生活”への第一歩

 loofenは、確かに大きくて高い買い物かも知れません。

 でも、臭わない・虫が出ない・ゴミが減る・肥料にできる、この4拍子が揃うだけで、「暮らしの満足度」が1段階アップしたように感じています。

 補助金を活用すれば、費用も抑えられますし、「自分の家でも使えそうかも」と感じた方はぜひ、一度チェックしてみて下さい。

👇購入はこちら(クーポンやポイント還元を活用して!)

楽天市場で見る or amazonで見る

【Venti対応】TYESO ストロー付きタンブラーが最強過ぎた話

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スタバ歴10年超、ようやく「理想のタンブラー」に出会いました

 スターバックスに通い始め、もう10年近くになります。

 いつも頼むのはVentiサイズのドリンク。大容量だからこそ、長時間の仕事や移動中にもぴったりなんですよね。

 しかし、ひとつだけ不満がありました。

Ventiサイズに対応するマイタンブラーが見つからん…!

 スタバ公式から出ているタンブラーはGrande(470ml)までがほとんどで、私がいつも飲んでいるVenti(590ml)には及びません。

 たまにVenti対応品が出てもコールド専用だったりして、なかなか理想の一本に出会えませんでした。

TYESOタンブラーが全部、叶えてくれた

 そんなときに出会ったのが、TYESO(ティエソ)のストロー付きタンブラーです。

  • Ventiサイズ対応(590ml以上)
  • ホット&コールド対応
  • ストロー・蓋付で漏れにくい
  • デザインもおしゃれ
  • 保温・保冷どちらも優秀

 「こういうのでいいんだよ」ではなく、「これがほしかった!」の領域。実際に使ってみた感想を含め、詳しくレビューしていきます。

TYESO ストロー付きタンブラー

TYESO ストロー付きタンブラーの魅力4選

①スタバのVentiサイズがぴったり入る!

 Ventiサイズ(590ml)って、一般的なタンブラーだと入りきらないことが多い。

 でもこのTYESOなら余裕設計で、ホイップを追加してもきちんと蓋が閉められます。

▼Ventiサイズのドリンクを実際に注いだ写真

キャラメルクリーム Ventiサイズで!!
スタバのコールドカップとTYESOタンブラーとの比較

これを、タンブラーへ。

注ぎ終わりました。

タンブラー内部の水量は写真の通り、まだ余裕があります。

スタバ Ventiサイズタンブラーとの比較
底面

②ストロー付き・漏れにくい設計

 地味に嬉しいのが、ストロー付き+パッキン付きの蓋がある構造。

 ストローは取り外し可能で、先端が柔らかい素材なので安心です。

 さらに蓋はスクリュー式できちんと締まり、カバンに入れてもこぼれにくいのです。

 「タンブラーって持ち歩きにくい」―そんな悩みもこれで解決!

蓋がなくならないクリップ付
裏面にはパッキン付き
ストローの先端はぐにゅっと曲がる

③おしゃれで手にフィットするデザイン

 外観はカット入りのマットボディ。ちょっとした石みたいな凸凹があり、滑りにくく、見た目も洗練されています。

 カラー展開も豊富なので、推しカラーやファッションに合わせて選べます。

大きいけど、片手で握りやすい

④保温・保冷力がしっかりしている

 朝に淹れたホットドリンクが、昼を過ぎても温かいまま。

 冷たいドリンクも氷が全然溶けません。

 デスクにおいても結露が出ないので、輪シミの心配もありません。

TYESOは他のシリーズも充実

 今回紹介したストロー付きタンブラーの他にも、TYESOには色々なボトルがあります。

 「なかなか理想の一本に出会えない…」という方は、まずTYESOをご覧になるのが正解かもしれません。

まとめ:Ventiユーザーなら試してほしい一本

 「スタバにマイボトルを持参したい」
 「でも、サイズや使い勝手に妥協したくない」

 そんなあなたに、TYESO ストロー付きタンブラーはとにかくオススメです。

 Ventiサイズのタンブラーって本当に貴重だし、スタバでの割引特典(20円引き)も嬉しいですよね。

キャラメルたっぷり

 ぜひチェックしてみて下さい▼

👉TYESO ストロー付きタンブラーはこちらから見られます

【神奈川県・平塚市】土屋銭洗弁財天 妙圓寺とは?アクセス・御朱印・御利益まとめ

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 神奈川県平塚市の山間にある「土屋銭洗弁財天 妙圓寺(みょうえんじ)」は、金運や願望成就に御利益があるとされる天台宗のお寺です。

 地元住民に親しまれるこの寺院では、八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)を祀っており、希少な御朱印や「銭洗い池」などの見どころも豊富。この記事では、アクセス情報・御朱印・ご利益・境内の様子を詳しくご紹介します。

土屋銭洗弁財天 妙圓寺とは

 正式名称は「和光山 醫王院 妙圓寺」。比叡山延暦寺を総本山とする天台宗のお寺で、平塚市土屋の自然豊かな地に位置しています。元は人里離れた山寺でしたが、現在も静けさと霊験あらたかな空気が残っており、観光地化されていない素朴な魅力があります。

御利益とご本尊:八臂宇賀辯財天とは

 妙圓寺の最大の特徴は、「八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)」をお祀りしている点です。

  • 8本の手に宝珠や宝刀を持つ女神像
  • 頭上には人面の白蛇「宇賀神」を戴く
  • 大黒天・毘沙門天を従え、15人の童子が付き従う

 このように非常にユニークで荘厳な姿をしており、「何でも願いを叶えてくれる」と信仰を集めています。金運・芸能・学問・恋愛など、幅広いご利益があるとされています。

御朱印の種類・授与場所・料金

妙圓寺では、本堂にて御朱印をいただけます。

  • 通常御朱印;300円
  • 巳の日限定御朱印あり(宇賀神王/大辯財天 など)

 特に「巳の日」は弁財天に縁のある日とされ、限定御朱印を求めて訪れる参拝者も多くいます。

アクセス情報

住所・連絡先

〒259-1205 神奈川県平塚市土屋1949
TEL:0463-58-1436 / FAX:0463-58-1458

公共交通機関でのアクセス

JR平塚駅 北口 → 神奈中バス「妙円寺前」下車(約26分)

車でのアクセス

  • 東名高速道路「秦野中井IC」より県道77号経由
  • 小田原厚木道路「平塚IC」より県道62号経由

※駐車場あり(公式情報要確認)

見どころ

ここからは参拝時の様子をお届けします。

山門と境内

 平成8年に再建された立派な山門が目印。朱色の幟が印象的で、境内には地元産の野菜が並び、参拝者と地元住民の交流も見られます。

内側から見た山門
地元野菜

寳珠殿(弁天堂)

 文化元年(1804年)に再建。釘を使わず「1本くさび工法」で建てられた弁天堂で、平塚市内でも珍しい建築様式。ここに八臂宇賀辯財天が祀られています。

岩屋霊穴と銭洗い池

 弁天堂の真下に「岩屋霊穴」があり、内部には石仏や「銭洗い池」があります。この池でお金を清めることで金運がアップするとされています。

※見学の可否は現地にてご確認下さい。

実際の参拝レポ・雰囲気(要約)

 筆者が訪れた際は、地元の方々が楽しそうに語らい、参拝者も和やかにお過ごしでした。写真撮影は遠慮しましたが、現地ならではの温かみを感じられるお寺です。

まとめ:妙圓寺はこんな方にオススメ

  • 静かで落ち着いた神社仏閣を訪ねたい方
  • 金運・願望成就の御利益を受けたい方
  • 地域密着の雰囲気を味わいたい方
  • 減手御朱印や辯財天信仰に興味がある方

 自然に囲まれた土屋銭洗弁天 妙圓寺で、心もお金も浄化されるひとときを体験してみてはいかがでしょうか。

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それでも発信を続けるということ―伝わらなさと呆れの向こうで

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 「やめてしまおうか」と思う瞬間がある。

 それは、何かひどい言葉を浴びせられたからというより、「誰にも届かなかった」と感じる時間の積み重ねに、心がすり減っていくからだ。

 発信をしていると、ときに予期しない反応に心を抉られることがある。それはまるで、ナイフで刺しただけでは飽き足らず、刃先をグリッと回すような残虐性を帯びていて―にもかかわらず、投稿者本人にはその自覚がないことが多い。

 それでも、自分の言葉を手放さない理由があるのだと信じた。

 けれど最近になり、その「理由」がよくわからない。

 今回は、①伝わらない苦しみ、②反応に対する複雑な心情、③心身の限界―この3つを正直に、構造として掘り下げる。

 これは責任転嫁や断罪の文章ではなく、私自身がなぜ、ここまで疲弊したのかを見失わずにいるためのきろくである。

①伝わらない苦しみ

 私は何も、わかってもらえないことが苦しいのではない。本当に苦しいのは、「伝えようとしているのに届いていない」ことだ。

 できるかぎり論理を重ね、言葉を整え、誤解の余地を減らす努力をしてきた。

 感情よりも構造を、感覚より順序を優先して発信することを、自ら選んで来た。

 これが私のスタイルであり、生存戦略の1つでもあった。

 けれどその上で、なお届かぬとき、「ではどうすればよかったのか」と自分自身に刃を向ける。

 私は自分の感情を預けすぎぬよう、情報として届けているつもりだ。

 その理由のひとつは、相手を尊重するため。

 自分を語りたいわけではないし、寄りかかるつもりはない。それなのに、向こうから”感情”の形でノックされる。

 解釈という名の押し付け。
 勝手な期待と落胆。
 「こういうことでしょ」と雑なラベル付け。

 そのすべてが私を”面白く解釈できるフリー素材”として消費してくる。

 質の低い反応に触れる度、「それはあなたの話だよね」と胸中でつぶやく。

 本当は、そういう人たちの背景まで見たくない。それでも、見えている自分がいる。

 おそらく「こういう経験があったのだろう」と察し、自分の投稿より、投稿に反応した人が抱える未処理の感情や、認識の歪みが見えている。

 見たくない。

 私の目は、そんなものを見るために開いているのではない。

 だが、それを遮断するにはあまりにも意識を研ぎすぎた。

 私が最も欲しているのは、共感でも、反響でもない。

 理解したがる意志に対する最低限のリスペクトだ。

 誤解は構わない。ただ、読み取ろうとしてくれる姿勢だけは見せてほしい。

②反応に対する複雑な心情

 発信を通し、反応が届く。これが嬉しいこともあれば、疲弊することもある。

 厄介なのは、そのどちらにも属さぬ半端な反応―

 「来ることはわかっていた」
 「内容も想像通り」
 「だから余計に、腹立たしい」

 そんな類いのコメントだ。

 投稿前、おそらくこうしたコメントが届くだろうとある程度の予測を立てる。

 これが的中した瞬間、どこかで「やっぱり」と思っている自分がいる。

 ここでの的中は、”予測能力で”ではなく”諦め”に近く、自分でも戸惑っている。

 本当は痛いのだろうが、もう痛みを認識する余裕もないのか、それとも、認識しないよう避けているのか、自分でもわからない。

 少なくとも、それに向ける感情はもはや”失望”でも”怒り”でもない。”処理”だ。

 しかしながら、無反応にも落ち込む。

 「もう誰の目にも止まらないのか」と不安になる。

 わたしは別に、否定されること自体が嫌なのではない。

 意見の相違は当然で、発信をしている以上、それを受け止める覚悟はある。

 でも、否定しながらその場に滞在している連中には、どうしても苛立ちが隠せない。

 気に入らないなら、他に行け。
 もっと適切なチャンネルがあるだろう。

 これは単なる買い言葉ではなく、視聴者自身が持っている”選択の自由”を思い出してほしいという願いに近い。

 どのチャンネルを選び、どんな言葉に触れるか、その選択権はいつだって視聴者にある。

 にもかかわらず、自分に合わないと叫びながら当チャンネルに居座り、文脈は無視。期待にそぐわぬ発信に野次を飛ばし続ける滑稽さを前に言葉を失う。

 それを選んでいるという事実に対し、自覚がない。なんて情けないんだろう。

 誰にでも開かれている場所であるからといって、誰にでも応えるべき義務を負うのか。そんなことはない。

③限界を知りながら、止まらない

 疲れが抜けない。眠っても、回復したという実感がない。

 目覚めた瞬間は気分が軽い。差し込む朝陽と、傍らで眠る小鳥たちを前に、今日も世界に会えたことを喜んでいる。

 だが、「今日は何をするか」と考えた瞬間、奈落の底へと転落する。

 まるで、満天の星空を見上げていた視線を水平に戻した途端、燃え盛る民家を背景に、返り血を浴びた殺人鬼に囲まれているような感覚。

 コメントやDMを見るのが嫌だ。にもかかわらず、怖いもの見たさで確認する。

 ”どうせろくでもないことが書かれている”という予測が先行し、それが的中することに奇妙な快感を覚えている。

 もはや、痛みと予測の的中がセットとなっている。

 快感とは言うが、それを味わっているのではない。単に、不快感を「予想通り」とすることで処理している。それだけだ。

 しかしそれでも、私は投稿する。「反応がある」と思いながら。

 たとえば、相続に関する動画を投稿するとき。

 「ここに突っ込まれるのだろう」と感じながらも、撮り直す気力はなかった。

 そのことへの後悔と、わかっていながら刺された自分に対し、落胆と怒りが入り交じる。

 専門家を名乗る以上、仕上がりには責任を持たなければならない。

 けれどその”プロ”という肩書きを持ち出された途端、本当は「お前の落ち度だ」と指をさされているような気持ちになる。

 実際にそんな責められ方はしていないのに、そこにある”語気の圧”に反応する。

 発信は義務ではない。私が好きでやっている。そのことに違いはない。

 だからこそ、傷付けられることに憤る。

 否定だけして居座る不法侵入者。
 アドバイス風の言葉を振りかざしながらも、自分の”納得”のためだけに発信者を消費する餓鬼。

 彼らが自らのニーズを把握できていない点には、呆れる。

 まるで、ペンギンを見たくて動物園に来たはずが、コンドルの檻の前に居座って文句を言い続けているようなものだ。

 ペンギンのように可愛らしいショーを見せぬコンドルに苛立ち、飛ばない理由を分析し、”自分なら飛ぶのに”と嘲笑して去って行く。

 気づいていないんでしょ?

 檻の前に立ち、見て、感じ、そこに留まっているという一連の行動が、すでに”選択”であることに。

エピローグ:それでも、ここにいる

 発信者であること、発信の内容に正解はない。

 ていねいに届けても、歪められる。
 無視しようにも、視界に割り込まれる。
 構えても空振りし、気を抜けば刺される。

 それでも今日も、画面の前に座っている。

 期待などとうに捨てた。まして、救われたいなどと思ってもいない。

 ただ、誰にも渡さずにいた言葉を、たしかに自分の手で扱いたい。

 届かなくていい。
 曲解、大歓迎。

 たしかに伝えたかったことが、ここにあった。

 もし、同じような痛みを抱えた誰かが、この言葉の残響に少しでも足を止めてくれるなら。

 その一瞬は、無意味ではない。

 これは誰のための発信でもない。

 ただ、自分に対する”応答”としての言葉だ。

 だから今日も、沈黙の海に小さな石をひとつ、投じてみる。

 音がなくても、波が立たずとも、それでいい。