INFJ(提唱者型)のリアル|行政書士×発信者×感情重視人間の葛藤と生存戦略

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「あなたはINFJです」

 そう診断され、納得する部分もあったが、すこし嫌になり、やや誇らしくなった。

 MBTIで言うところの“提唱者型”だった。一応、「希少型」とされているらしいが、SNSを見渡せばINFJだらけじゃないか。

 しかも、よく紹介されている特徴――「理想が高い」「共感性が強い」「静かに情熱を燃やす」――それ、本当に私のことなのか。実際は、そんなに綺麗なものではない。

 器用ではないし、人間関係でよく傷つき、いつも感じすぎて疲れる。

 けれど、この診断を機に、私は「自分がどういう人間で、どうやって生きていきたいか」をようやく言葉にできた気がしている。

 この記事では、行政書士として働きながら、発信活動をして、生きづらさと向き合ってきたINFJのリアルを記録します。

🟪 1. INFJ診断との出会いと違和感

 MBTIという言葉を初めて知ったのは、たしかTwitterだった。

 自己診断や16タイプ、INTJとかENFP、なにやら記号のようなものが飛び交い、はじめは正直、流行りの血液型占いの発展系くらいに思っていた。

 話のタネにと考え、試しに診断してみたら「INFJ」。結果に表示される“希少型”の文字に警戒心が首をもたげる。

 「理想主義者」「人の感情に敏感」「一人の時間が必要」「人のために動くけど、自分を守れない」
――書かれていることに思い当たるところはある。だが、なんだろうか。この居心地の悪さ。

 そんな中で最も刺さった言葉。それは、

「INFJは、“自分を理解してくれる人なんていない”と思いながらも、それでも“誰かが気づいてくれる”はずだと信じている」

 という点だった。嫌な感じだ。わかってほしいくせに、わかってほしくない。そんなめんどくさい性分…図星である。

🟪 2. 「わかる」と「いや、ちがう」のせめぎあい

 INFJの解説を読みながら、「わかる」と「そうじゃない」とがせめぎ合った。

「理想を追う」――わかる。しかし、理想を言語化できぬ時期のほうが長かった。
「人の感情に敏感」――わかる。けれど、そのせいで“見なかったことにする”癖もついた。
「独特の世界観がある」――わかる。だが、“人と違う”ことがそんなに誇れるものだろうか。

 これらを踏まえ、いまだに「INFJ」だと名乗ることが気恥ずかしい。

 希少型だからではない。理想があるからでもない。

 名前が与えられることで、世界が固定されるのが怖いのだと思う。

 しかしようやく、MBTIを通し「他人と自分は、前提からして異なる」ことを受け入れられるようになったのも事実だ。

🟩 3. INFJで行政書士?実際どうなの?

 「INFJに向いている職業」として、カウンセラーや作家、福祉系の仕事が挙げられていた。

 その点、私は行政書士という、どちらかといえば「制度」と「文書」を扱う、感情から遠い仕事を選んだ。

 書類作成に感情はいらない。条文と条文の間に気持ちを挟んでも、申請書類は通らない。

 むしろ感情を混ぜすぎると、非効率でミスが起きる世界だ。

 ――にもかかわらず、この仕事を選んだのは、“言葉で人を守れる”からだ。

 私にとって、契約書の一文と遺言のひと言、いずれも、人生の“痛み”や“願い”の置き換えである。書類を整えることは、誰かが不安を抱えていた場所に、小さな手すりを設けること。

 感情を語らず、感情に応えることができる。

 それがINFJとしての私に、ちょうどよかったのだと思う。

 ただ、制度の隙間に人がこぼれていくのを見ると、何もできなかった自分を責め、理想を掲げすぎて現実から乖離していると感じると、内省モードに入ってしまう。

 書類が完成しても、胸中ではいつも「これでよかったのか」と自問している。

 INFJは、“やるべきこと”と“やりたいこと”が一致しないとき、静かに自分を蝕んでいくところ、あると思う。

🟦 4. 感情を持ち込む仕事・持ち込めない発信

 私は、発信をしている。

 YouTubeやnote、ブログ、X――これらの媒体において、行政書士として情報を出すことも多いが、どちらかといえば、感情のほうがよく出ているのではないだろうか。

 正論は、検索すればすぐに見つかる。

 だが、それらが誰を救い、誰を置き去りにするのか、そういった部分を言葉で記録したかった。

 だから私は、あえて感情を持ち込んでいる。誰かの心にひっかかる言葉を届けるために。

 ただし、こうした行動はINFJにとって、結構リスクだったりもする。

 なぜなら、感情を曝け出すのと同時に、批判や無理解を浴びることになる。

 コメントひとつを何日も引きずるし、「どうせ本気じゃないんだろう」と向けられる冷めた目に、自分の信念ごと冷やされることもある。

 それでも私はやめなかったし、厳密には、辞められなかった。

 誰にも届かなくてもいいんだ。でも、誰かひとりにだけでも、「あなたの言葉があったから頑張れた」と思ってもらえる可能性があるうちは、それが続ける理由になる。

🟧 5. INFJにとっての“生きること=意味を問うこと”

 INFJはおそらく、「なぜそれをやるのか」と動機の部分を毎日考えるタイプだ。

 楽しいときでさえ、「この楽しさに意味はあるか」と不安になり、頑張っているときほど、「これは誰のためか」「本当に必要なのか」の問いが脳裏をよぎる。

 これは性分だ。自分でさえ、止められない。

 公私を問わず、常に意味を探す。それがINFJの“厄介さ”であり、“誠実さ”でもある。

 だから、目先の目標や数字、外部からの評価だけで続けることが難しい。その裏側に「なぜ、私はそれをするのか」の答えがなければ、先に心がすり減る。

 逆に言えば、「やる意味」を見つけたINFJはとんでもなく強い

 周りに理解されず、共感が得られなくても、「これは自分にとって意味がある」と確信すれば、淡々と、しかし確実に、そこに立ち続ける。

 私がいまも、行政書士であり、発信者としてここにいるのは、「制度や仕組みのなかに置き去りにされている誰か」に気づき、言葉の形を借りて手を差し出したいと願っているからだ。

🟨 6. INFJが稼ぐという矛盾と希望

 INFJが稼ぐこと。それは何だか、とてつもなく矛盾している気がする。

 自分本位にお金を受け取ることに罪悪感を抱き、値付けをすれば「本当に価値はあるのか」と不安に苛まれ、儲かると必ず、誰かを犠牲にしていないかと恐ろしくなる。

 正直なところ、金の話をする自分がいまだに好きになれない。

 しかしながら、生きるには金が要る。

 梅(愛犬)や善(愛鳥)の生活や治療、進学、事務所の維持についても、理想だけではどうにもならない。

 だから私は、「稼ぐ」という言葉に自分なりの意味を与えた。

 私にとって稼ぐとは、「誰かを支える手段を自分の手で持ち続ける」ことである。

 誰かの声を文章にして届け、制度を知らぬ誰かに安心を提供し、絶望する誰かの「何とかなる」に寄り添う。そうして人のそばに立ち続けるには、お金が必要だった。

 INFJという特性を持つ自分が、発信を通して対価を受け取る覚悟ができたのは、「全てに意味を与えた」からに他ならない。

 コンテンツを問わず、すべての言葉に、誰に向け、何のために発するかを毎回考えている。

 数字や再生回数に振り回されることもあったが、最終的な支えとなったのは、“意味を信じてくれた人”だ。

 そうして今、もう一度、「命と向き合う道」を選ぼうとしている。

命と向き合う道を選びたい理由

 愛鳥・善の治療を機に、“現場で命を支える”仕事に心が傾いた。

 獣医師にはなれない。時間と年齢を考えると、とてもじゃないが現実的とはいえない。

 しかし、愛玩動物看護師が国家資格になったことを知り、「今より一歩、近づけるかもしれない」と思った。

 もしかするとその職業は、お金になる仕事じゃないかもしれない。

 けれど、私にとって意味のある仕事だ。だからその意味を、言葉と稼ぎの両面から支えていきたい。

🟫 7. おわりに:私が提唱したいのは、たぶん「静かに生きる誇り」

 INFJという型がどれだけ私に当てはまるか。そんなことはどうでもいいのかもしれない。

 大切なのは、「どう名乗るか」ではない。「どう在りたいか」の一点だ。

 私は決して、好戦的とは言えない。声を張り、誰かを説得することに長けていない。

 だが、諦めずに目の前の誰かを見ていたい。「あなたの痛みに、私は気づいている」と伝えられる人間でいたい。

 それが私にとっての“提唱”なのかもしれない。

 声は小さくていい。泣こうが揺れようが、生き方は自分で選び続けたい。

 目の前の命を守ることに、制度と制度の間でこぼれる誰かの言葉に、ひとつひとつ、意味を与えながら。

 INFJというラベルに不満を抱く日もあった。けれどいま、こう思う。

 「私は、私でよかった」と。

 この思いにたどりつくために、この診断と発信、善との出会いをはじめ、すべてに意味があったのだと信じていたいのである。

平成弐年式、やぎ座のO型。 ふだんは行政書士事務所の代表、根暗をやっています。

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