就学前、祖父からスライドビューワーをもらった。
観光地の土産屋で売られていた小さな写真投影機のようで、レンズを覗き、ボタンを押すと写真が何枚か切り替わる。
その小さな箱に入っていたのは、祖父の一度きりの”遠く”だった。
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祖父母は九州出身。
結婚して一人の子をもうけ、出稼ぎのために他県へ移住。戸建と土地を購入し、祖父は材木店、祖母は宿泊施設の清掃業、深夜には夫婦揃って新聞配達をして生計を立てた。
祖父母邸は、ぼっとん便所の木造二階建て。祖父は「じいちゃんはこの家を建てたんど」と誇らしげに何度も語ったが、水洗トイレに慣れていた私は、「ぼっとん便所じゃん…」と怯えていた。便器内から手が伸び、引きずり込まれるのではないか、といつも怖かったのだ。
あるとき、トイレットペーパーを引くと音楽が流れた。「ロンドン橋落ちた(London Bridge Is Falling Down)」という曲。オルゴール調だったが、夜中、ひとりで用を足した後のサプライズとしては最悪。慌てふためき、寝ている祖母を揺り起こして訴えると笑ったが、困った顔でもあった。
これを見て、自分のためにつけてくれたのではないかと感じ、落ち込んだ。以来、ぼっとん便所は怖くなくなった——というのは嘘だが、怖くないフリをするようになった。
祖父の勤める材木店では、昼休みに菓子パンとポカリスエットが配られた。これをいつも持ち帰り、受け取った祖母が滅多に使用しない電子レンジの中に隠していた。私に食べさせるためだった。
休日になると、祖父母は揃って畑を耕し、野菜の世話をした。自宅に近接する二面の土地で、私もこれを手伝い、収穫時期には盗み食いをした。怒られたことは一度もなかった。
贅沢とは無縁。外食したところさえ見たことのない祖父母であったが、酒が好きな祖父は、祖母との酒代交渉に負けると、一時的に荒れることがあった。最終的には祖母が勝つのだが。
1995年頃、祖父が社員旅行で”遠く”へ行くと言った。
いつもいる祖父がいない数日、私は淋しがることもなく過ごした。
当時の香港はまだ、イギリス統治。ネオンの海と摩天楼が建ち並ぶ、アジアの成長の象徴だった。
畑を耕し、新聞を配る人が見るには、あまりに高密度な世界だっただろう。同時に、誇らしさもあったのではないか。
海外に来たこと。
社員旅行でそこに立つこと。
祖父世代にとっては、小さな勲章だったのかもしれない。
菓子パンとポカリを持ち帰る祖父は、自分と同じ”働く人たち”を見たかもしれない。
社員旅行の土産は、光る夜景のスライドだった。
自分のものは何一つ購入せず、土産話もないのに、子ども向けのおもちゃ——つまりあれは、自分の記念でなく、孫に見せるための選択だったのではないか。そう考えるのは、孫のエゴかもしれない。
しかしなぜ、夜景なのか。
それはきっと、昼より夜の香港のほうが「夢」に近いからなのだろう。
「こんな世界もあるど」
あれから30年以上が経った今、祖父からの無言の提示だったのでは、と考えている。
祖父の父——私視点では曾祖父——が戦争で亡くなり、九州から出稼ぎ、ぼっとん便所の二階建て、新聞配達、畑。
この家系で、社員旅行で海外へ行く。それだけで、世代間の移動は確実に起きている。
何年も前に認知症となり、記憶は失われたが、当時感じた驚きや誇りは確かに、一度は祖父の中に存在した。
そして、いま、私は神奈川県で生きている。
面白い。
祖父が一度見た”遠い光”のほうへ、孫が移動しているのだから。
上京時、「私に帰る実家はない」と腹を括った。
だが、血縁の有無と歴史の連続性は別だと考えている。
あのスライドは断絶の記憶ではなく、一本だけ残る線なのかもしれない。
菓子パンを持ち帰る人が、遠い街の夜景を持ち帰った。
それを受け取った私は、次の時代に”光”を残せるだろうか。
🔗大人の生存外科 榊原沙奈病院(note)
🔗ヲタク行政書士®榊原沙奈チャンネル(YouTube)
