INFJ(提唱者型)のリアル|行政書士×発信者×感情重視人間の葛藤と生存戦略

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「あなたはINFJです」

 そう診断され、納得する部分もあったが、すこし嫌になり、やや誇らしくなった。

 MBTIで言うところの“提唱者型”だった。一応、「希少型」とされているらしいが、SNSを見渡せばINFJだらけじゃないか。

 しかも、よく紹介されている特徴――「理想が高い」「共感性が強い」「静かに情熱を燃やす」――それ、本当に私のことなのか。実際は、そんなに綺麗なものではない。

 器用ではないし、人間関係でよく傷つき、いつも感じすぎて疲れる。

 けれど、この診断を機に、私は「自分がどういう人間で、どうやって生きていきたいか」をようやく言葉にできた気がしている。

 この記事では、行政書士として働きながら、発信活動をして、生きづらさと向き合ってきたINFJのリアルを記録します。

🟪 1. INFJ診断との出会いと違和感

 MBTIという言葉を初めて知ったのは、たしかTwitterだった。

 自己診断や16タイプ、INTJとかENFP、なにやら記号のようなものが飛び交い、はじめは正直、流行りの血液型占いの発展系くらいに思っていた。

 話のタネにと考え、試しに診断してみたら「INFJ」。結果に表示される“希少型”の文字に警戒心が首をもたげる。

 「理想主義者」「人の感情に敏感」「一人の時間が必要」「人のために動くけど、自分を守れない」
――書かれていることに思い当たるところはある。だが、なんだろうか。この居心地の悪さ。

 そんな中で最も刺さった言葉。それは、

「INFJは、“自分を理解してくれる人なんていない”と思いながらも、それでも“誰かが気づいてくれる”はずだと信じている」

 という点だった。嫌な感じだ。わかってほしいくせに、わかってほしくない。そんなめんどくさい性分…図星である。

🟪 2. 「わかる」と「いや、ちがう」のせめぎあい

 INFJの解説を読みながら、「わかる」と「そうじゃない」とがせめぎ合った。

「理想を追う」――わかる。しかし、理想を言語化できぬ時期のほうが長かった。
「人の感情に敏感」――わかる。けれど、そのせいで“見なかったことにする”癖もついた。
「独特の世界観がある」――わかる。だが、“人と違う”ことがそんなに誇れるものだろうか。

 これらを踏まえ、いまだに「INFJ」だと名乗ることが気恥ずかしい。

 希少型だからではない。理想があるからでもない。

 名前が与えられることで、世界が固定されるのが怖いのだと思う。

 しかしようやく、MBTIを通し「他人と自分は、前提からして異なる」ことを受け入れられるようになったのも事実だ。

🟩 3. INFJで行政書士?実際どうなの?

 「INFJに向いている職業」として、カウンセラーや作家、福祉系の仕事が挙げられていた。

 その点、私は行政書士という、どちらかといえば「制度」と「文書」を扱う、感情から遠い仕事を選んだ。

 書類作成に感情はいらない。条文と条文の間に気持ちを挟んでも、申請書類は通らない。

 むしろ感情を混ぜすぎると、非効率でミスが起きる世界だ。

 ――にもかかわらず、この仕事を選んだのは、“言葉で人を守れる”からだ。

 私にとって、契約書の一文と遺言のひと言、いずれも、人生の“痛み”や“願い”の置き換えである。書類を整えることは、誰かが不安を抱えていた場所に、小さな手すりを設けること。

 感情を語らず、感情に応えることができる。

 それがINFJとしての私に、ちょうどよかったのだと思う。

 ただ、制度の隙間に人がこぼれていくのを見ると、何もできなかった自分を責め、理想を掲げすぎて現実から乖離していると感じると、内省モードに入ってしまう。

 書類が完成しても、胸中ではいつも「これでよかったのか」と自問している。

 INFJは、“やるべきこと”と“やりたいこと”が一致しないとき、静かに自分を蝕んでいくところ、あると思う。

🟦 4. 感情を持ち込む仕事・持ち込めない発信

 私は、発信をしている。

 YouTubeやnote、ブログ、X――これらの媒体において、行政書士として情報を出すことも多いが、どちらかといえば、感情のほうがよく出ているのではないだろうか。

 正論は、検索すればすぐに見つかる。

 だが、それらが誰を救い、誰を置き去りにするのか、そういった部分を言葉で記録したかった。

 だから私は、あえて感情を持ち込んでいる。誰かの心にひっかかる言葉を届けるために。

 ただし、こうした行動はINFJにとって、結構リスクだったりもする。

 なぜなら、感情を曝け出すのと同時に、批判や無理解を浴びることになる。

 コメントひとつを何日も引きずるし、「どうせ本気じゃないんだろう」と向けられる冷めた目に、自分の信念ごと冷やされることもある。

 それでも私はやめなかったし、厳密には、辞められなかった。

 誰にも届かなくてもいいんだ。でも、誰かひとりにだけでも、「あなたの言葉があったから頑張れた」と思ってもらえる可能性があるうちは、それが続ける理由になる。

🟧 5. INFJにとっての“生きること=意味を問うこと”

 INFJはおそらく、「なぜそれをやるのか」と動機の部分を毎日考えるタイプだ。

 楽しいときでさえ、「この楽しさに意味はあるか」と不安になり、頑張っているときほど、「これは誰のためか」「本当に必要なのか」の問いが脳裏をよぎる。

 これは性分だ。自分でさえ、止められない。

 公私を問わず、常に意味を探す。それがINFJの“厄介さ”であり、“誠実さ”でもある。

 だから、目先の目標や数字、外部からの評価だけで続けることが難しい。その裏側に「なぜ、私はそれをするのか」の答えがなければ、先に心がすり減る。

 逆に言えば、「やる意味」を見つけたINFJはとんでもなく強い

 周りに理解されず、共感が得られなくても、「これは自分にとって意味がある」と確信すれば、淡々と、しかし確実に、そこに立ち続ける。

 私がいまも、行政書士であり、発信者としてここにいるのは、「制度や仕組みのなかに置き去りにされている誰か」に気づき、言葉の形を借りて手を差し出したいと願っているからだ。

🟨 6. INFJが稼ぐという矛盾と希望

 INFJが稼ぐこと。それは何だか、とてつもなく矛盾している気がする。

 自分本位にお金を受け取ることに罪悪感を抱き、値付けをすれば「本当に価値はあるのか」と不安に苛まれ、儲かると必ず、誰かを犠牲にしていないかと恐ろしくなる。

 正直なところ、金の話をする自分がいまだに好きになれない。

 しかしながら、生きるには金が要る。

 梅(愛犬)や善(愛鳥)の生活や治療、進学、事務所の維持についても、理想だけではどうにもならない。

 だから私は、「稼ぐ」という言葉に自分なりの意味を与えた。

 私にとって稼ぐとは、「誰かを支える手段を自分の手で持ち続ける」ことである。

 誰かの声を文章にして届け、制度を知らぬ誰かに安心を提供し、絶望する誰かの「何とかなる」に寄り添う。そうして人のそばに立ち続けるには、お金が必要だった。

 INFJという特性を持つ自分が、発信を通して対価を受け取る覚悟ができたのは、「全てに意味を与えた」からに他ならない。

 コンテンツを問わず、すべての言葉に、誰に向け、何のために発するかを毎回考えている。

 数字や再生回数に振り回されることもあったが、最終的な支えとなったのは、“意味を信じてくれた人”だ。

 そうして今、もう一度、「命と向き合う道」を選ぼうとしている。

命と向き合う道を選びたい理由

 愛鳥・善の治療を機に、“現場で命を支える”仕事に心が傾いた。

 獣医師にはなれない。時間と年齢を考えると、とてもじゃないが現実的とはいえない。

 しかし、愛玩動物看護師が国家資格になったことを知り、「今より一歩、近づけるかもしれない」と思った。

 もしかするとその職業は、お金になる仕事じゃないかもしれない。

 けれど、私にとって意味のある仕事だ。だからその意味を、言葉と稼ぎの両面から支えていきたい。

🟫 7. おわりに:私が提唱したいのは、たぶん「静かに生きる誇り」

 INFJという型がどれだけ私に当てはまるか。そんなことはどうでもいいのかもしれない。

 大切なのは、「どう名乗るか」ではない。「どう在りたいか」の一点だ。

 私は決して、好戦的とは言えない。声を張り、誰かを説得することに長けていない。

 だが、諦めずに目の前の誰かを見ていたい。「あなたの痛みに、私は気づいている」と伝えられる人間でいたい。

 それが私にとっての“提唱”なのかもしれない。

 声は小さくていい。泣こうが揺れようが、生き方は自分で選び続けたい。

 目の前の命を守ることに、制度と制度の間でこぼれる誰かの言葉に、ひとつひとつ、意味を与えながら。

 INFJというラベルに不満を抱く日もあった。けれどいま、こう思う。

 「私は、私でよかった」と。

 この思いにたどりつくために、この診断と発信、善との出会いをはじめ、すべてに意味があったのだと信じていたいのである。

【制度と感情の橋渡し vol.1】

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相談した。でも、何もなかった。

──“制度”に拒まれたと感じたあの日のこと

 ペットショップで出会った小さな命に、私は「梅(うめ)」という名前をつけた。10年以上前のことだ。女の子で、少しおっとりした、毛並みの美しい子だった。

 購入の翌日には動物病院に連れて行き、検診も問題なし。定期的にワクチンを打ちながら、元気にすくすく育っていった。

 けれど何となく、“お腹が大きい気がする”という違和感が引っかかっていた。

 避妊手術のタイミングは、生後半年。梅もその時期を迎え、手術を受けることになった。

 そして──そこで初めて、腹水がたまっていることが分かった。

制度があるかどうかもわからない。でも、相談はした

 動揺した。費用のことも、何より彼女の健康のことも。

 正直に言えば、「ペットショップが無茶な繁殖をしたのでは…」との考えがよぎった。

 だが、返品なんて考えられない。

 ひとまず、補償──何か、制度的な救済措置があるのではとわずかな希望を抱き、購入先のペットショップに問い合わせた。

 結果は、見事に玉砕だった。

 「契約書に書いてあります」
 「健康診断は済ませており、問題はありませんでした」
 「ブリーダー情報はお出しできません」

 何一つ、“救おう”とする言葉は返ってこなかった。

 購入から数か月後に届いた血統書から、自力でブリーダーを特定して連絡を取った。

 やっと繋がった電話の向こう、相手は開口一番「うちには関係ない」。そして即座に、電話を切った。

行政も、制度も、なにもなかった

 病名がはっきりしたのは、さらに時間が経ってからだ。

 先天性の右心不全だった。

 原因が特定されるまでの間も、どんどん腹水がたまった。けれど、それを抜けば栄養も抜ける──そんなギリギリの状態を繰り返した。

 市役所や保健所、加入を検討していたペット保険会社等に問い合わせた。

 「何か救済制度はありませんか」

 答えは、すべて「ありません」だった。

「制度」とは、本当に“ある”と言えるのか

 この経験は、私の中で一つの問いを残した。

制度は、守るときには出てこないくせに、拒むときには限りなく”それらしい”顔をする。
それがどれほど人を追い詰めるか、制度を作った本人たちはご存じなのか。

 制度の有無以前に、我々が保護されない理由が次々と変わることこそが最大の問題だった。

 法律上、ペットは「モノ」だというわりに、PL法は適用されない。

 動物愛護を叫びながら、愛護の対象となるときだけ都合よく扱われている。

 動物の販売は合法なのに、購入後の問題については一切制度が絡んでいない。

 要するに、制度がないことではなく、制度の矛盾に翻弄されたことに怒りを感じていた。

制度を語るだけでは誰も救えない

 それから5年後、私は行政書士になった。そして思う。

 人は、制度の中にいない。
 人はいつも、制度の外側で立ち尽くす。

 だから私は、制度と感情の“橋”をかけたい。その橋を渡る人がいる限り、私は言葉を届けていきたい。

▶ 次回:制度にたどり着けなかった人へ──「質問できなかった、あの日の私へ」

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✍️ 編集後記(optional)

 この話を公開することに、ずっと迷いがありました。

 しかし、同じように「何もなかった」と思ってしまった人に、せめて「ひとりじゃない」と伝えられたらと思って書いたものです。

バラと牛乳と、わたしたちの家族:あたしンち劇場版に泣かされた夜

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 私は、「あたしンち」を毎日観ている。食事の支度中、あの家族がいつもいる。

 今日、「劇場版あたしンち 情熱のちょ~超能力♪母 大暴走!」を観て、いつもと同じ光景に笑いながらも、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。

 母が変身し、バラが咲く。そのどれもがさみしさを抱えていて。

 調子に乗る母、怒るみかん、間に立つ父、困るユズヒコ。

 それは日常の延長のようでいて、気づけば「家族とはこういうものなのか」と考えさせられる。

 鈍く痛み、どこか懐かしい時間だった。

 今回は、いつもの”あたしンち”と少し異なる本作が見せた家族の矛盾と、その構造の描き方について書きたい。

母と娘はぶつかるが―

 本作のうち、印象的な朝がある。

 母が夜中に家を抜け出し、不良を”成敗”したうえ、自らの超能力を使って彼らの落書きを掃除した。

 その結果、夜が明けてしまったお母さんを待ち受けていたのはみかんだった。

 「なんで勝手なことするの!」
 「朝帰りなんて信じらんない!」

 次々と投げつけられる怒りの言葉。

 けれど本当は、みかんは怒っていない。寂しかったのではないか。

 自分に黙って外に出ていたこと、何もできず心配するしかなかった夜を。そして何より、自分の知らない場所でお母さんが何かをしていること。

 彼女はこれらの気持ちを、「怒る」という形でしか出すことができなかった。

 その結果、「お母さんがそのつもりなら私だって!」と思ってもいないことを口走る。

 高校2年生のみかんにとってはそれが精一杯の感情表現だったのだろうが、自分の存在価値を認めてほしい母に届かず彷徨うこととなった。

沈黙は「逃げ」ではない

 口論の最中、みかんは言った。

 「お父さんがどれだけ心配していたかわかっているのか」と。

 しかし、その言葉を聞いているお父さん本人は何も言わなかった。困ったように、ただそこにいる。

 普段ならぐっすり眠っている時間に、ずっと起きて帰りを待っていたのに。

 このシーンが心に残ったのは、お父さんがどちらかを肯定しようとしなかったからだ。

 みかんはただ、怒っているのではない。

 「なぜ心配させるのか」という気持ちを父の名に託し、ぶつけたのだ。

 自らの言動を母を責める形にされた父はただ、沈黙として引き受けていた。

 彼が何か言えば空気は変わっただろうが、それをすればどちらかを否定することになるだろう。

 だから黙って、そこに据わっていたのではないか。

 家族の中で何も言わぬことは、逃げではない。お父さんは単なる”寡黙な人”ではなく、家族のバランスを支える空白の芯なのだ。

ちゃんと見ていた

 この朝、終始沈黙していたのは父だけではない。ユズヒコもそうだ。

 みかんが怒鳴り、母が言い返し、父が沈黙を守る中で、ユズヒコはひと言も発しなかった。

 しかしそれは、何も考えていないからではない。むしろ彼は、いつも家族の全体を見ている。

 あたしンちという物語において、ユズヒコの立ち位置は絶妙だ。

 自分から積極的に場を動かすことはあまりないものの、みかんの言い分に頷き、母の言葉に首を傾げ、小さな仕草で今の空気を読みながらバランスを保っている。

 集団の中に1人はいる空気を壊さない存在。

 このような存在は、責任を問われることは少ないが、誰からも真正面で受け止めてもらえないことがある。声を上げないことがそのまま「無感情」なわけではないのに。

 けれど、本作での彼はヒーローだ。

 みかんが怒りに任せて部屋を飛び出そうとしたとき、母の力が暴走し、家族や家具が宙に浮かんで大混乱となる。

 その騒動を止めたのは、他でもないユズだった。

 父の足を掴み、ジャイアントスイングのように回して母に投げつけ、「これがホントの投げキッス」―。

 シリアスな場面がギャグに寝返り「ふふふ」と笑ってしまったが、家族を現実に戻す大事な一撃だったことに違いはない。

 ユズヒコという存在は、立花家最後の調整役なのかもしれない。

家族と社会での立場

 本作の中で、人の役割について考えさせられるシーンがある。

 たとえば、お母さんの場合。家庭内では太陽のような存在で、誰より行動的で感情がストレート。けれど、一歩外に出た途端、大人しくなる。

 超能力を手に入れ社会の役に立とうとしたのに、家族からは「外で超能力を使うな」と規制される。「母親はこうあるべき」という圧力と、母自身がもつ”期待を裏切りたくない”気持ちの板挟みが垣間見える。

 そして、お父さん。家では何もしないように見えるが、いざ「お父さんが心配していた」と引き合いに出されただけで、言葉に重みが出る。普段の沈黙の価値がここで発揮される。

 みかんは感情の矛先を間違えることもあるが、誰より家族の動きを察しており、母を”止める”役割を無意識に引受けている。その立ち回りは、反抗期の娘というひと言で片づけられることもある。

 ユズヒコの場合、何もしていないように見えるが、肝心な場面では誰より気転が利く。

 家庭内における役割と価値と、社会が与える評価とはまったく異なる。

 声を出した人、動いた人、見ていた人、支えていた人。

 それぞれが確かに何かをしているのに、ラベルを貼られた瞬間に歪む。

 あたしンちはそれを、笑える形で見せてくれることも多い。そのうえで、自分も誰かをそんな風に見ていたのではないかと気づかせてくれるのだ。

 おわりに:矛盾だらけ、それが家族なのかもしれない

 母が夜中に抜け出し、みかんが激怒し、父は黙り、ユズは投げキッスを仕掛ける。

 家族全員がちぐはぐで噛み合わず、しかしどこかではきちんと繋がっている。

 本作を観て笑い、何だか泣きたくなったのは、「家族はこんなにもぶつかって、それでも一緒に生きている」ことに気づいたからだと思う。

 怒って、泣いて、笑って、バラが咲き、牛乳を流し込む。そして最後には「おかえり」と「ただいま」がある。

 家族は、うまくいかない。だが、うまくいかないからこそ誰かが踏ん張り、黙って見守り、ふざけ、笑い合いながら元に戻る。

 あたしンちはそれを、「超能力」として描いた。

 とんでもない設定だが、私たちが忘れているふつうの家族のリアルが生きていた。 

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【レビュー】生ごみが臭わない暮らしへ|loofen生ごみ処理機を使ってわかったこと

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「またコバエ…」そんな日常とさよならしたくて

 ゴミ箱の蓋を開けた瞬間、鼻をつく悪臭と飛び交う小バエ。こまめに捨てているのにどうして?と思うことはありませんか?

 私も、そうでした。

 しかし、生ごみ処理機「loofen」と出会い、暮らしはガラリと変わりました。

 この記事では、loofenを実際に使ってみた感想と、私が受け取れた補助金の話、気になる電気代やランニングコストまで、包み隠さず、丁寧にお伝えします。

  • ゴミ出しがストレスになっている人
  • 生ごみの臭いに悩んでいる人
  • loofenが気になっている人

 そんなあなたの参考になれば嬉しいです。

loofenってどんな機械?

 loofenは、家庭用の感想紫希生ごみ処理機です。

 生ごみを本体に入れるだけで、AIが最適な乾燥時間を判断し、ニオイや虫の発生源となる水分・バクテリアを取り除いてくれます。

サイズたて27cm×奥行き27.5cm×高さ35cm
※脱臭フィルターを含むと奥行きは約37cm
重さ6kg
容量最大約1kg
※焼く5L分の生ごみ
消費電力10W~130W
(AI制御)
処理時間1~8時間
※乾燥時間はAI自動調整
脱臭フィルター

 扉を開けてバスケットにゴミを入れたら、あとは電源ボタンを押すだけ。

 操作はボタンひとつだけなので、誰でも迷わず使うことができます。

loofenを実際に使ってみた

 朝、りんごとバナナを剥いた後の皮や芯。

 これまでなら、袋に入れて口を結び、ゴミ箱へ直行でした。

 でも、今は違います。

  1. loofenのバスケットに専用の不織布をセット
  2. 生ごみをそのまま投入
  3. 電源ボタンを押すだけ

 たったこれだけで、数時間後には生ごみがカラッカラに。

あとは、本体の電源ボタンを入れれば、自動で乾燥してくれます。

 今回、スケジュールの都合で約3時間後に開けてみましたが、しっかりと乾燥できていて感動です。

 もちろん、最大8時間しっかり稼働させると、さらにコンパクトになります。

 そして、乾燥したゴミは手で簡単に砕けますので、家庭菜園や観葉植物の肥料にも活用できます。

loofenのデメリット(正直レビュー)

1.バスケットのメッシュが外しづらい

 バスケット底面に付いている水切り用のメッシュがちょっと厄介。

 洗うたびに取り外すのが少し手間で、「ツメ」が折れそうでヒヤヒヤします。

 頻繁に掃除される方は、この点が気になるかもしれません。

2.本体価格が高い

 税込価格は64,680円(執筆時点)。

 決して気軽に買える価格帯ではありませんが、「ニオイが出ない」「虫が湧かない」「ゴミ出し回数激減」など、効果は価格以上。

 私は、買って良かった家電No.1だと感じています。

 また、自治体の補助金制度を活用すると、実質1~2万円で購入できるケースもあります(詳しくは後述)。

3.意外と場所を取る

 サイズは事前に確認していたつもりでしたが、実物は想像より大きめ。

 特に、背面の脱臭フィルターの厚みを考えると奥行きがさらに必要です。

 キッチンが手狭なご家庭ですと、事前の設置スペース確認は必須。

 私はニトリの3段ワゴンに載せて使っていますが、横幅は少しはみ出ています。

4.ランニングコストがかかる

 消耗品として、以下が必要です。

項目価格交換目安年間コストの目安
脱臭フィルター(2本)4,574円3~6か月ごと約9,000~18,000円
専用不織布ネット(20枚)2,280円必要に応じて不定期(任意)

 毎日使う場合、年間で最大2万円ほどのコストがかかります。

 ただし、夏場だけフル稼働するなど、使い方を工夫することで抑えられる可能性はあります。

loofenのメリット(ここが推せる!)

◎ゴミ捨ての回数が減った

 週2回のゴミ出しが、月1~2回で済むようになりました。

 生ごみが9割を占めていたことに気づき驚愕ですが、ゴミ袋の消費量も減り、エコで経済的にも◎

◎臭いがしない。虫が出ない

 loofenの脱臭フィルターは本当に優秀。

 稼働中にフタを開けても、ニオイはまったく気になりません。

 乾燥後の生ごみは、まるで乾燥野菜のような香りすら感じられるほど。

◎キッチンに馴染むシンプルデザイン

 今回購入したグレーは、家電っぽさがなくインテリアに溶け込む色合い。

 正直、ピンクやブルーのラインナップしかなければ購入に至っていなかったと思います。

◎ごみ→肥料へ。小さな循環が気持ちいい

 乾燥した生ごみは、家庭菜園や観葉植物の肥料に再利用可能。

 うちの自治体では、余った肥料を市役所に持ち込むと、トイレットペーパーと交換してもらえる制度があります。

 「ごみではなく、次に役立てる資源なんだ」

 そう思えるだけで、心が少し整う気がします。

loofenの電気代・維持費について

 平均消費電力90Wでm⑧時間使っても電気代は約20円/回。

 毎日稼働しても月額600円前後と考えると、ランニングコストは想像以上にお手頃です。

 さらに、戸内が50度に達するとAIが送風モードに切り替わりますので、常に最大出力で動くわけではない=節電設計なのも安心ポイント。

専用のカバーを使わずとも、サイズがある不織布があれば代用できるかも?

自治体の補助金制度を活用しよう!

 loofenの購入を後押ししてくれたのが、自治体の補助金制度でした。

 多くの自治体で「ごみ減量推進」を目的とした、生ごみ処理機購入費補助制度が設けられています。

よくある補助内容

補助率購入額の3分の2~4分の3
上限額3万~5万円前後
対象条件家庭での使用/転売不可/領収書や写真の提出など

私のケース(実体験)

補助率4分の3
上限額5万円
実質支払額16,000円
申請~交付決定約1.5か月
入金まで約2か月

 購入後に申請するタイプでしたが、地域により事前申請が必要な場合もありますので、必ずご確認下さい。

🔍自分の住んでいる市区町村名+生ごみ処理機 補助金
で検索してみてくださいね!

生ごみ処理機購入費補助金決定通知書

まとめ:loofenで”ごみゼロ生活”への第一歩

 loofenは、確かに大きくて高い買い物かも知れません。

 でも、臭わない・虫が出ない・ゴミが減る・肥料にできる、この4拍子が揃うだけで、「暮らしの満足度」が1段階アップしたように感じています。

 補助金を活用すれば、費用も抑えられますし、「自分の家でも使えそうかも」と感じた方はぜひ、一度チェックしてみて下さい。

👇購入はこちら(クーポンやポイント還元を活用して!)

楽天市場で見る or amazonで見る

【Venti対応】TYESO ストロー付きタンブラーが最強過ぎた話

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スタバ歴10年超、ようやく「理想のタンブラー」に出会いました

 スターバックスに通い始め、もう10年近くになります。

 いつも頼むのはVentiサイズのドリンク。大容量だからこそ、長時間の仕事や移動中にもぴったりなんですよね。

 しかし、ひとつだけ不満がありました。

Ventiサイズに対応するマイタンブラーが見つからん…!

 スタバ公式から出ているタンブラーはGrande(470ml)までがほとんどで、私がいつも飲んでいるVenti(590ml)には及びません。

 たまにVenti対応品が出てもコールド専用だったりして、なかなか理想の一本に出会えませんでした。

TYESOタンブラーが全部、叶えてくれた

 そんなときに出会ったのが、TYESO(ティエソ)のストロー付きタンブラーです。

  • Ventiサイズ対応(590ml以上)
  • ホット&コールド対応
  • ストロー・蓋付で漏れにくい
  • デザインもおしゃれ
  • 保温・保冷どちらも優秀

 「こういうのでいいんだよ」ではなく、「これがほしかった!」の領域。実際に使ってみた感想を含め、詳しくレビューしていきます。

TYESO ストロー付きタンブラー

TYESO ストロー付きタンブラーの魅力4選

①スタバのVentiサイズがぴったり入る!

 Ventiサイズ(590ml)って、一般的なタンブラーだと入りきらないことが多い。

 でもこのTYESOなら余裕設計で、ホイップを追加してもきちんと蓋が閉められます。

▼Ventiサイズのドリンクを実際に注いだ写真

キャラメルクリーム Ventiサイズで!!
スタバのコールドカップとTYESOタンブラーとの比較

これを、タンブラーへ。

注ぎ終わりました。

タンブラー内部の水量は写真の通り、まだ余裕があります。

スタバ Ventiサイズタンブラーとの比較
底面

②ストロー付き・漏れにくい設計

 地味に嬉しいのが、ストロー付き+パッキン付きの蓋がある構造。

 ストローは取り外し可能で、先端が柔らかい素材なので安心です。

 さらに蓋はスクリュー式できちんと締まり、カバンに入れてもこぼれにくいのです。

 「タンブラーって持ち歩きにくい」―そんな悩みもこれで解決!

蓋がなくならないクリップ付
裏面にはパッキン付き
ストローの先端はぐにゅっと曲がる

③おしゃれで手にフィットするデザイン

 外観はカット入りのマットボディ。ちょっとした石みたいな凸凹があり、滑りにくく、見た目も洗練されています。

 カラー展開も豊富なので、推しカラーやファッションに合わせて選べます。

大きいけど、片手で握りやすい

④保温・保冷力がしっかりしている

 朝に淹れたホットドリンクが、昼を過ぎても温かいまま。

 冷たいドリンクも氷が全然溶けません。

 デスクにおいても結露が出ないので、輪シミの心配もありません。

TYESOは他のシリーズも充実

 今回紹介したストロー付きタンブラーの他にも、TYESOには色々なボトルがあります。

 「なかなか理想の一本に出会えない…」という方は、まずTYESOをご覧になるのが正解かもしれません。

まとめ:Ventiユーザーなら試してほしい一本

 「スタバにマイボトルを持参したい」
 「でも、サイズや使い勝手に妥協したくない」

 そんなあなたに、TYESO ストロー付きタンブラーはとにかくオススメです。

 Ventiサイズのタンブラーって本当に貴重だし、スタバでの割引特典(20円引き)も嬉しいですよね。

キャラメルたっぷり

 ぜひチェックしてみて下さい▼

👉TYESO ストロー付きタンブラーはこちらから見られます

【神奈川県・平塚市】土屋銭洗弁財天 妙圓寺とは?アクセス・御朱印・御利益まとめ

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 神奈川県平塚市の山間にある「土屋銭洗弁財天 妙圓寺(みょうえんじ)」は、金運や願望成就に御利益があるとされる天台宗のお寺です。

 地元住民に親しまれるこの寺院では、八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)を祀っており、希少な御朱印や「銭洗い池」などの見どころも豊富。この記事では、アクセス情報・御朱印・ご利益・境内の様子を詳しくご紹介します。

土屋銭洗弁財天 妙圓寺とは

 正式名称は「和光山 醫王院 妙圓寺」。比叡山延暦寺を総本山とする天台宗のお寺で、平塚市土屋の自然豊かな地に位置しています。元は人里離れた山寺でしたが、現在も静けさと霊験あらたかな空気が残っており、観光地化されていない素朴な魅力があります。

御利益とご本尊:八臂宇賀辯財天とは

 妙圓寺の最大の特徴は、「八臂宇賀辯財天(はっぴうがべんざいてん)」をお祀りしている点です。

  • 8本の手に宝珠や宝刀を持つ女神像
  • 頭上には人面の白蛇「宇賀神」を戴く
  • 大黒天・毘沙門天を従え、15人の童子が付き従う

 このように非常にユニークで荘厳な姿をしており、「何でも願いを叶えてくれる」と信仰を集めています。金運・芸能・学問・恋愛など、幅広いご利益があるとされています。

御朱印の種類・授与場所・料金

妙圓寺では、本堂にて御朱印をいただけます。

  • 通常御朱印;300円
  • 巳の日限定御朱印あり(宇賀神王/大辯財天 など)

 特に「巳の日」は弁財天に縁のある日とされ、限定御朱印を求めて訪れる参拝者も多くいます。

アクセス情報

住所・連絡先

〒259-1205 神奈川県平塚市土屋1949
TEL:0463-58-1436 / FAX:0463-58-1458

公共交通機関でのアクセス

JR平塚駅 北口 → 神奈中バス「妙円寺前」下車(約26分)

車でのアクセス

  • 東名高速道路「秦野中井IC」より県道77号経由
  • 小田原厚木道路「平塚IC」より県道62号経由

※駐車場あり(公式情報要確認)

見どころ

ここからは参拝時の様子をお届けします。

山門と境内

 平成8年に再建された立派な山門が目印。朱色の幟が印象的で、境内には地元産の野菜が並び、参拝者と地元住民の交流も見られます。

内側から見た山門
地元野菜

寳珠殿(弁天堂)

 文化元年(1804年)に再建。釘を使わず「1本くさび工法」で建てられた弁天堂で、平塚市内でも珍しい建築様式。ここに八臂宇賀辯財天が祀られています。

岩屋霊穴と銭洗い池

 弁天堂の真下に「岩屋霊穴」があり、内部には石仏や「銭洗い池」があります。この池でお金を清めることで金運がアップするとされています。

※見学の可否は現地にてご確認下さい。

実際の参拝レポ・雰囲気(要約)

 筆者が訪れた際は、地元の方々が楽しそうに語らい、参拝者も和やかにお過ごしでした。写真撮影は遠慮しましたが、現地ならではの温かみを感じられるお寺です。

まとめ:妙圓寺はこんな方にオススメ

  • 静かで落ち着いた神社仏閣を訪ねたい方
  • 金運・願望成就の御利益を受けたい方
  • 地域密着の雰囲気を味わいたい方
  • 減手御朱印や辯財天信仰に興味がある方

 自然に囲まれた土屋銭洗弁天 妙圓寺で、心もお金も浄化されるひとときを体験してみてはいかがでしょうか。

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はじめてのハンドドリップ。自宅で手軽に美味しいコーヒーを淹れるために必要な道具まとめ

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 自宅でのリモートワークや在宅時間が増える中、ハンドドリップで淹れるコーヒーに興味を持つ方が増えています。

 しかし、「何から揃えたら良いの?」「難しくない?」と感じている方も多いのではないでしょうか。

 この記事では、初心者が自宅で手軽に美味しいコーヒーを淹れるために必要な道具と選び方のポイントについて、実際に私が使用しているアイテムとあわせてご紹介します。

ハンドドリップに必要な基本ツール

1.コーヒーミル(豆を挽く道具)

👉HARIO セラミックコーヒーミル・スケルトン(MSCS-2B)

 初心者には、手動式のミルがオススメです。

 中でも「HARIO」は、耐熱ガラスで有名な日本メーカーで、初心者でも扱いやすい設計が魅力。

  • セラミック製の臼&ステンレス製金属部で丸洗いOK
  • 滑り止め付ガラス容器で安定感◎
  • 挽いた豆をそのまま保存できる蓋付仕様

👉商品ページを見る(こちら

2.ドリッパー&カラフェ(抽出道具)

👉KINTO ペーパーレス コーヒーカラフェセット

 スタイリッシュなデザインと機能性を両立したカラフェセット。

セット内容:

①コーヒーカラフェ(電子レンジ・食洗機対応)
②ステンレスフィルター(ペーパー不要)
③計量カップ兼ホルダー

  • ステンレスフィルターは”コーヒーオイル”をしっかり抽出
  • 中挽き~やや粗挽きの豆と相性◎
  • 気分に応じてペーパー使用もOK
  • コンパクト収納でキッチンもすっきり
コーヒーカラフェ
ステンレスフィルター
計量カップ兼ホルダー

👉商品ページを見る(こちら

3.ドリップポット(お湯を注ぐ道具)

 ドリップの味わいを左右するのは、”お湯の注ぎ方”です。

 電気ケトルから直接注ぐことも可能ですが、ドリップ専用ポットを使うと、湯量とスピードをコントロールしやすくなります。

ドリップ専用ポット
電気ケトル(T-fal Justice-Lock

👉選び方のポイント

  • 細口ノズルで調整しやすい構造
  • ステンレス・ホーロー・銅製など好みに応じて
  • お湯は電気ケトルで湧かし、移し替えるのが◎(温度を下げるため)

👉おすすめのドリップポットをチェック(こちら)

4.マグカップ(コーヒーを飲む道具)

 淹れ立てコーヒーは、保温性のあるカップで楽しむのがベターです。

NERVステンレスマグ、陶器マグ

👉おすすめ:ステンレスマグorガラスマグ

  • ステンレス製(二重構造)なら温度をキープしやすい
  • デザイン重視ならガラスや陶器も◎
エヴァンゲリオン ネルフ 二層ステンレスマグカップ
EVANGELION STORE オフィシャル版 NERVマグカップ/黒赤Ver.2

 私のお気に入りは、燕市製のステンレスマグと、エヴァンゲリオン公式のNERVデザインです。

👉NERVマグカップをチェック(こちら

まとめ ハンドドリップを始めるなら、まずは道具から

 ハンドドリップは特別な技術がなくても楽しめます。

 大切なのは「道具選び」からはじめること。

 この記事でご紹介したアイテムはすべて、初心者にも扱いやすいものばかりです。

 お気に入りの器具と出会い、あなたらしいコーヒータイムを始めてみてください。

初めての御朱印帳、どう選ぶ? 〜体験からわかった3つのポイント〜

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はじめての御朱印帳を手にして

 神社仏閣巡りをもっと楽しくしてくれる御朱印帳(ごしゅいんちょう)。

 近年では、SNS映えする可愛いデザインや限定御朱印のブームを受け、初心者でも気軽に始められる趣味として人気が高まっています。

 この記事では、実際に御朱印帳デビューを果たした筆者の経験を交えながら、はじめて御朱印帳を選ぶ際のポイントをわかりやすくご紹介します。

「どのサイズがいいの?」「どこで買えるの?」「ケースは必要?」など、購入前に気になる疑問もまとめて解決します。

📻音声で聴きたい方はこちら(Spotify配信中)

サイズの選び方:持ち歩くなら小サイズが〇

 御朱印帳の主なサイズは、以下の2種類です。

  • 大サイズ:約18.5×26.1cm(書き置きの御朱印に向いている)
  • 小サイズ:約18×12cm(その場で直接書いてもらうのに適している)

 筆者は初めてということもあり、小さめのサイズを選びました。

 理由は「バッグにスッと入るから」。長距離の惨敗でもかさばらず、持ち運びに便利です。

👉おすすめ:

※サイズや形式はショップにより異なるため、購入前に商品詳細を必ず確認しましょう。

形式の違い:初心者には蛇腹式がおすすめ

 御朱印帳の形式には主に、次の2種類があります。

  • 蛇腹(じゃばら)式:アコーディオン上に折りたたまれていて、左右どちらからでも開ける
  • ノート・バインダー式:ページごとに貼ったり、記録できる形式

 筆者は王道の蛇腹式を選びました。

 理由は、ほとんどの神社やお寺が蛇腹式に対応しているから。実際に使ってみると、少し気を抜いただけで全部のページが開いてしまう扱いにくさはありますが、それも慣れると味になります。

蛇腹式

👉ポイント:

デザイン:気に入ったものを選ぼう

 御朱印帳には本当にたくさんのデザインがあります。

  • かわいい動物柄や季節の花のモチーフ
  • シンプルで格式ある和柄
  • 神社寺院のオリジナルデザイン

 筆者は、うさぎと桜が描かれた藤色の御朱印帳を選びました(下図参照)。実物を手にした瞬間、「この帳面で記録を残していく」のだと実感が湧きました。

表紙(右開きを想定)

👉おすすめ:

御朱印帳はどこで買う?

 御朱印帳は、以下の場所にて購入することができます。

  • 神社・お寺の授与所
  • 書店・雑貨店
  • 通販(楽天市場、Amazonなど)

 ネット通販では口コミや写真で比較できる点が便利です。筆者も楽天で購入し、手元に届くまでもスムーズでした。

👉人気ショップ例:

ケース・カバーは必要?

 和紙姓の御朱印帳は、雨天や摩擦に弱いためカバーがあると安心です。

 実際に持ち歩くと、うっかり地面に落としたり、バッグの中で折れてしまうリスクもあります。

 筆者はカバー付きの御朱印帳を使用中です。

👉おすすめ:

  • 【撥水加工あり】御朱印帳専用カバー
  • 【透明タイプ】デザインを見せながら保護できる

まとめ:迷ったら「小サイズ×蛇腹×気に入ったデザイン」

 はじめて御朱印帳を選ぶなら、次の3点を軸に考えるのがオススメです。

  1. サイズは持ち運びやすい小サイズ
  2. 形式は対応範囲の広い蛇腹式
  3. デザインは自分がときめくものを

 御朱印帳は「参拝の思い出を形にするツール」です。一冊目だからこそ、自分にぴったりのものを選んで下さいね。

自己陶酔という病:恋愛ごっこに逃げ込む中年と、その共犯者たち

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 どこにでもいそうな顔で、どこにでもありそうな恋をする。

 しかし彼らはなぜか、”特別な愛”を演じたがる。

 既婚者の中年俳優と、世間から清純派とみなされていた若手女優。

 本気だと言いたげな眼差しで交わす言葉の裏に、本気でないことを互いに知っている空気が透けて見える。

 誰のものでもないと言いたげな眼差しを携え、互いに「自分だけは特別」だと信じたがっている。

 本当に大切に思っているのならなぜ、堂々と愛せないのか。
 なぜ家庭に帰り、なぜ彼女は待ち続けるフリができるのか。

 家庭もキャリアも失いたくはない。それでいて、誰かに求められる自分には酔っていたい。

 恋人の役を演じることでしか愛を感じられないふたり。

 それが叶わぬ現実に目を閉じ、耳を塞いで、”わたしたちだけの世界”で生きているフリをする。

 これは恋ではない。自己陶酔という病に冒されたふたりが、”恋をしている自分たち”というドラマに酔いしれているだけだ。

 この病の厄介なところは、その芝居に気づかず拍手を送る”共犯者”を生み出すことにある。

📻音声で聴きたい方はこちら(Spotify配信中)

この手の人間の特徴

 彼らは本気で「恋をしている」と思い込んでいる。

 しかし実際には、自分自身にとって都合の良い感情だけを選び取り、責任もリスクも取らず、”恋をしている気分”に浸るだけ。

 よく観察すると、次の共通項が見えてくる。

【特徴1】自分の”感情”を最優先

 愛している、辛い、会いたいーそういう感情だけを並べ、相手の立場や背景、傷付ける可能性を見ないし、考えない。

好きになっちゃったんだからしょうがないよね

それ、本当に相手を思ってらっしゃいます?

【特徴2】バレないことを前提に成立する恋愛

 バレるまでは純愛。バレたら”想定外”。

 つまり、逃げ道を確保したまま進む関係にしか踏み込めない。

 本当に大事なら、誰にも恥じず互いを守ることができる道を選ぶのではないか。

【特徴3】相手が”自分を肯定してくれる存在”であることが重要

 愛しているというより、「自分を必要としてくれる相手」との関係性に酔っている。

 恋人がほしいのではない。「恋人役をしてくれる人」がほしいだけ。

以上のことから、「恋」ではないことは明らかである。言うなれば、「甘え」と「自己愛」の循環でしかない。

分類と心理構造

 ”本気ヅラ人間”は、以下に大別することができる。

【タイプA】癒やし依存型ー「私がいないとダメなんだ」と思いたい

 このタイプは、誰かの弱さを見つけるとすぐに寄りかかる。

 それは支えることが目的なのではなく、”自分の存在価値”を実感するために他ならない。

 たとえば、最近不倫騒動が出た永野芽郁さんが演じるのはこのポジション。

 既婚者で、責任ある立場の男性に寄り添い、

彼が壊れないように支えているのは私

 だと信じ込もうとする。

 けれど実際には、自分が”選ばれし存在”であることを証明するステージに過ぎないにもかかわらず、本人はこれを『海よりも深い愛』と思い込んでいる。

【タイプB】承認型逃避人ー甘えながら責任は絶対に取らない男

 典型的な中年の逃避型はこれに属する。

 田中圭のように、仕事・家庭・立場という外圧の中で「良い人」を演じ疲れている存在は、その捌け口として、自分を肯定してくれる存在を求める。

 でも逃げたいだけで、何かを変える覚悟や行動はない。

 責任を取らなくて良い場所でだけ「本音」を語るふりをして、

俺も辛いんだよね

などとこぼし、理解されたい願望ばかりが前に出る。

 そのくせ、別れることも、離婚もできず、家庭を壊さない。ずっと”都合の良い場所”で被害者面をしていたいのが本音だろう。

 両者に共通するのは、「他人を使い、自分を満たす構造」にいること。

 愛ではない。必要とされたがっているだけ。

 しかもその必要性すら、自分の脳内だけで作られた幻であることが多い。

対処法:関わってしまったときの心得

 問題は、この手の”本気ヅラ人間”が優しい言葉や、弱っているふりをして近づいてきたときだ。

 最初は、「こんなに私のことを求めてくれる人、初めて…」といった錯覚すら抱かせるが、ちょっと待って。よく観察してほしい。

 彼らが求めているのは”あなた”ではない。”あなたがくれる安心感”だけだ。

 とはいえ、関わってしまっては仕方がない。

【対処1】話を聞いてあげない

 愚痴、言い訳、家庭の不満ー垂れ流される感情は、彼らの中では恋愛の前戯だ。

 聞くことで相手を理解できると思うのは幻想でしかなく、聞けば聞くほど、

この人は肯定してくれる

という誤解を加速させる。

で?あなたはどうしたいの?

 こう返した途端、彼らの口数は急激に減る。

【対処法2】かわいそうにーを武器にさせない

 弱っている人を突き放すには、罪悪感が伴う。

 それを知っているからこそ、彼らはしばしば”被害者ヅラ”をする。

 だがここで手を差し伸べると、「私はあなたに救われた」と安い台詞ばかりを吐き、ずるずると依存されるだけだ。

 大切なのは、「あなたの問題を私が背負う義理はない」と線を引くこと。この線こそ、相手の”演技”を無効化する武器になる。

【対処3】「で、どうするつもり?」

 彼らが最も嫌がるのは、”気持ち”ではなく”行動”を求められること。

  • 奥さんに話すつもりあるの?
  • いつ離婚するの?
  • 私たち、これからどうするの?

 こうした質問は彼らに、現実を突きつける鏡となる。所詮はごっこ遊び。鏡の前では成立しない。

”本気ヅラ人間”が最も嫌がること

 この手の人間は、責められるよりも、”自分が特別ではない”と気づかされることを何より恐れている。

 彼らの恋は、「誰にもわからない、ふたりだけの物語」でなければ成立せず、自分たちが”特別な関係”であるという前提が崩れた途端、一瞬で興味を失う、または自己陶酔が崩壊する。

 具体的には、以下の通りだ。

【嫌がらせ1】鏡を差し出す

あなたの台詞、他の人にも言ってない?

 その瞬間、「選ばれし自分」という幻想が崩れる。

 なぜならごっこ遊びは、他人と共有された時点で現実に引き戻されるからだ。

【嫌がらせ2】無関心の演出

アー、そういう人たまにいるよね

 同情も共感もせず、あくまで他人事で処理すること。これにより彼らが熱望する”特別な共犯関係”は崩壊する。

 彼らにとって最もキツいのは、怒られることでも嫌われることでもない。

 無視されることドラマから引きずり下ろされることだ。

【嫌がらせ3】役割を与えない

それって私じゃなくてよくない?

 相手を”恋人”として扱わない、”支えてくれる人”として持ち上げない。これに尽きる。

 ただの知人、ただの同僚、ただの通行人ー彼らが望む役割つきの関係を徹底して与えないこと。

 これにより彼らは、何者でもなくなることに堪えられず、静かにフェードアウトしていく。

 彼らは「愛されたい」のではなく「愛されている自分に酔いたい」だけ。その虚構を演出するには、あなたの共犯が不可欠である。

 しかしながら、あなたがその舞台から降りてしまえば、彼はひとり芝居しかできず、結果的に沈黙する。

おわりに:虚構に浸る人間が最も怖いのは

 恋をしているふり、苦しむふり、愛しているふりーふり、ふり、ふり。そのどれもが自分を傷付けない演出だ。

 彼らは傷付くことを怖れているのではない。

 ”大して特別じゃなかった”と気づくことを怖れている。

 自分は誰かに必要とされ、どこかで誰かにしか救えない愛がある。

 そう思い込んでいる限り、現実に向き合わなくていいのだから。

 けれどその演目は、いずれ終わりが来る。誰かが舞台から降りれば、簡単に幕は下りるのだから。

自己陶酔という病

 これは、恋ではない。断言する。単に、誰かを愛している”自分”に恋をしている。

 あなたの周りに、”本気じゃないのに、本気ヅラする大人”がいるとすれば、どうかその舞台の照明をそっと落としてあげてほしい。

 光の当たらぬ場所で、彼らの特別ごっこは続けられないから。

弱ってる人ばかり気遣われる構造に、ちょっとだけモノ申す

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 「○○さんは大変そうだから、そっとしておこうね」

 職場や地域、どこかの集まりで、そんな言葉を聞いたことはありませんか。

 疲れているように見える人、年齢が上の人、なんとなく”しんどそう”に見える人には、たいていの人が自然とやさしく接します。

 しかしーその言葉の裏で、実際にどれだけのことをやっていたのか、見られているのでしょうか。

 そして黙って、その人のぶんまで働いている誰かが、見落とされていないでしょうか。

 私はただ、「しんどそうな人ばかりが得する構造」が当然のようにそこにあると、時々どうしようもなくモヤモヤします。

大変そうな人に注がれる気遣い

 たとえば、明らかに業務をサボっている人がいる。

 責任は回避し、自分の仕事は他人に押し付けるのになぜか、周囲からは「大変でしょう」「無理しないでね」と気遣われている。

 一方で、黙々と働き、そのような人が抜けた穴を埋めている人がいたとしても、そちらには「しっかりしてるね」「頼りになるよ」と声を掛けるだけで終わる。

 誰かのしわ寄せを受けているにもかかわらず、”ケアの対象”にはならない。

 おかしいと思いませんか。

 苦労しているかどうかではなく、しんどそうに見えるかで評価や扱いが決まってしまう。そしてその「気遣い」は、見えるしんどさにばかり集中する。

 これは、偶然ではありません。

 むしろ、弱っているように振る舞うことが、無意識のうちに特権のように機能してしまう構造なのです。

包帯を巻き続ける人の心理

 本当は治っているにもかかわらず、いつまでも包帯を巻き続け、「まだ痛いです」と見せる人がいるます。このような行動は、意識的なものと、無意識なものがある。

 しかしどちらにも共通するのは、「弱っていることで得られるものがある」ということ。

 これは心理学でいう「二次的利得(セカンダリー・ゲイン)」に近いのではないでしょうか。

 つまり、病気や不調そのものではなく、その状態でいることで得られる”まわりの優しさ”や”免除”に価値を感じる構造をいいます。

 たとえば、

  • 「大変ですね」と声をかけてもらえる
  • 責任をもたなくて済む
  • 厳しい評価を避けられる
  • 周囲が忖度してくれる

 一度このポジションについてしまうと、そこから動きたくなる人もいます。

 なぜなら、彼らにとって”元気になること”はリスクになるのだから。

 元気になると、「じゃあちゃんとやっておいてね」「それはあなたの責任でしょ」と言われてしまいます。

 だから、「治った」とは言いませんし、包帯も外しません。

 こうして彼らは、自分を”保護される存在”としてキープし続けるのです。

やさしさが歪める構造

 もちろん、大変そうな人を気遣い、声をかけることには賛成です。人を思いやる気持ちがあるのは、とても素晴らしいことですから。

 けれどそのやさしさが、ろくに何も見ないで発動されたものだとしたらー。

 たとえば、高齢者世代の人たちが、何の悪気もなく発する「年下なんだから支えてあげなさい」という言葉。あるいは、「○○さんは疲れているんだから、あまり言わないほうがいいわよ」など。

 しかしその○○さんが、実はサボっていて常に責任転嫁。そのしわよせを食らっているのは、声を上げずに堪え、穴を埋め続けている誰かです。

 外形的にしんどそうな人だけがピックアップされ、気遣われ、そして気を遣った人たちはどこか良いことをした気になって。

 本当に守られるべきは、黙って耐え忍んでいるこの構図が不思議に思えてなりません。

 気遣いが見える弱さにのみ集まっている限り、構造は歪んだまま。やさしさは時に、それ自体が無責任な「逃げ」となるのです。

見落としてはいけない「静かにがんばる人」

 この記事でお伝えしたいのは、「しんどいアピールをする人がずるい」という単純な話ではありません。

 本当に弱っている人や、言葉にできない苦しみを抱えている人がいること。

 けれど、声の大きい”弱さ”ばかりに気を取られ、声を上げない”強さ”や”誠実さ”が見過ごされる状況について、やはりおかしいのではないかと思います。

 見えない部分で毎日責任を果たし、誰かの文まで背負い、それでも静かに働いている人がいます。

 そういう人にこそ目を向け、気づき、労ってあげてほしいと思います。

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