0巻・過去編・渋谷事変から見る五条悟と夏油傑の関係性|愛とすれ違いの真実

当サイトの一部に広告を含みます。

関連投稿

 五条悟と夏油傑。

 呪術廻戦のなかでもとりわけ強い絆で結ばれ、決別したこのふたりの関係は、多くの読者に「なぜ」を残します。

 なぜ、最強のコンビは同じ場所に立ち続けられなかったのか。
 なぜ、一緒にいようと言えなかったのか。

 本記事では、心理学の愛着スタイルを軸に、0巻・過去編・渋谷事変の流れを辿りながら、五条悟と夏油傑の関係が崩壊した真因を読み解きます。

 彼らの心の距離をあなたは、どう受け止めますか?

五条悟

肩書:演題最強の呪術師/六眼+無下限呪術の使い手

表層の特徴

  • クール、冗談で距離を取る
  • 誰にも頼らない、1人で出来る系
  • 感情表現が下手、自分の脆さは見せない

内面

  • 愛されることをどこかで諦めている
  • 本音を言うのが「重い」と思っている
  • しかし本当は、誰かにちゃんと受け止めて欲しい

作中行動の例

  • 「俺が最強だから」→防衛線
  • 夏油との関係も深く踏み込む前に距離をとった
  • 渋谷事変での「傑…会いたかったよ」に抑圧していた愛着欲求が滲む

夏油傑

肩書き:元呪術高専のエリート→呪詛師

表層の特徴(初期)

  • 感情を言語化できる
  • 人との関係を築くのがうまい
  • 高専時代は悟・家入と信頼関係が成り立っていた

表層の特徴(天内後)

  • 世界そのものが自分を理解しないと思い始める
  • 悟からの無関心(に見える態度)でさらに孤立

作中行動の例

  • 「私は呪術師だけの世界が見たい」=見捨てられ不安の裏返し
  • 自分の正しさを理解されない焦燥、そして見捨てられた感覚

愛着のすれ違いが生んだ悲劇

五条悟夏油傑
本音の出し方避ける/ふざける伝えようとするが受け止めてもらえず傷付く
信頼の築き方自分が最強であることが担保言葉と共感で築こうとする
崩壊のトリガー夏油が堕ちたこと
(自分の無力さの象徴)
悟に拒まれた/無視されたと感じたこと
別れの構図何も言わず手を下す何も言われずに見捨てられた

呪術廻戦0巻(百鬼夜行)

  • 舞台は本編より1年前
  • 主人公は乙骨憂太、夏油傑が敵として登場
  • 夏油の台詞「やはり私は、呪術師だけの世界が見たい」
  • 一般人に呪霊を放ち、選別を試みるという思想が明確化する
  • 五条が彼を「傑」と呼び、自ら手を下す

 五条は”親友を殺した男”になった。

 そして、夏油は最期まで五条にだけは本音を見せていた節があった。

 言葉にされぬ感情が行間でぶつかり合う終幕がエモい。

「過去編」(懐玉・玉折)

  • 舞台は高専時代/五条と夏油が「最強コンビ」だった頃
  • 任務を共にし、笑い合い、背中を預け合っていた
  • 天内理子を巡る任務の末、五条の価値観は超越的になり、夏油の価値観が人間的に分岐

 夏油は理子の死に対し、「自分の中の正しさ」を見失い、非術師の残酷さに絶望する。

 一方、五条は最強になった代償に感情を置いていく。

 このすれ違いが後の決裂の種となり、まさに玉が折れる編。

渋谷事変

  • 呪術廻戦最大の転換点
  • 五条は封印/夏油(?)再登場
  • 夏油は本物ではないと判明
  • それでもなお、五条は彼を見て「傑」と呼んだ

 夏油はもういないのに、五条は自分の手で殺したはずの親友の姿を見て、どこか嬉しそうな顔をしたように見える。

 それはもう、五条悟という男の限界であり、願いだった。

なぜ夏油は五条悟といられなかったのか

1.理想の正しさがすれ違ったから

 五条は、「強くなれば守れる」と思ったのに対し、夏油は、「世界そのものが間違っている」と考えた。

 その結果、

  • 五条:どんな世界でも俺が守る
  • 夏油:こんな世界で人を守ってどうする

 ふたりとも「人を守りたい」という願いは同じだったのに、その方法と視線の高さが真逆になってしまった。

2.非術師に対する絶望を共有できなかった

 夏油が墜ちたきっかけは、任務中に非術師の親から「呪術師なら娘が死んだのも当然」と冷たく言われたこと。

 非術師は、呪術師を使い捨ての便利屋としてしか見ない。

 そこで彼は壊れた。「人間なんて救う価値があるのか」と。

 しかし、五条は夏油のその傷に気づけず、触れることができなかった。

3.最強への嫉妬、劣等感があったから(暗黙の圧)

 夏油は優秀だったが、五条は圧倒的すぎた。

 並び立っているように見えるものの、五条が「最強」として覚醒してからは差が広がる一方だった。

 夏油はもう、「悟はもう私の届かないところに行ってしまった」と感じていた。

 つまり、「悟と傑」ではいられないと思ってしまった。

4.傑は悟に嫌われたくなかった

やっぱり、私は呪術師だけの世界が見たい。
…どうしたの、悟?

 この「どうしたの」にすべてが詰まっている。

 あのとき、五条が「一緒にいよう」と言ってくれていたら、夏油は引き返したかもしれない。

 けれど、五条は「お前はもうダメだ」という沈黙で答えた。

結論:いられないと信じてしまった

 五条は夏油を「救いたい」と思い、夏油は五条に「救われたかった」と思っていた。

 けれど、相手のために黙ることを選んだ結果、壊れたのがふたりの絆だった。

まとめ

  • 0巻で決別と最期
  • 過去編で絆とすれ違い
  • 渋谷事変で残響と未練

愛するペットの死を受け入れられないのはなぜ?脳科学から読み解く喪失のしくみ

当サイトの一部に広告を含みます。

関連投稿

 私たちは”死”を言語で理解できる存在です。 けれど、理解とは本来、感覚をともない、 理屈をなぞっただけでは心の納得には届きません。

  愛する存在がいなくなったとき、 頭で「死んだ」と分かっていても、心と体は別の反応を見せます。 そのギャップに、苦しむ人は少なくありません。

 当ページでは、脳科学・心理学・嗅覚記憶などの観点から、 ペットロスや大切な誰かの喪失にともなう感情の理由を、構造的にひも解いてみます。

1. なぜ、死を理解しているのに涙が出るのか

 脳は、主に論理を処理する「前頭前野」と、感情を司る領域「扁桃体、海馬など」とに分けられます。

 死亡の事実を言語化し、理解しているのは前頭前野の役目ですが、愛着や記憶、恐怖、不安等の勘定処理は、より原始的な領域である扁桃体や視床下部が行います。

 このように、脳の構造上、別の処理回路が稼働することで「頭では理解しているのに涙が出る、胸が痛む」等の身体的反応が表れます。

 加えて、喪失の瞬間には愛情ホルモン(オキシトシン)やストレスホルモン(コルチゾール)が大量に分泌され、 神経系が強く揺さぶられることも涙の引き金になります。

2. なぜ、いなくなった子の匂いがするのか

 愛鳥がいなくなった後、誰もいない部屋でふと、あの子特有の香りが漂いました。鼻を近づけても匂いのもとは特定できず、しかし確かに”あの子の匂い”がする。

 これは “幻嗅(ファントム・スメル)” と呼ばれる現象です。

 嗅覚は、五感の中でも特に”情動記憶”と強く結びついている感覚です。 海馬(記憶)と扁桃体(感情)に直結し、 とくにペットや子どものような“愛着対象”の匂いは、強烈に脳に刻まれます。

そのため、

  • 近くにいないはずの匂いを“感じる”
  • それによって、涙や記憶が引き起こされる

といった現象が起きるのです。

 香りは記憶のトリガー。 存在が消えても、脳内にはその痕跡がしばらく残り続けるのです。

3. なぜ、脳は対象の「不在」をわざわざ強調してくるのか

 生き物にとって、“群れ”や“つながり”の認識は生存に直結します。

 ペットやパートナーなどの喪失は、 脳にとって「群れからの突然の離脱」や「安全の崩壊」として扱われます。

その結果、

  • “この子がいない”ことを再三認識させ
  • “不在”を執拗に反復させる

というメカニズムが働きます。

 これは、「次に備えさせる」「同じ喪失を繰り返させないため」の いわば生存戦略の一部ともいえ、自然なことです。

 けれど、現代の私たちにとってみれば、この機能が喪失の痛みをむやみに引き伸ばす拷問装置のように作用することがあります。

4. なぜ、自分を責めるのか

 喪失直後において、自責の念は非常によく見られる心理反応だといえます。 これは、”コントロール感”を取り戻そうとする脳の防衛反応でもあります。

  • 「もっとこうしていれば」という後悔
  • 「自分のせいかもしれない」という罪悪感

 これらの思考は、責任転嫁のために行われるものではなく、原因を自分の中に見つけることで納得するために生じます。

 なぜなら、自分の力ではどうにもならなかったという現実は、 人間にとって最も受け入れがたいものだからです。

 自分を責めることで、苦しみだけでなく、「まだできたことがあったかもしれない」という愛情の名残も浮かび上がります。

 それは決して弱さや過失ではなく、 大切に思っていた証拠であり、愛のかたちでもあります。

おわりに

 ペットを亡くした人にかける言葉として、「時間が解決してくれる」「次の子を迎えてみては」等が見られます。

 そこに悪意はないのでしょうが、どこか、彼らの死をなかったことにしよう、見なかったことにしようというニュアンスが感じられ、反発心を覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 本当か?本当に時間が解決してくれるのか?それまで待つことしかできないのか?

 愛した証が、涙や匂いの記憶であり、心に生じる空洞だとしたら、 「喪失を感じきること」lこそ、命と誠実に向き合うひとつの形なのかもしれません。

 構造を知ることは、感情を軽んじることではありません。 “どうしてこんなに苦しいのか”を言語で把握することが、 少しずつ、自分をゆるす力にもなりますように。

【補足】時間が解決するとは

 「時間が解決する」とは、時間の経過そのものが解決してくれるわけではなく、これからの時間において、あなたが自分なりの折り合いをつけることを指しています。

 しかし、この言い方では抽象的すぎるため、苦しんでいる最中の人に届きづらいように思います。

 ましてや、「今この瞬間に泣いても意味がない」というニュアンスを含んでいる場合、もはや暴力だといえます。

なぜ、そのような発言が生まれるのか

 おそらく、発言者自身も何と声をかけたらいいのかわからないのかもしれません。

 もしくは、あなたが苦しむ姿を見ているのが辛いから、その時間を早く終えたがっているのかもしれません。

 また、過去に発言者が同じ言葉で慰められた経験を持っているため、再生産している≠受け売りなのかもしれません。

 つまり、発する側の不安と無力さが反映された言葉なのではないでしょうか。

だからこそ

 「時間が解決してくれる」は、正論ではあるものの無慈悲な言葉だと考えています。

 必要なのは、「解決」に身を委ねるのではなく、今の涙に一緒に立ち向かう姿勢である。私はこう思います。

“女の子だから、なれない”でいいの?──敬宮愛子さまのご挨拶に、私が立ち止まった理由

当サイトの一部に広告を含みます。

関連投稿

女の子だから天皇になれない

 それが制度として決まっていることは、知識として理解していました。

 しかし、今になりその言葉を目にして、思わず立ち止まりました。

 それは、敬宮愛子さまがご成年を迎えられた際のご挨拶を拝見して以降、私の中にひっかかっていた“ある違和感”とつながったからかもしれません。

「制度上の話」ではなかった

 あのとき拝見したご挨拶──ご本人の声で、まっすぐに語られる言葉。丁寧で落ち着いていて、それでいて、どこか内に静かな芯が通っているように感じました。

 私はその瞬間、はじめて“敬宮さま”という存在を「天皇陛下のご息女」でもなく「女性皇族」でもなく、“ひとりの人”として意識した気がしたのです。

 それまで、私はどこかで「制度の一部としての存在」としてしか捉えてこなかったのかもしれません。

語られ方に感じた“モヤ”

ご挨拶の映像をまだご覧になっていない方へ──
 敬宮さまが成年を迎えられた際の記者会見の模様を、以下の動画でご覧いただけます。

 その後、SNSなどで目にした反応の中に、こんな言葉がありました。

  • 「女の子だから、継げないのは仕方ない」
  • 「雅子さまに似ていて安心できる」
  • 「帝王教育を受けてきたから優秀に決まっている」

 いずれも悪意があるとは思いません。

 でも、そこにあるのは「個」ではなく、「背景」や「血統」による“ラベル”です。

 たしかに、親の影響や育ちの環境は、人をつくる一因でしょう。

 でも、それだけで語られてしまうと、その人がどんな思いで立っているかが見えなくなる。

 そしてそれは、皇室に限った話ではなく、私たちの身近にも、当たり前のように起きていることなのだと思います。

「通信制」「片親」「多産家庭」──私が言われてきたこと

 私はこれまで、「通信制高校しか出ていない」「片親で育った」「多産家庭だから育ちが悪そう」など、出自や環境だけで判断された経験が何度もあります。

 そして、実際にそういう目で見てくる人たちは、私が何を考え、何を積み上げ、どんな言葉を使っているかにはまったく興味がないようでした。

“見る目”は、誰かのためだけじゃなく、自分自身のためにある

 一時期、人事の仕事をしていたことがあります。

 だからこそ、背景や学歴が「参考情報」として用いられる場面があることは、よく理解しているつもりです。

 けれど、その“情報”が“評価のすべて”になってしまうと、その人の「今」や「これから」に光が当たらない。

 そしてその構造は、他人に向けられるだけでなく、自分自身の生き方すらも、見誤らせてしまう危うさを含んでいるように思うのです。

誰をどう見るか──それは、どう生きたいかとつながっている

 あのご挨拶を拝見したとき、敬宮さまは「評価されるため」ではなく、「言葉を尽くすこと」を選んでいるように感じました。

 それは、とても勇気のいることです。

 自分の姿勢や考え方を、背景も含めて、丁寧に外に差し出すこと。それを「誰かにどう見られるか」を超えてやるのは、簡単なことではありません。

 だからこそ、「この方を、私は“誰かの娘”としてではなく、“ひとりの人”として見たい

 そう思ったのだと思います。

最後にひとつ、問いを置かせてください

 あなたは今、誰かを「その人自身」として見ていますか?

 肩書きや育ち、過去の環境だけで、その人の“今”や“これから”を測っていませんか?

 そして、自分自身もまた、「何者か」で語られることで、本当の姿を隠してしまってはいないでしょうか。

 あのご挨拶は、私にとって、“見る目”をほんの少し整えるきっかけを与えてくれました。

 もし、あなたの中にも何かが残ったなら、それが“誰かを見る目”だけでなく、“自分を見る目”にもつながっていけば──そんなふうに願っています。

🎥関連記事

📺 このテーマに関する動画は近日公開予定です。

関連投稿

私は“愛と責任”の中で生きている ― 生年月日と名前から見えた、私の輪郭

当サイトの一部に広告を含みます。

 私は、占いを“信じている”わけではありません。

 けれど、迷ったときや動けなくなったとき、自分の足元を照らすものとして、カードや命式を開くことがあります。

 今回は、私の「生年月日」と「名前」の意味について、占い師の視点で見つめ直しました。

 「榊原沙奈」という名前と、1990年1月4日という日付が、どんな運命の設計図を持っていたのか──あなたの自己理解へのヒントになるかもしれません。

① 生年月日から見る、私の生き方の輪郭

 私の生年月日について、四柱推命(簡易版)/九星気学を基に占いました。

基本性格

 本命性は一白水星/生まれ日の干支は己巳。

 この星回りは、「人に見せぬ情熱」と「観察する知性」が大前提にあるとされ、表向きは落ち着いて見えるものの、内側では情熱が囂々と燃えているのが特徴です。

運勢の波

  • 人生前半(〜30歳くらいまで):周囲との軋轢・家庭との縁に悩みやすい運気。ただし、20代後半に一度目の転機
  • 中盤(30〜50代):本来の才能を発揮し始める時期。個人事業や独立など「自分の旗」を掲げることで発展
  • 後半:精神面・価値観の深化。「伝える」「残す」仕事に向く(出版・教育・啓発など)

② 姓名判断から見る、「沙奈」という名前の意味

 榊原沙奈の総画数は38画。

 誠実で信念を貫く一貫性のある人生で、波風はあれども、地道な努力が最終的に報われる継続の強さが特徴です。精神性と知性を武器に道を切り開くタイプでもあります。

 次に地格は15画で、愛される要素があり、縁の下の力持ちとして評価されやすい。感受性豊かで、芸術や表現の才能があるとされます。

 人格の17画は、まっすぐで完璧主義な一面を示しました。自分にも他人にも厳しい反面、理想に真っ直ぐ進むタイプ。誤解されやすいですが、信念を貫く芯の強さが魅力のようです。

 外格は21画で指導者運。若干、近寄りがたい雰囲気を放ちますが、敬意をもって接されやすい特徴も。

 総合的に見ますと、「静かなる情熱家」。
 一見控えめで理性的に見えますが、内側に燃えるような理想や使命感を秘めており、特に30代から本格的に「言葉」や「知識」を通じ、誰かに届く人生を歩む流れがあります。

③数秘術から基本の性格

 私のライフパスは6で、「癒やしと愛の担い手」。

 調和とケアの星にあり、面倒見がよく、人や社会を良くしたいとの想いが強い星です。
 そのため、トラブルを回避するのは苦手で、「向き合って受け止める」タイプでもあります。

 バースデーナンバーである4は、堅実で誠実、リアリストという特徴を持ちます。

 綿密な計画力や責任感、忍耐強さがあり、夢を見るより叶える力が強い星です。ただし、手を抜かないため、自他に厳しい側面も。

 ディスティニーナンバーは1で、リーダー・先駆者タイプ。

 独立心と先導力が強く、人の後をついていくより、自分で決めて進みたい気質です。
 新たな価値観を作り出す開拓者で、意志が強くマイペース。誰にも似ていないため、孤独を感じやすい星でもあります。

 ソウルナンバーは6で、心での繋がりを求める傾向にあります。

 パーソナリティナンバーは22で、「落ち着きがある」「しっかりして見える」「強そう」とみられがちです。
 しかし実際には、繊細だけれど、それを人に見せない「縁の下の力持ち」。誤解も多いですが、本質的に人に頼られやすい特徴を持ちます。

 ここまでをまとめると、私の数秘は「愛と責任をもって世界を創る人」。

 外側は「信頼」「リーダー性」が強いのに対し、内面は「人を守りたい」という想いで溢れています。そのギャップは時に苦しみを生みますが、誰かのために旗を掲げる人生が合うようです。

私の「道」は、誰かの“問い”に触れたときに開く

 占いが教えてくれるのは、「あなたの運命はこうです」ではなく、「あなたは、こういう人かもしれない。どう生きますか?」という問いかけだと思っています。

 私の人生には、たくさんの分岐がありました。

 どれが正解だったかはわかりませんが、どの瞬間にも“意味”を持たせてくれたのは、言葉や命式でした。

 この記事が、誰かの“問い”を照らすヒントになれば――そんな想いで、私は今日も名前と生年月日に手をあてています。

占いを信じるかどうかはあなた次第ですが、この結果から興味が湧いた鑑定法があれば、ぜひ試してみてくださいね。

占い師である私が、自分の事故を占った理由 ― タロットに問いかけた「真実」と「報い」

当サイトの一部に広告を含みます。

◆事故の背景と、私が占いを決意するまで

 2024年の夏。私は交通事故に遭いました。

 当時の状況については、既に公的な記録に残されており、ここでは詳細を控えますが、現在も左手に痺れが残っています。

▶症状固定のご報告(動画)
 私の状態については、先日YouTubeにて症状固定の報告動画を公開しました。より具体的な経緯や当時の気持ちについては、こちらでお話ししています。

🎥 症状固定を報告する動画(YouTube)

 事故の後、通院や書類対応を進めるなかで、説明のつかない場面がいくつかありました。
 ただあくまで、“違和感”でしかなく、確定的な根拠を持つものではありません。

 私は行政書士として、日々制度と向き合っています。そして、占い師としても、人の感情や目に見えぬ流れに触れてきました。

 本件では、自分が「被害者」という立場にあることを自覚しながらも、どこかで“感情の整理”がつかぬまま、月日が流れている感覚です。

 そこで私は、カードに問いかけました。

 これは、犯人を暴く鑑定ではありません。また、誰かを追及したり断罪するものでもありません。

 ただ、自分の中にある“引っかかり”の正体に名前をつけたくなったのです。

◆鑑定①:加害者の行く末 ― カードに問う、姿なき存在の未来

 事故当時、相手車両を運転していた人物について、いまだ明確な特定に至っていません。

 この件に関しては、制度上の手続に委ねており、今回はあくまで「名前も顔もわからぬ相手」の行く末を問いました。

 この行為にどれほどの意味があるのか。私自身、自問を繰り返しながら鑑定を進めました。感情を整理するために。

🃏引いたカードとその位置

ポジション意味
行動の因果崩壊、衝撃、突然の破綻
社会的責任公正な裁き、制度の是正
評価・周囲の反応復活の失敗、赦されない
内面の変化後悔、喪失、取り返しのつかない感情
最終的な帰結未完、報われない結末、閉じない物語

🕯解釈:逃げた人に完結はない

 めくったカードたちは、一時的に逃れられたように見えても、やがて何かが崩れ、失われていく構造を静かに語っていました。

 はじめに示されたのは、築き上げてきた基盤が唐突に崩れるような出来事。これは、本人の意図を超えた“崩壊”や“大きな代償”を象徴しています。

 次に感じ取れたのは、「バランスを正す力」の存在。
 制度や社会的な関わりの中で、帳尻が合わされるような場面が訪れることを示唆しています。

 それから、周囲からの信頼を取り戻すことが難しく、「赦されぬまま次に進む者」として、何かを置き去りにした人生になる可能性が高いとも。

 相手方の物語が“完結しない”感覚が、最後に重く残りました。

◆鑑定②:運行供用者の行く末 ― 責任の重みは、どこへ向かうのか

 今回の事故において、加害者の特定には至っていませんが、車両の運行供用者(使用者・管理者)は確認されています。

 ですので私は、法制度においてこの人物の立場を知っているのですが、人として本件とどう向き合っているかについては測れずにいます。

 この鑑定では、「加害者ではないが、責任の位置に置かれた人物」が、今後どう変化していくのかを尋ねました。

🕯解釈:自覚なき責任の、その先に

ポジション意味
現在の立場・心理責任の形骸化、コントロールの放棄
事故への向き合い方誤認、不安、真実に対する無意識の回避
今後の動き計画、選択肢、次の手を模索する
周囲からの評価亀裂、信頼の喪失
最終的な行く末転機、因果の巡り、運命の節目

 最初に出たのは、本来あるべき責任感や統率力がうまく機能していない状態を映し出すものでした。

 ですので、「自分のせいではない」「やるべきことはやった」というような、形式的、かつ、本件と意識的に距離をとったものと推察します。

 続いて浮かび上がったのは、物事の本質から目を背け、曖昧さの中にとどまろうとする感覚でした。誤解や不安、現実の重みに対し、いまだ向き合いきれていない様子がうかがえます。

 一方で、未来の兆しに「このままではいけない」という選択の気配も感じられます。
 行動を起こす、または何かを決断する転機が迫っているように見えました。

 対人関係においては「信頼の揺らぎ」や「すれ違い」が既に起きており、それら関係性の修復は困難な位置まで来ていることが読み取れます。

 最終的に示されたのは、必然の転換点、時間と因果の巡り合わせです。

 すぐに何が起こるというわけではないものの、あるべき時に、あるべき変化が訪れる。
 これにより、本人が何を見て、何を失い、何を選ぶのかは、その瞬間に試されることになるものと考えられます。

🌙問いを残す

 私はこの人物に対し、「不誠実」と決めつけるつもりはありません。

 しかしながら、事故後の対応から感じる温度差とズレに、引っかかりを覚えていることも事実です。それこそが、本鑑定の動機でもあります。

 鑑定結果から、「何も起きていないように見えるいま」が全てではないことを読みましたので、真偽はさておき、問いとしてこの記事に残します。

◆鑑定③:真相は明らかになるのか/報いは返るのか ― 因果という問いに、カードが答えるなら

 本件に関し、事実関係のすべてが明らかになっているわけではありません。この前提を踏まえ、どうしても気になる問いがあります。

 この事故の本当の姿は、いずれ明らかになるのか。

 そしてもし、関係者の中に意図して事実を歪めた存在がいるとすれば、その報いはどこかで返るのか。

 これらは加害者への処罰感情だけでなく、鑑定を通し”因果”に向き合って来たからこそ尋ねたい問いでもありました。

🔍真相は明らかになるか?

 曖昧さを排し、はっきりとした言葉や事実が提示されるカードが示されました。

 たとえ今は霧の中にあっても、然るべきタイミングで避けがたい事実が明るみに出る可能性が高い、と読むことができます。

 それは制度的なものなのか、それとも、偶然の結果なのかまではわかりませんが、いずれにせよ、真実を突きつける刃がもたらされるという強い暗示です。

🔍嘘をついているなら報いは返るのか?

 この問いに対し、「与えられるべき豊かさが失われていく」という答えが示されました。

 仮に誰かが事実を歪めているとすれば、その人物はやがて、人の情けや支えから遠ざかる可能性が高い。それは罰のように見えますが、「育まれぬ人生」としてじわじわ蝕まれていく。

 報いとは、何かを失うという形でやってくることもある―――そう語っているように見えました。

🌙まとめて問いを

 これらの問いについて、私は断定するために鑑定したわけではありません。
 単に、心にある引っかかりに形を与え、違和感を特定するために鑑定の力を借りたのです。

 ですので、本記事をご覧の皆さんが決めてください。どこまで信じるか。

◆結びにかえて ― 占いは真実を語るのか?

 ここまでご覧くださった方の中には、「占いでそんなことがわかるのか」と疑問を抱かれている方もいらっしゃるかもしれません。

 実際、鑑定を行った私自身も迷い、何度も疑いながら行いました。

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私は行政書士であり、占い師でもあります。
 そして、本件においては事故の「被害者」でもあります。

 そのような私が占った結果ですので、客観性を欠く部分もあるかもしれません。

 けれど私は、どうしても知りたかったのです。

 「この違和感はどこから来ているのか」。
 そして、何を信じて生き直せばいいのだろうか――と。

🌙占いは、暴く道具ではなく、整えるための言葉

 占いは、真実を断定するものではありません。

 では何かといえば、“正解”を提示するのではなく、人が自分の心と向き合うための言葉の形を変えたものです。

 今回の鑑定についても、悪者を決めたいわけではありません。

 単に、起きたことに意味を与える言葉がほしかった。その言葉の輪郭を見つけるために、鑑定の力を借りただけなのです。

📖どこまで信じるかは、あなたが決めていい

 本記事を読み、信じられると感じる方もいれば、「所詮は占い」と思う方もいらっしゃるでしょう。どちらも正しいです。

 占いとは、信じるべきものではなく、使うものと考えています。

 ヒントになるなら使えば良いし、違和感があればそっと閉じれば良い。

 ただひとつだけ、この記事を通して伝えたかったことがあるとすれば──

「逃げた人にも、完結しない物語は残る」
「真実は、静かに、確かに、巡ってくる」

 私はそう信じ、生きていくつもりです。

 そして、この言葉が誰かの心に届いたとき、今回の鑑定が“意味のある問い”として成立するのかもしれません。

奢る?割り勘? それぞれの“地図”が違うだけだった|恋愛と承認の話

当サイトの一部に広告を含みます。

※このテーマに関連したYouTube動画はこちら
📺 なぜ男女は奢りですれ違うのか?|恋愛における価値観の違いとは

関連投稿

 SNSを見ていると、

「奢るべき?」

「割り勘ってどうなの?」

 そんな言葉が不定期にアップされ、炎上しかけたり、議論になっていることがあります。

 この論争は何度も繰り返されているにもかかわらず、「いつも噛み合わないまま終わるなあ」と感じていました。

 今回はこのテーマに動画で向き合い、コメント欄でいただいた声を読みながら、改めて感じた事を少し、文章に残してみようと思います。

すれ違いを生む構造

 奢るか、割り勘か。これ自体は“どちらが正しいか”ではなく、お互いが理想とする関係の違いではないでしょうか。

 私が動画で使った表現を用いますと、それは単に立っている“地図”が異なるだけ。

  • 男性にリードしてほしい人
  • 対等でありたいが、少しは甘えさせてほしい
  • 自立した関係を望む
  • 「奢れなければ男ではない」と考えている

 いずれも、本人なりの誠実さから来ている場合がほとんどで、だからこそ「わかり合えない」ではなく、「交わらない」のではないかと感じています。

昔の恋愛:役割分担ベース

 昭和から平成初期にかけての恋愛では、

  • 男性:経済的に支える
  • 女性:仮定的に支える

という性別による役割分担が前提にあり、それが恋愛や結婚にも色濃く反映されていました。

 そのため、この時代における「奢り」とは、男性は誠意や力強さの象徴として、女性は「守られる存在」であることを期待され、それを受け入れることで関係が成立していたのではないでしょうか。

現代の恋愛:対等関係ベースのはずが…

 現代では、男女ともに働くようになっています。

 けれど現実には、制度も心構えも中途半端にしかアップデートされていません。

  • 経済的には平等を求める
  • 恋愛では依然として「男らしさ/女らしさ」が残っている

 その結果、

奢って当然。でも、収入は平等!

のように、矛盾に苦しむ人が増えているのだと推察します。

 特に女性の中には、

  • 自立を重視しながらも、特別扱いされたいという願望が見える
  • 私は奢られたいが、奢られる=依存ではないと主張するジレンマ

 一方、男性の中でも、

  • 平等志向になりつつも、「奢らなければ評価されない」不安がある
  • どちらにせよ評価軸が「金」になることへの不満

があるようです。

奢ることは主導権の象徴か

 奢る・奢られる問題について、表層的にはお金の話ですが、その根底には「主導権」や「序列」があります。たとえば、

  • 奢られる=弱者ではないか、と女性が嫌がる場合がある
  • 奢らせる=支配されている気がする、と感じる男性もいる

 つまり、現代の恋愛は外観こそ平等ですが、じつは主導権争いをしていることが多いのだと考えています。

【恋愛の地図】奢る・奢られる問題

タイプ思考ニーズ相手に求めるもの
古風な女性男性がリードすべき特別扱いされたい経済的支援、誠意
自立志向の女性対等でありたいが、甘えも許されたい理解、心理的ケア気遣い、心理的配慮
古風な男性女性を守るのが男の役目尊敬されたい感謝、頼られること
平等志向の男性対等でいたい人間的理解金以外での評価

奢り問題は、どちらが正しいではなく、どの恋愛観に自分が立っているかを把握しない限り、毎回の関係が摩擦になるのではないでしょうか。

コメント欄という“対話の場”

 本テーマの動画に対し、いくつか印象深いコメントをいただきました。

 たとえば、

昔は男性が奢るのが当たり前だった。そうでなければ、“女性を幸せにできない”と見なされるような空気もあった

というご経験を語ってくださった方もいました。

 けれど、今は女性も発言力を持ち、社会的にも対等な立場で働けるようになってきたからこそ、
「奢られること」に違和感を持つという声が出てくるのかもしれません。

 また、

SNSの発展で情報に触れる機会は増えたけれど、対話の場はむしろ減っているようにも思う

といったご意見も。

 発信者の意図が正しく伝わらず、切り取られて広まってしまうことへの不安や、“語り合うこと”の大切さを改めて感じた──という声もありました。

 この点、私自身もかつて、「奢ってもらえないこと」を通じ、大切にされていないように感じたことがあります。

 しかしそれは、相手が不誠実だったのではなく、私が立っていた“地図”はそうだっただけかもしれません。

おわりに:正解じゃなくて、重なれるかどうか

 このテーマに、結論はありません。

 なぜなら、人はそれぞれ、違う背景と異なる地図を持っているから。

 けれど、違うままにしておける関係や、違いを理解しようとする姿勢をもつことで、少しずつ“対話”をつないでいけるのだと思っています。

 動画でも触れましたが、我々は今、演出し、選ばれ、承認され──そんな風に自分を社会に差し出す場面を増やしています。

 だからこそ、「着飾らなくても大丈夫な場所」であったり、「そのまま話せる関係」を持つことで、救われる人もいるのではないでしょうか。

関連投稿

【追伸】

動画はこちらからご覧いただけます:
▶︎ なぜ男女は奢りですれ違うのか?|恋愛における価値観の違いとは

INFJ(提唱者型)のリアル|行政書士×発信者×感情重視人間の葛藤と生存戦略

当サイトの一部に広告を含みます。

「あなたはINFJです」

 そう診断され、納得する部分もあったが、すこし嫌になり、やや誇らしくなった。

 MBTIで言うところの“提唱者型”だった。一応、「希少型」とされているらしいが、SNSを見渡せばINFJだらけじゃないか。

 しかも、よく紹介されている特徴――「理想が高い」「共感性が強い」「静かに情熱を燃やす」――それ、本当に私のことなのか。実際は、そんなに綺麗なものではない。

 器用ではないし、人間関係でよく傷つき、いつも感じすぎて疲れる。

 けれど、この診断を機に、私は「自分がどういう人間で、どうやって生きていきたいか」をようやく言葉にできた気がしている。

 この記事では、行政書士として働きながら、発信活動をして、生きづらさと向き合ってきたINFJのリアルを記録します。

🟪 1. INFJ診断との出会いと違和感

 MBTIという言葉を初めて知ったのは、たしかTwitterだった。

 自己診断や16タイプ、INTJとかENFP、なにやら記号のようなものが飛び交い、はじめは正直、流行りの血液型占いの発展系くらいに思っていた。

 話のタネにと考え、試しに診断してみたら「INFJ」。結果に表示される“希少型”の文字に警戒心が首をもたげる。

 「理想主義者」「人の感情に敏感」「一人の時間が必要」「人のために動くけど、自分を守れない」
――書かれていることに思い当たるところはある。だが、なんだろうか。この居心地の悪さ。

 そんな中で最も刺さった言葉。それは、

「INFJは、“自分を理解してくれる人なんていない”と思いながらも、それでも“誰かが気づいてくれる”はずだと信じている」

 という点だった。嫌な感じだ。わかってほしいくせに、わかってほしくない。そんなめんどくさい性分…図星である。

🟪 2. 「わかる」と「いや、ちがう」のせめぎあい

 INFJの解説を読みながら、「わかる」と「そうじゃない」とがせめぎ合った。

「理想を追う」――わかる。しかし、理想を言語化できぬ時期のほうが長かった。
「人の感情に敏感」――わかる。けれど、そのせいで“見なかったことにする”癖もついた。
「独特の世界観がある」――わかる。だが、“人と違う”ことがそんなに誇れるものだろうか。

 これらを踏まえ、いまだに「INFJ」だと名乗ることが気恥ずかしい。

 希少型だからではない。理想があるからでもない。

 名前が与えられることで、世界が固定されるのが怖いのだと思う。

 しかしようやく、MBTIを通し「他人と自分は、前提からして異なる」ことを受け入れられるようになったのも事実だ。

🟩 3. INFJで行政書士?実際どうなの?

 「INFJに向いている職業」として、カウンセラーや作家、福祉系の仕事が挙げられていた。

 その点、私は行政書士という、どちらかといえば「制度」と「文書」を扱う、感情から遠い仕事を選んだ。

 書類作成に感情はいらない。条文と条文の間に気持ちを挟んでも、申請書類は通らない。

 むしろ感情を混ぜすぎると、非効率でミスが起きる世界だ。

 ――にもかかわらず、この仕事を選んだのは、“言葉で人を守れる”からだ。

 私にとって、契約書の一文と遺言のひと言、いずれも、人生の“痛み”や“願い”の置き換えである。書類を整えることは、誰かが不安を抱えていた場所に、小さな手すりを設けること。

 感情を語らず、感情に応えることができる。

 それがINFJとしての私に、ちょうどよかったのだと思う。

 ただ、制度の隙間に人がこぼれていくのを見ると、何もできなかった自分を責め、理想を掲げすぎて現実から乖離していると感じると、内省モードに入ってしまう。

 書類が完成しても、胸中ではいつも「これでよかったのか」と自問している。

 INFJは、“やるべきこと”と“やりたいこと”が一致しないとき、静かに自分を蝕んでいくところ、あると思う。

🟦 4. 感情を持ち込む仕事・持ち込めない発信

 私は、発信をしている。

 YouTubeやnote、ブログ、X――これらの媒体において、行政書士として情報を出すことも多いが、どちらかといえば、感情のほうがよく出ているのではないだろうか。

 正論は、検索すればすぐに見つかる。

 だが、それらが誰を救い、誰を置き去りにするのか、そういった部分を言葉で記録したかった。

 だから私は、あえて感情を持ち込んでいる。誰かの心にひっかかる言葉を届けるために。

 ただし、こうした行動はINFJにとって、結構リスクだったりもする。

 なぜなら、感情を曝け出すのと同時に、批判や無理解を浴びることになる。

 コメントひとつを何日も引きずるし、「どうせ本気じゃないんだろう」と向けられる冷めた目に、自分の信念ごと冷やされることもある。

 それでも私はやめなかったし、厳密には、辞められなかった。

 誰にも届かなくてもいいんだ。でも、誰かひとりにだけでも、「あなたの言葉があったから頑張れた」と思ってもらえる可能性があるうちは、それが続ける理由になる。

🟧 5. INFJにとっての“生きること=意味を問うこと”

 INFJはおそらく、「なぜそれをやるのか」と動機の部分を毎日考えるタイプだ。

 楽しいときでさえ、「この楽しさに意味はあるか」と不安になり、頑張っているときほど、「これは誰のためか」「本当に必要なのか」の問いが脳裏をよぎる。

 これは性分だ。自分でさえ、止められない。

 公私を問わず、常に意味を探す。それがINFJの“厄介さ”であり、“誠実さ”でもある。

 だから、目先の目標や数字、外部からの評価だけで続けることが難しい。その裏側に「なぜ、私はそれをするのか」の答えがなければ、先に心がすり減る。

 逆に言えば、「やる意味」を見つけたINFJはとんでもなく強い

 周りに理解されず、共感が得られなくても、「これは自分にとって意味がある」と確信すれば、淡々と、しかし確実に、そこに立ち続ける。

 私がいまも、行政書士であり、発信者としてここにいるのは、「制度や仕組みのなかに置き去りにされている誰か」に気づき、言葉の形を借りて手を差し出したいと願っているからだ。

🟨 6. INFJが稼ぐという矛盾と希望

 INFJが稼ぐこと。それは何だか、とてつもなく矛盾している気がする。

 自分本位にお金を受け取ることに罪悪感を抱き、値付けをすれば「本当に価値はあるのか」と不安に苛まれ、儲かると必ず、誰かを犠牲にしていないかと恐ろしくなる。

 正直なところ、金の話をする自分がいまだに好きになれない。

 しかしながら、生きるには金が要る。

 梅(愛犬)や善(愛鳥)の生活や治療、進学、事務所の維持についても、理想だけではどうにもならない。

 だから私は、「稼ぐ」という言葉に自分なりの意味を与えた。

 私にとって稼ぐとは、「誰かを支える手段を自分の手で持ち続ける」ことである。

 誰かの声を文章にして届け、制度を知らぬ誰かに安心を提供し、絶望する誰かの「何とかなる」に寄り添う。そうして人のそばに立ち続けるには、お金が必要だった。

 INFJという特性を持つ自分が、発信を通して対価を受け取る覚悟ができたのは、「全てに意味を与えた」からに他ならない。

 コンテンツを問わず、すべての言葉に、誰に向け、何のために発するかを毎回考えている。

 数字や再生回数に振り回されることもあったが、最終的な支えとなったのは、“意味を信じてくれた人”だ。

 そうして今、もう一度、「命と向き合う道」を選ぼうとしている。

命と向き合う道を選びたい理由

 愛鳥・善の治療を機に、“現場で命を支える”仕事に心が傾いた。

 獣医師にはなれない。時間と年齢を考えると、とてもじゃないが現実的とはいえない。

 しかし、愛玩動物看護師が国家資格になったことを知り、「今より一歩、近づけるかもしれない」と思った。

 もしかするとその職業は、お金になる仕事じゃないかもしれない。

 けれど、私にとって意味のある仕事だ。だからその意味を、言葉と稼ぎの両面から支えていきたい。

🟫 7. おわりに:私が提唱したいのは、たぶん「静かに生きる誇り」

 INFJという型がどれだけ私に当てはまるか。そんなことはどうでもいいのかもしれない。

 大切なのは、「どう名乗るか」ではない。「どう在りたいか」の一点だ。

 私は決して、好戦的とは言えない。声を張り、誰かを説得することに長けていない。

 だが、諦めずに目の前の誰かを見ていたい。「あなたの痛みに、私は気づいている」と伝えられる人間でいたい。

 それが私にとっての“提唱”なのかもしれない。

 声は小さくていい。泣こうが揺れようが、生き方は自分で選び続けたい。

 目の前の命を守ることに、制度と制度の間でこぼれる誰かの言葉に、ひとつひとつ、意味を与えながら。

 INFJというラベルに不満を抱く日もあった。けれどいま、こう思う。

 「私は、私でよかった」と。

 この思いにたどりつくために、この診断と発信、善との出会いをはじめ、すべてに意味があったのだと信じていたいのである。

【制度と感情の橋渡し vol.1】

当サイトの一部に広告を含みます。

相談した。でも、何もなかった。

──“制度”に拒まれたと感じたあの日のこと

 ペットショップで出会った小さな命に、私は「梅(うめ)」という名前をつけた。10年以上前のことだ。女の子で、少しおっとりした、毛並みの美しい子だった。

 購入の翌日には動物病院に連れて行き、検診も問題なし。定期的にワクチンを打ちながら、元気にすくすく育っていった。

 けれど何となく、“お腹が大きい気がする”という違和感が引っかかっていた。

 避妊手術のタイミングは、生後半年。梅もその時期を迎え、手術を受けることになった。

 そして──そこで初めて、腹水がたまっていることが分かった。

制度があるかどうかもわからない。でも、相談はした

 動揺した。費用のことも、何より彼女の健康のことも。

 正直に言えば、「ペットショップが無茶な繁殖をしたのでは…」との考えがよぎった。

 だが、返品なんて考えられない。

 ひとまず、補償──何か、制度的な救済措置があるのではとわずかな希望を抱き、購入先のペットショップに問い合わせた。

 結果は、見事に玉砕だった。

 「契約書に書いてあります」
 「健康診断は済ませており、問題はありませんでした」
 「ブリーダー情報はお出しできません」

 何一つ、“救おう”とする言葉は返ってこなかった。

 購入から数か月後に届いた血統書から、自力でブリーダーを特定して連絡を取った。

 やっと繋がった電話の向こう、相手は開口一番「うちには関係ない」。そして即座に、電話を切った。

行政も、制度も、なにもなかった

 病名がはっきりしたのは、さらに時間が経ってからだ。

 先天性の右心不全だった。

 原因が特定されるまでの間も、どんどん腹水がたまった。けれど、それを抜けば栄養も抜ける──そんなギリギリの状態を繰り返した。

 市役所や保健所、加入を検討していたペット保険会社等に問い合わせた。

 「何か救済制度はありませんか」

 答えは、すべて「ありません」だった。

「制度」とは、本当に“ある”と言えるのか

 この経験は、私の中で一つの問いを残した。

制度は、守るときには出てこないくせに、拒むときには限りなく”それらしい”顔をする。
それがどれほど人を追い詰めるか、制度を作った本人たちはご存じなのか。

 制度の有無以前に、我々が保護されない理由が次々と変わることこそが最大の問題だった。

 法律上、ペットは「モノ」だというわりに、PL法は適用されない。

 動物愛護を叫びながら、愛護の対象となるときだけ都合よく扱われている。

 動物の販売は合法なのに、購入後の問題については一切制度が絡んでいない。

 要するに、制度がないことではなく、制度の矛盾に翻弄されたことに怒りを感じていた。

制度を語るだけでは誰も救えない

 それから5年後、私は行政書士になった。そして思う。

 人は、制度の中にいない。
 人はいつも、制度の外側で立ち尽くす。

 だから私は、制度と感情の“橋”をかけたい。その橋を渡る人がいる限り、私は言葉を届けていきたい。

▶ 次回:制度にたどり着けなかった人へ──「質問できなかった、あの日の私へ」

📌 関連記事・動画リンク


✍️ 編集後記(optional)

 この話を公開することに、ずっと迷いがありました。

 しかし、同じように「何もなかった」と思ってしまった人に、せめて「ひとりじゃない」と伝えられたらと思って書いたものです。

バラと牛乳と、わたしたちの家族:あたしンち劇場版に泣かされた夜

当サイトの一部に広告を含みます。

 私は、「あたしンち」を毎日観ている。食事の支度中、あの家族がいつもいる。

 今日、「劇場版あたしンち 情熱のちょ~超能力♪母 大暴走!」を観て、いつもと同じ光景に笑いながらも、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

 母が変身し、バラが咲く。そのどれもがさみしさを抱えていて。

 調子に乗る母、怒るみかん、間に立つ父、困るユズヒコ。

 それは日常の延長のようでいて、気づけば「家族とはこういうものなのか」と考えさせられる。

 鈍く痛み、どこか懐かしい時間だった。

 今回は、いつもの”あたしンち”と少し異なる本作が見せた家族の矛盾と、その構造の描き方について書きたい。

母と娘はぶつかるが―

 本作のうち、印象的な朝がある。

 母が夜中に家を抜け出し、不良を”成敗”したうえ、自らの超能力を使って彼らの落書きを掃除した。

 その結果、夜が明けてしまったお母さんを待ち受けていたのはみかんだった。

 「なんで勝手なことするの!」
 「朝帰りなんて信じらんない!」

 次々と投げつけられる怒りの言葉。

 けれど本当は、みかんは怒っていない。寂しかったのではないか。

 自分に黙って外に出ていたこと、何もできず心配するしかなかった夜を。そして何より、自分の知らない場所でお母さんが何かをしていること。

 彼女はこれらの気持ちを、「怒る」という形でしか出すことができなかった。

 その結果、「お母さんがそのつもりなら私だって!」と思ってもいないことを口走る。

 高校2年生のみかんにとってはそれが精一杯の感情表現だったのだろうが、自分の存在価値を認めてほしい母に届かず彷徨うこととなった。

沈黙は「逃げ」ではない

 口論の最中、みかんは言った。

 「お父さんがどれだけ心配していたかわかっているのか」と。

 しかし、その言葉を聞いているお父さん本人は何も言わなかった。困ったように、ただそこにいる。

 普段ならぐっすり眠っている時間に、ずっと起きて帰りを待っていたのに。

 このシーンが心に残ったのは、お父さんがどちらかを肯定しようとしなかったからだ。

 みかんはただ、怒っているのではない。

 「なぜ心配させるのか」という気持ちを父の名に託し、ぶつけたのだ。

 自らの言動を母を責める形にされた父はただ、沈黙として引き受けていた。

 彼が何か言えば空気は変わっただろうが、それをすればどちらかを否定することになるだろう。

 だから黙って、そこに据わっていたのではないか。

 家族の中で何も言わぬことは、逃げではない。お父さんは単なる”寡黙な人”ではなく、家族のバランスを支える空白の芯なのだ。

ちゃんと見ていた

 この朝、終始沈黙していたのは父だけではない。ユズヒコもそうだ。

 みかんが怒鳴り、母が言い返し、父が沈黙を守る中で、ユズヒコはひと言も発しなかった。

 しかしそれは、何も考えていないからではない。むしろ彼は、いつも家族の全体を見ている。

 あたしンちという物語において、ユズヒコの立ち位置は絶妙だ。

 自分から積極的に場を動かすことはあまりないものの、みかんの言い分に頷き、母の言葉に首を傾げ、小さな仕草で今の空気を読みながらバランスを保っている。

 集団の中に1人はいる空気を壊さない存在。

 このような存在は、責任を問われることは少ないが、誰からも真正面で受け止めてもらえないことがある。声を上げないことがそのまま「無感情」なわけではないのに。

 けれど、本作での彼はヒーローだ。

 みかんが怒りに任せて部屋を飛び出そうとしたとき、母の力が暴走し、家族や家具が宙に浮かんで大混乱となる。

 その騒動を止めたのは、他でもないユズだった。

 父の足を掴み、ジャイアントスイングのように回して母に投げつけ、「これがホントの投げキッス」―。

 シリアスな場面がギャグに寝返り「ふふふ」と笑ってしまったが、家族を現実に戻す大事な一撃だったことに違いはない。

 ユズヒコという存在は、立花家最後の調整役なのかもしれない。

家族と社会での立場

 本作の中で、人の役割について考えさせられるシーンがある。

 たとえば、お母さんの場合。家庭内では太陽のような存在で、誰より行動的で感情がストレート。けれど、一歩外に出た途端、大人しくなる。

 超能力を手に入れ社会の役に立とうとしたのに、家族からは「外で超能力を使うな」と規制される。「母親はこうあるべき」という圧力と、母自身がもつ”期待を裏切りたくない”気持ちの板挟みが垣間見える。

 そして、お父さん。家では何もしないように見えるが、いざ「お父さんが心配していた」と引き合いに出されただけで、言葉に重みが出る。普段の沈黙の価値がここで発揮される。

 みかんは感情の矛先を間違えることもあるが、誰より家族の動きを察しており、母を”止める”役割を無意識に引受けている。その立ち回りは、反抗期の娘というひと言で片づけられることもある。

 ユズヒコの場合、何もしていないように見えるが、肝心な場面では誰より気転が利く。

 家庭内における役割と価値と、社会が与える評価とはまったく異なる。

 声を出した人、動いた人、見ていた人、支えていた人。

 それぞれが確かに何かをしているのに、ラベルを貼られた瞬間に歪む。

 あたしンちはそれを、笑える形で見せてくれることも多い。そのうえで、自分も誰かをそんな風に見ていたのではないかと気づかせてくれるのだ。

 おわりに:矛盾だらけ、それが家族なのかもしれない

 母が夜中に抜け出し、みかんが激怒し、父は黙り、ユズは投げキッスを仕掛ける。

 家族全員がちぐはぐで噛み合わず、しかしどこかではきちんと繋がっている。

 本作を観て笑い、何だか泣きたくなったのは、「家族はこんなにもぶつかって、それでも一緒に生きている」ことに気づいたからだと思う。

 怒って、泣いて、笑って、バラが咲き、牛乳を流し込む。そして最後には「おかえり」と「ただいま」がある。

 家族は、うまくいかない。だが、うまくいかないからこそ誰かが踏ん張り、黙って見守り、ふざけ、笑い合いながら元に戻る。

 あたしンちはそれを、「超能力」として描いた。

 とんでもない設定だが、私たちが忘れているふつうの家族のリアルが生きていた。 

関連投稿

【レビュー】生ごみが臭わない暮らしへ|loofen生ごみ処理機を使ってわかったこと

※当サイトの一部に広告を含みます。

「またコバエ…」そんな日常とさよならしたくて

 ゴミ箱の蓋を開けた瞬間、鼻をつく悪臭と飛び交う小バエ。こまめに捨てているのにどうして?と思うことはありませんか?

 私も、そうでした。

 しかし、生ごみ処理機「loofen」と出会い、暮らしはガラリと変わりました。

 この記事では、loofenを実際に使ってみた感想と、私が受け取れた補助金の話、気になる電気代やランニングコストまで、包み隠さず、丁寧にお伝えします。

  • ゴミ出しがストレスになっている人
  • 生ごみの臭いに悩んでいる人
  • loofenが気になっている人

 そんなあなたの参考になれば嬉しいです。

loofenってどんな機械?

 loofenは、家庭用の感想紫希生ごみ処理機です。

 生ごみを本体に入れるだけで、AIが最適な乾燥時間を判断し、ニオイや虫の発生源となる水分・バクテリアを取り除いてくれます。

サイズたて27cm×奥行き27.5cm×高さ35cm
※脱臭フィルターを含むと奥行きは約37cm
重さ6kg
容量最大約1kg
※焼く5L分の生ごみ
消費電力10W~130W
(AI制御)
処理時間1~8時間
※乾燥時間はAI自動調整
脱臭フィルター

 扉を開けてバスケットにゴミを入れたら、あとは電源ボタンを押すだけ。

 操作はボタンひとつだけなので、誰でも迷わず使うことができます。

loofenを実際に使ってみた

 朝、りんごとバナナを剥いた後の皮や芯。

 これまでなら、袋に入れて口を結び、ゴミ箱へ直行でした。

 でも、今は違います。

  1. loofenのバスケットに専用の不織布をセット
  2. 生ごみをそのまま投入
  3. 電源ボタンを押すだけ

 たったこれだけで、数時間後には生ごみがカラッカラに。

あとは、本体の電源ボタンを入れれば、自動で乾燥してくれます。

 今回、スケジュールの都合で約3時間後に開けてみましたが、しっかりと乾燥できていて感動です。

 もちろん、最大8時間しっかり稼働させると、さらにコンパクトになります。

 そして、乾燥したゴミは手で簡単に砕けますので、家庭菜園や観葉植物の肥料にも活用できます。

loofenのデメリット(正直レビュー)

1.バスケットのメッシュが外しづらい

 バスケット底面に付いている水切り用のメッシュがちょっと厄介。

 洗うたびに取り外すのが少し手間で、「ツメ」が折れそうでヒヤヒヤします。

 頻繁に掃除される方は、この点が気になるかもしれません。

2.本体価格が高い

 税込価格は64,680円(執筆時点)。

 決して気軽に買える価格帯ではありませんが、「ニオイが出ない」「虫が湧かない」「ゴミ出し回数激減」など、効果は価格以上。

 私は、買って良かった家電No.1だと感じています。

 また、自治体の補助金制度を活用すると、実質1~2万円で購入できるケースもあります(詳しくは後述)。

3.意外と場所を取る

 サイズは事前に確認していたつもりでしたが、実物は想像より大きめ。

 特に、背面の脱臭フィルターの厚みを考えると奥行きがさらに必要です。

 キッチンが手狭なご家庭ですと、事前の設置スペース確認は必須。

 私はニトリの3段ワゴンに載せて使っていますが、横幅は少しはみ出ています。

4.ランニングコストがかかる

 消耗品として、以下が必要です。

項目価格交換目安年間コストの目安
脱臭フィルター(2本)4,574円3~6か月ごと約9,000~18,000円
専用不織布ネット(20枚)2,280円必要に応じて不定期(任意)

 毎日使う場合、年間で最大2万円ほどのコストがかかります。

 ただし、夏場だけフル稼働するなど、使い方を工夫することで抑えられる可能性はあります。

loofenのメリット(ここが推せる!)

◎ゴミ捨ての回数が減った

 週2回のゴミ出しが、月1~2回で済むようになりました。

 生ごみが9割を占めていたことに気づき驚愕ですが、ゴミ袋の消費量も減り、エコで経済的にも◎

◎臭いがしない。虫が出ない

 loofenの脱臭フィルターは本当に優秀。

 稼働中にフタを開けても、ニオイはまったく気になりません。

 乾燥後の生ごみは、まるで乾燥野菜のような香りすら感じられるほど。

◎キッチンに馴染むシンプルデザイン

 今回購入したグレーは、家電っぽさがなくインテリアに溶け込む色合い。

 正直、ピンクやブルーのラインナップしかなければ購入に至っていなかったと思います。

◎ごみ→肥料へ。小さな循環が気持ちいい

 乾燥した生ごみは、家庭菜園や観葉植物の肥料に再利用可能。

 うちの自治体では、余った肥料を市役所に持ち込むと、トイレットペーパーと交換してもらえる制度があります。

 「ごみではなく、次に役立てる資源なんだ」

 そう思えるだけで、心が少し整う気がします。

loofenの電気代・維持費について

 平均消費電力90Wでm⑧時間使っても電気代は約20円/回。

 毎日稼働しても月額600円前後と考えると、ランニングコストは想像以上にお手頃です。

 さらに、戸内が50度に達するとAIが送風モードに切り替わりますので、常に最大出力で動くわけではない=節電設計なのも安心ポイント。

専用のカバーを使わずとも、サイズがある不織布があれば代用できるかも?

自治体の補助金制度を活用しよう!

 loofenの購入を後押ししてくれたのが、自治体の補助金制度でした。

 多くの自治体で「ごみ減量推進」を目的とした、生ごみ処理機購入費補助制度が設けられています。

よくある補助内容

補助率購入額の3分の2~4分の3
上限額3万~5万円前後
対象条件家庭での使用/転売不可/領収書や写真の提出など

私のケース(実体験)

補助率4分の3
上限額5万円
実質支払額16,000円
申請~交付決定約1.5か月
入金まで約2か月

 購入後に申請するタイプでしたが、地域により事前申請が必要な場合もありますので、必ずご確認下さい。

🔍自分の住んでいる市区町村名+生ごみ処理機 補助金
で検索してみてくださいね!

生ごみ処理機購入費補助金決定通知書

まとめ:loofenで”ごみゼロ生活”への第一歩

 loofenは、確かに大きくて高い買い物かも知れません。

 でも、臭わない・虫が出ない・ゴミが減る・肥料にできる、この4拍子が揃うだけで、「暮らしの満足度」が1段階アップしたように感じています。

 補助金を活用すれば、費用も抑えられますし、「自分の家でも使えそうかも」と感じた方はぜひ、一度チェックしてみて下さい。

👇購入はこちら(クーポンやポイント還元を活用して!)

楽天市場で見る or amazonで見る