【平塚八幡宮】神奈川県平塚市の赤い鳥居と御朱印めぐり|境内レポ&アクセス情報も

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 神奈川県の国道1号線を通るたび、目に止まっていた朱色の鳥居。気になりながらも訪れる機会に恵まれず、気づけば10年以上が経過。

 しかしようやく、参拝することができました。

 この記事では、平塚八幡宮の御祭神・御利益・御朱印・アクセス情報に加え、実際に足を運んで感じたことを写真とともにお伝えします。

こんな方にオススメ

  • 平塚八幡宮ってどんな神社?
  • 御朱印の種類やもらえる場所は?
  • 行く価値があるかどうか知りたい!

「気になるけど、わざわざ行くほどでも…」という方も、この記事で全体像がつかめると思います。

平塚八幡宮とは?|相模國六社の一社

 神奈川県平塚市浅間町にある由緒ある神社で、国道1号線沿いの「朱い鳥居」が目印です。

 「相模國六社御朱印めぐり」のうちの一社とされ、奈良・平安期には国司が巡拝したと伝わる歴史ある神社です。

参拝した神社でいただいた資料をずらり

相模六社とは

称号神社名
一之宮寒川神社
二之宮川匂神社
三之宮比々多神社
四之宮前鳥神社
一国一社平塚八幡宮
総社六所神社

ご祭神と御利益

御祭神応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
武内宿禰命(たけのうちのすくね)
御利益商売繁盛
五穀豊穣
除災招福
交通安全
安産祈願 など

 とくに商売繁盛や家内安全の祈願で訪れる方が多い印象でした。

平塚八幡宮の御朱印|定番・限定・八社詣で

定番の御朱印

  • 鎮地大神
  • 平塚弁財天
  • 鶴峯山稲荷

※各初穂料:500円、直書き形式

限定御朱印

 菊まつり限定(2023年は初穂料1,000円、書き置きのみ)

平塚八幡宮 菊まつり限定の御朱印

境内八社詣

 境内にある8つのお社を巡ると、記念ポストカードが授与されます。初穂料は任意です。

境内八社詣

卯年限定デザインとのことで、来年からは新たなデザインになるのかも…?

アクセス・基本情報

住所:〒254-0041 神奈川県平塚市浅間町1-6
電話:0463(23)3315
公式サイト:平塚八幡宮

車でのアクセス

  • 圏央道「寒川南IC」経由
  • 無料駐車場あり(混雑時は周辺の有料駐車場を利用)

【関連リンク】駐車場のご案内|平塚八幡宮公式ページ

公共交通機関

 JR平塚駅北口👉神奈中バス「市役所前」下車 徒歩約3分(時刻表)

ご祈願受付

  • 平日:9:30~15:50

  • 土日祝:8:30~15:50

【参拝レポ】写真とともにめぐる境内

一の鳥居と狛犬たち

 平塚駅から徒歩10分、赤い大鳥居が迎えてくれます。

令和5年12月14日撮影

 狛犬はどこかユーモラスな表情で、青銅の鳥居前に控える個体とは印象が異なります。

 狛犬の違いを見るのも密かな楽しみです。

令和5年12月14日撮影
神社から見た平塚駅方面の風景
菊まつりの様子(令和5年11月16日撮影)
クリスマス飾りに(令和5年12月14日撮影)

鳥居をくぐると…

鳥居をくぐると、右手に鶴峯山稲荷社ある東御池、左手に弁財天社のある西御池が配置されています。

鯉やアヒル、鴨たちが優雅に泳いでいましたよ🦆

手水舎と聖堂の鳥居(二ノ鳥居)

 現在は柄杓を用いた清め方式ですが、年始は仮説の手水舎が設けられていました。

 二ノ鳥居には左右で異なる色味の狛犬が。これは難しい構成ではないでしょうか。

第一の鳥居側から
拝殿側から

拝殿とご神木

 拝殿前の茅の輪や、季節ごとの装飾が目を惹きます。

平塚八幡宮拝殿(令和5年11月16日撮影)

 菊まつりの時期は、境内が鮮やかな菊で彩られ、香りも華やかでした。

平塚八幡宮拝殿(御殿)

創建時は「鶴峯山八幡宮」と呼ばれていたとのこと。

平塚八幡宮拝殿/菊まつり
平塚八幡宮拝殿回廊と神明社

テント内には、茅の輪が設置されています。

その他 境内社

  • 神明社
  • 若宮社
  • 諏訪社
  • 浅間社
  • 道祖神
  • 太子堂

 時間の都合で拝殿のみの参拝となりましたが、次回はじっくり巡りたいところです。

平塚弁財天社と西御池

 西参道の鳥居をくぐると、弁財天社があらわれます。

西参道鳥居(外から)
西参道の鳥居(内から)
弁財天様のお社
控えめな手水舎が奥ゆかしい

 「湘南ひらつか七福神」の一柱でもあり、美容や芸能の神様とされています。

 奥には小さな手水舎と、スタンプ式の御朱印があります。

朱肉とスタンプが設置されている
菊まつりのため、あちこちに菊が飾られている

【おまけ】湘南クッキーの自販機

 西側の駐車場近くには、湘南クッキーの自販機が設置されています。

いきなり俗世感を醸し出してくるラインナップ
平衡が撮りづらい配置

はじめて見たときは驚きましたが、今ではお気に入りです。

 品揃えも豊富で、お土産にもぴったり。県外からいらした方は記念に是非。

平塚八幡宮まとめ

  • 国道沿いの大鳥居が印象的
  • 商売繁盛や除災招福など多彩な御利益
  • 季節限定御朱印や境内八社詣も魅力
  • アクセス良好&駐車場完備
  • 境内レポから”行った気になれる”記事に

 ちょっと気になっていた方は、この記事で疑似体験してみてくださいね。

スキャンダルを語る私たちへ──“感情”と“法”のあいだで

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また「炎上」が始まった

 またか。どうしていつも、こうなのか。

 永野芽郁と田中圭の報道に対し、特別な感情はない。どちらのファンでもないし、アンチでもなく、スキャンダルに一喜一憂できるほど”初(うぶ)”でもない。

 しかし、こうしてSNSのタイムラインに「不倫」「匂わせ」「略奪愛」「不買運動」が溢れかえる度に、どうしても問いたくなる。

 この滑稽な消費構図に我々は、どこまで関わり、どこまで無自覚なのか。

📺 なぜ「不買宣言」が起こるのか

 この手の報道が出るたびに、「もう○○の作品は見たくない」「CM契約解除すべき」というコメントが湧いて来る。その度に私は、ふと立ち止まる。

 いつから私たちは、出演者の”私生活”を消費の判断材料にするようになったのか。

 もちろん、CMや番組に起用される際はイメージも含めて選ばれているのだろう。けれど、それはあくまで制作側や起業の判断であって、視聴者が”制裁者”になる理由にはならない。

 好きな芸能人が自分の期待を裏切ったとき、がっかりする気持ちはわかる。

 しかしながら、「失望した」という感情のままに、「買わない」「見ない」と高らかに宣言し、それを公の場で主張しなければ気が済まない様子は、応援でも批判でもなく、自分の価値観を他者に押し付けている駄々っ子のようにしか見えない。

 永野芽郁に対し、特に風当たりが強く、声が大きくなるのは、彼女がこれまで多くの作品に出演し、明るく健やかなイメージとして目に触れる存在だったからだろう。

 露出の多さがそのまま、「裏切り」の材料になっているとはー。

 こうした報道全般にいえるが、芸能人本人より、我々の受け止め方に問題があるように思えて鳴らない。

⚖ 発信の自由と、その限界

 スキャンダルが報じられると、まるで公開処刑のように名前が拡散され、「あれは匂わせだった」「人として終わっている」などの断定的な言葉がそこかしこに並ぶ。

 けれど忘れないでほしいのは、我々が見ている情報がすべて真実とは限らないこと。

 いくらメディアが報じていたとはいえ、それは”事実とされている情報”でしかなく、切取り方により名誉毀損や業務妨害、侮辱等に該当する可能性がある。

 行政書士として思うのは、感情任せのSNS投稿や拡散が、法的なリスクを負うことがあるという点だ。

 「この人は終わった」と言い切り、私生活を断定的に語る投稿は、仮に相手が芸能人だろうと”表現の自由”の範囲を超えることがある。

🌙 言葉を残す前にできること

 誰かを批難したい気持ちが湧くときこそ、その言葉を世に発信し、残してもいいのかと立ち止まって考えてほしい。

 私たちは知らない誰かの「事実」を語るより、自分の「反応」を整えることでしか、この構図を変えることはできないのだから。

飴を噛む人の“性格傾向”をさらに掘り下げてみた件

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 前回の記事では、「飴を噛んでしまう人」と「最後までなめる人」との違いを心理学的な観点からご紹介しました(→ 飴を噛む人の心理と性格 はこちら)。今回はその続きです。

 当該記事を書いて依頼、「自分もつい噛んじゃう」という声を多数いただきました。それと同時に、ふとこんなことを考えたのです。

ーそもそも「噛む」って、ただのクセで片づけていいのだろうか。

 そこで今回は、もう一歩踏み込み、飴を噛むことの文化的背景や、日常行動との関連性、性格傾向の深層まで掘り下げます。

「噛んじゃダメ」と言われた時代

 まず思い出されるのは、あのフレーズ。

「飴は噛んじゃダメ」

 多くの人が子ども時代に、1度は言われたことがあるのではないでしょうか。

 これは、「品良く」「行儀よく」という価値観を反映させたものだったのかもしれません。

 その一方で、”大人になると誰にも何も言われない”ため、噛むことを自己流のクセとして定着させている人も多いようです。

 興味深いのは、「飴は噛まずになめるもの」という意識自体が、しつけや文化的な刷り込みに基づいている可能性があることです。

 特に昭和~平成初期の家庭では、「行儀が悪いから噛まない」ように教えられた経験を持つ人も少なくありません。

 つまり、飴をどう扱うかという行動には、育ってきた環境や習慣の影響が強く表れているものと考えられます。

【参考】仕事中の間食に関するアンケート調査(2014年)(ASMARQ)

飴を噛む人の日常あるある

 飴だけでなく、ちょっとした日常のクセにも共通項が見られます。

  • エレベーターの開閉ボタンを連打
  • レジで列の短いほうに並び直す
  • 電子レンジが0秒になる前に取り出す
  • 動画広告の「スキップ」を0.1秒でもはやく押したい

 ーいかがでしょうか。

 もし、「あるある!」と感じたあなたは、きっと即時行動タイプでしょう。

 こうしたクセについて、単なる落ち着きのなさで片づけるのではなく、効率やスピードを重視する行動特性として受け取ることもできます。

行動は「性格」そのものなのか

 では、こうした”噛み癖”や”早く終わらせたがる行動”は、そのまま「性格」といえるのでしょうか。

 結論から言うと、性格は環境と相互に影響し合うものでなり、一概に「行動=性格」とは言い難いです。

 たとえば、

  • 忙しい生活環境にいると「早く終わらせる癖」が身につく
  • 成果を求められる職場では、「決断のはやさ」が求められる
  • 反対に、ゆっくりな環境では「なめきる派」が育ちやすい

 つまり、飴を噛む=せっかちと言い切るのではなく、行動と環境の結果として表れているスタイルとして見るほうが適切だと思われます。

「噛む自分」にラベルを貼らなくていい

 飴を噛む人には、決断力や集中力、即応性など強みと呼べる特性があります。

 それを「短気」「せっかち」と否定的に捉えるのは、あまりにももったいないように思います。

 それどころか、

  • 自分は最短距離を好む
  • 噛むことでストレスを発散させているのかもしれない

 そんなふうに、自分を知る材料として扱ってほしいものです。

 そのうえで、「たまにはじっくりなめてみるか」と気まぐれに試すのもまた、何らかの気づきを得られるかもしれません。

🔗 関連記事・音声配信もどうぞ

 あなたの「噛む派・なめきる派」エピソードも、よかったら教えてください。きっと、他の誰かの参考になるはずです。

飴を噛む人はせっかち?心理・性格との関係と“噛まずに最後までなめる方法”

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飴を噛んでしまうのはクセ?それとも性格?

 「飴は最後までなめるもの」ーそう教わった記憶はあるけれど、気づけば「ガリッ」とやっている。そんな自覚がある方も多いのではないでしょうか。

 筆者自身、開封から数十秒で飴を噛んでしまうタイプです。

 幼い頃は「噛んじゃダメ」「また噛んだ!」と叱られ、指摘されましたが、大人になり誰に咎められるでもないことに、ほぼ無意識に噛んでいます。

 しかしふと、これは「単なるクセ」か、それとも「性格的な傾向」かと気になってきました。

 実は”飴を噛む人”と”なめきる人”には、ある心理的な違いが見られます。

飴を噛んでしまう人の特徴とは

 飴を途中で噛んでしまう人には、次のような傾向があると言われています。

  • 即時報酬を求める(すぐに結果を出したい)
  • 効率を重視する
  • 決断がはやい
  • ストレスを感じやすい、または発散に長けている

 要するに、「待つよりも先に行動する」タイプ。

 このような人は、目の前にある飴をじっくり味わうより、早く終わらせてしまいたいと感じる傾向があるようです。

「飴を噛む人=せっかち」なのか

 飴を噛む人は「せっかち」と評されることも多いですが、単なる短気とは異なります。

 たとえば、心理学で有名な「マシュマロ実験」では、すぐに目の前の1つを食べる子と、報酬を先延ばして2つ食べる子とを比較しています。後者の場合、将来の成功確率が高いとされるものの、それが全てではありません。

 実際には、即時報酬を求める人はー

  • 瞬発力に優れている
  • 判断・決断がはやく、変化に強い
  • 結果を短時間で出しやすい

という特徴があるのです。

ですので、飴を噛む=劣っていると考えるのは危険です。

なぜ途中で噛みたくなるのか【5つの理由】

 飴を「ガリッ」としたくなるのには、きちんと理由があります。

  • 味に飽きてくる
  • 異物感がある
  • 噛む快感
  • 時間が長く感じる
  • 集中しているうちに噛んでいる

味に飽きてくる

 最初はおいしくても、同じ味が続くことで満足感が下がる。

異物感がある

 長く口の中に飴があることで、身体が『そろそろ終わり』だと判断を下す。

噛む快感

 咀嚼にはストレス発散効果があるため、意識せず噛んでいることも。

時間が長く感じる

 飴はなかなか減るものではなく、待ちきれず焦ってしまう。

集中しているうちに噛んでいる

 無意識に集中モードに入り、”気づいたら噛んでいた”ということも。

飴を最後までなめる方法

 飴をなみきりたいと思う方に向け、ちょっとした工夫をご提案します。

1.ガム併用作戦

 ガムと一緒に口に入れ、噛みたい欲求をガムに仕向ける作戦。

※口内炎がある人は避けて。

2.味変作戦

 途中で別の味の飴に変えると飽きにくく、新鮮な気持ちが続く。

3.意識して我慢する

 「今日は最後までなめる」と決め挑戦する。ただし、地味に虚しくなることも。

結論:噛んでもいいじゃない

 飴を噛むからといって悲観する必要はありません。むしろ、あなたの「決断のはやさ」や「集中力の高さ」の表れかもしれないのです。

 ただ、たまには「ゆっくり味わう」という経験もオススメです。新たな発見や、自分の意外な一面に気づけるかも知れません。

ーちなみに筆者は、この記事を書きながら今日も元気に「ガリッ」とやってしまいました。

あなたはどっち派?

タイプ特徴
なめきる派✅ 長期的な満足を重視
✅ 忍耐強い
✅ 一つのことをコツコツ続ける
噛んでしまう派✅ 即断即決
✅ ストレスに敏感だが解消も早い
✅ 効率重視の行動派

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🎧 Spotifyで音声版を聴く(準備中)
📝 飴を噛む人の性格に関する追加考察はこちら

無人区 vol.5 | 留まらないものたち

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 春は、静かなざわめきだ。耳を澄ますまでもなく、そこかしこで光が揺れている。けれど、それらはすぐに触れることもなく消えてしまう。

 空気は淡々とし、なかば身を浸らせるような感覚がある。この場所では、人も鳥も、自然も人工も、ゆるやかに重なり合っている。

 簡易に分けられるものは何もない。だから、わたしはここに止まる。

音もなく、柔らかな羽音だけが通り過ぎる。

 小さな鳥たちが毎日のように溜り、毎日のように離れていく。微かな音を残し、後には無音だけが佇んでいる。

甘い香りに誘われて、静かな昼餉(ひるげ)。

 おずおずとこの場所に遠慮しながらいるものたち。同じ地に、同じ空気の中に、ただ傷付けることもなく在る。

ひとところに留まることのない、春の重さ。

 ささやかなみどりが湿りを含んだ風を抱いて揺れる。それは、分かちやすい喙や香りでなく、ごく細い、気づけばいつだったのかもわからないような流れだ。

空に泳ぐものたちも、今はまだ手の届く距離に。
わずかな風に、ほろり、ほろり。

 やわらかい花は、やはりここでも風に揺れ、やがて落ち、跡が残る。誰かが捨てたものでも、誰かが置いたものでもないかのように、 無意識に、ただそこにある。

ふいに現れた、誰かの名残(なごり)。

 歩んでも歩んでも、人の足音は多くない。 動き回る自転車も、雨までのわずかな時間のための経過点にしかすぎない。

人々は遊び、風はその隙間を縫っていく。

 そうして、一線の通り離れた場所にたどり着き、我に返る。

奥へと誘う、影と光の門。

 ここは、そのすべての真ん中にありながら、どこにも存在していない場所だったのだ。

遠ざかる自然、手に残る静寂。

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無人区 Vol.4 | 春だけが訪れる場所

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花びらは、誰に見られなくても咲く

 歩道に貼りついた花びら一枚。灰色の車体に、そっと舞い降りた桃色の印。風が止まって、春だけが残っていた。

誰にも読まれない言葉が、風雨に晒されてまだ残っていた。
静けさに吸い込まれるように、一片の花びらがとどまった。

 廃墟になった道端に、落書きがひとつ。かつての警告は誰にも届かず、赤いスプレーの文字だけがいまもなお、誰かに訴えかけようとしていた。

記憶の上に、誰かの名前が重ねられていく。

 傾いた看板、朽ちた門、つたう蔦の緑は新しくても、構造物はもう、呼吸していない。

閉ざされた先にあるのは、もう役目を終えた空間。

けれど、ふと見上げると、桜は迷いなく咲いていた。

命と命をつなぐ線の上、咲いてしまった春。

電線の上に浮かぶ薄桃色の雲。鉄に絡む柔らかな命。

地面には、咲き終えた椿の花びら。けれど散ったあとも、そこには模様があり、色があり、誰かが見つけるまではきっとまだ、咲いているのだと思う。

誰にも見られずとも、花は精一杯に開こうとする。
散ったあとも、地上に模様を描き残す。

道ばたで見つけたテントウムシは、小さな花にしがみついていた。

小さな重力の中で、一匹の命がゆっくり進む。

季節は巡る。無人の場所にも、ちゃんと春は来る。

足跡のない道を、春だけが歩いていく。

それがこの地の、唯一の、変わらぬ約束。

無人区 Vol.3 | 残響のある街

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 閉じられたシャッター。屋根のついた電話ボックス。錆びついたガスメーターや朽ちた標識。人の姿はなくても、「いた」気配は濃厚に残っている。

 通り過ぎる風が、乾いた空気に何かの名残をかすかに運ぶ。それは、日常の終わりか、始まりか。答えは風の中。

 たぶんここには、つい最近まで「営み」があった。

 ラーメン屋の空き店舗。気配の抜けきらない扉。なぜか綺麗に咲いているツツジ。時の流れが急に止まったような場所で、シャッター越しの記憶と出会う。

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裏口の気配

 この家の裏に回ると、何か秘密が隠れていそうな気がして、つい足が止まる。物語の入り口のような一角。

錆びたシャッターと物置の並ぶ裏手の通路。草が静かに侵食を始めている。人の出入りはもうないのに、どこか生活の温度が残っている。

終業のまま

 手書きの看板文字がじんわり沁みる。こういう店が閉まっていると、なぜか少し切なくなる。

閉じられた店舗のシャッターに、薄れかけた看板文字。時を止めたような静けさが、かえってここにあった営みの濃さを語っている。

声なき通話

 屋根がついてるってだけで、この電話ボックスがちょっと特別に思える。誰かのために、まだここにある。

小さな瓦屋根の電話ボックス。公衆電話がまだ機能しているのかもわからないまま、ただそこにある。外からは誰の声も聞こえない。

配管の記憶

 ただの配管なのに、妙に生き物っぽく見えてくる。動かないのに、生々しい。

無数の管が絡み合い、壁に張りつくように伸びている。その中心にあるメーターは、今も回っているのだろうか。目盛りが刻んだのは、使われた時間の量か、それとも…。

暖簾の前の静けさ

 準備中の静けさには、なんとも言えない美しさがある。始まりの空気が好きだ。

開店前のひととき。まだ静かな店内に、準備の手がかりがそっと置かれている。扇風機の向き、整えられたカウンター、掛けられた暖簾。はじまりの空気には、どこか特別な緊張と期待が満ちている。

赤錆の証明

 この錆び方、まるで時を飲み込んだよう。誰にも注目されないけど、ずっとそこにいたんだろうな。

かつての緊急用設備は、今や錆びついた街の一部になっている。いざというときに備えられたこの箱も、時の流れには抗えなかった。

山を背にして

 人工物と自然の境界線。線の向こうとこちらで、時間の流れが違って見える。

静かな団地と、その奥に立つ白い通信塔。背後には深い森が広がる。ここが都市と自然の境界であることを、電線が丁寧に描いている。

指示を忘れた標識

 役目を終えた標識って、なんだか哀愁がある。誰にも従われなくなった指示が、森に溶け込んでいく。

朽ち果てた道路標識が、木々に飲まれていく。「通行可」の指示も今では意味を失い、ただ風化と共にあるのみ。

おわりに

 人の姿が消えても、気配はどこかに残っている。風化した金属、歪んだ文字、妙に整ったままの配置——こういう「なんでもないもの」ほど、何かを語っている気がして、私はつい立ち止まってしまう。

 今回の写真は、PIXTAにも一部掲載しています。ご興味のある方は、下記リンクからぜひご覧ください。

▶︎ PIXTAギャラリーページへ

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🌿誕生月で占う|4月21日〜27日の運勢と開運ヒント

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 新年度の慌ただしさも少しずつ落ち着き始めるこの時期、改めて自身の立ち位置や方向性を見つめ直すには良いタイミングです。

 本記事では、4月21日〜27日の1週間について、誕生月ごとに「今週の流れ」と「行動指針」、そして「ラッキーカラー・ラッキーアイテム」をお伝えします。日々の業務や対人関係の調整などにお役立ていただければ幸いです。


◆1月生まれ

 周囲に対して「わかっているふり」をしてしまいやすい傾向が出やすい週です。見せかけではなく、本質を掴む努力が求められます。

ラッキーカラー:ネイビー
ラッキーアイテム:スケジュール帳
行動のヒント:誠実な姿勢と基礎の見直しが信頼構築の鍵です。

◆2月生まれ

 強引に進めようとすると、かえって事態を悪化させる可能性があります。慎重に、状況を俯瞰する姿勢が必要です。

ラッキーカラー:グレー
ラッキーアイテム:ペーパーナイフ
行動のヒント:前進よりも、冷静な立ち止まりに価値がある週です。

◆3月生まれ

 悩みや不安が重くのしかかる傾向がありますが、実際よりも大きく捉えている可能性があります。情報の整理を意識しましょう。

ラッキーカラー:ラベンダー
ラッキーアイテム:入浴剤(香り重視)
行動のヒント:不安は可視化することでコントロールしやすくなります。

◆4月生まれ

 責任感から過剰に業務を抱え込みやすい週です。「引き受けすぎていないか」を自問する機会を設けてみてください。

ラッキーカラー:ブラウン
ラッキーアイテム:マッサージグッズ
行動のヒント:タスクの分担や委任も、立派なマネジメントです。

◆5月生まれ

 嬉しい結果や手応えを感じられる運気です。一定の成果が見込める一方、慢心せず次の段階へ意識を向けましょう。

ラッキーカラー:ゴールド
ラッキーアイテム:お気に入りのカップ
行動のヒント:小さな達成感こそ、次の挑戦のエネルギーになります。

◆6月生まれ

 一区切りがつくような節目の週です。達成した内容を丁寧に振り返り、今後の方向性を整理するのに適しています。

ラッキーカラー:ホワイト
ラッキーアイテム:組み立て式のパズルや模型
行動のヒント:完成は終わりではなく、次の起点です。

◆7月生まれ

 心に引っかかる出来事や感情が表面化する可能性があります。表には出しづらいものこそ、整理しておきたいタイミングです。

ラッキーカラー:ブルーグリーン
ラッキーアイテム:ハンカチやポケットティッシュ
行動のヒント:心のメンテナンスも、能率の一部です。

◆8月生まれ

 新しいことへの意欲が高まりやすい週。学びや趣味の分野でも良い刺激が得られるでしょう。挑戦には好機です。

ラッキーカラー:オレンジ
ラッキーアイテム:ボールペン/ノート
行動のヒント:好奇心は、実務における創造力にもつながります。

◆9月生まれ

 与える/受け取るのバランスが崩れやすい時期です。時間・労力・金銭の使い方を客観的に見直してみましょう。

ラッキーカラー:ダークグリーン
ラッキーアイテム:コインケース
行動のヒント:損得よりも「対等さ」を重視することが肝要です。

◆10月生まれ

 判断に迷いやすく、進行中の案件に停滞が生じる可能性もあります。選択肢の棚卸しが効果的な一週間。

ラッキーカラー:アイボリー
ラッキーアイテム:地図・ガイドブック
行動のヒント:情報の整理が、決断の質を高めます。

◆11月生まれ

 一つのプロセスが終わり、新しい展開へと向かうタイミングです。過去を清算することで、次の動きが見えてきます。

ラッキーカラー:ワインレッド
ラッキーアイテム:お香・キャンドル
行動のヒント:手放すことで、視野が広がることもあります。

◆12月生まれ

 自然な流れの中で物事が整いやすい週です。積極的に動くよりも、調和を意識した行動が運気を後押しします。
ラッキーカラー:スカイブルー
ラッキーアイテム:水筒・ドリンクボトル
行動のヒント:無理なく整う流れを、見逃さないように。

締めくくりに

 日々の行動や意識の持ち方を少し変えるだけで、物事の流れは驚くほど変化することがあります。
ご自身の今週のテーマと照らし合わせながら、ペースを整えて過ごしてみてください。

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 そんな方には、誕生日や状況に合わせた個別鑑定もご案内しています。

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無人区 番外編|異物混入

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 神社という場所に、私は安心感を覚える。それは決して信仰心が篤いからではなくて、ただ、そこにある静けさや規律が心地よいから。

 けれど、今日。鳥居の上に浮かぶ見慣れぬ存在が視界に入った瞬間、私は軽く戸惑った。翼のある裸の天使が、電線の上から参拝客を見下ろしている。それはたぶん装飾なのだろう。でも、どこかちぐはぐで、居心地の悪い違和感だけが残った。

混線する存在感

 門の上に天使がいた。鳥居の赤の上に、西洋風の彫像が笑っていた。それだけでも十分に違和感だったのに、門の奥に広がる空間は、その何倍も「わけのわからない世界」だった。

鳥居の赤、天使の肌色、電柱と標識。何かが混ざってしまったような交差点で、視線は天に釘付けになった。

 看板には「箱根大天狗山神社」とある。調べてみると、どうやら“霊験あらたかな天狗を祀る神社”らしい。参拝の案内には「金運」「勝運」「良縁」などが並ぶ。

 けれど、どこか腑に落ちない。

天狗というよりも、西洋の天使が印象を支配していて、神仏混交とも、観光演出とも、言い切れない。そのあいまいさが、この場所を“観察対象”にしてしまう。

赤と黒のはざまで

和風の曲線、赤い縁取り、その奥に見える西洋風の天井画。どこかで折り合っているようで、溶けきれていないようでもあった。

 この「箱根大天狗山神社」は、どうやら「水子供養の神社」でもあるらしい。境内の撮影は禁止されており、そのことがよりいっそう不気味さを際立たせた。

 仏像、お釈迦様、カラフルな鯉のぼり、ピカピカした水晶のようなもの、ガラスの中に詰め込まれたぬいぐるみやお菓子……。いろいろなものが混在し、一見統一感はない。しかし、明確な「悪意」もまた、どこにもない。

門の向こうは異国

天使が両翼を広げて立つ門。赤いコーン、柵、駐車場…神域と俗世の境目は、時にとてもあいまいだ。

 おそらくすべては「子どもたちのために」という善意から始まっている。それを否定することはできない。

 でも、私はそこに立ち尽くしてしまった。自分の中に芽生えた“気味の悪さ”の正体がうまく言語化できないまま、ただシャッターを切ることもできずに。

アクセス情報

【関連リンク】箱根大天狗山神社公式ホームページ

おわりに

 これはきっと、「やさしさ」が歪む瞬間を見てしまったのだと思う。祈りと演出が混ざり合い、信仰と装飾が溶けきらないまま折り重なった場所。

 私にはうまく説明できない。

 ただ、この違和感だけは、ずっと胸のどこかに残り続けている。

無人区 vol.2 | 植物の楽屋

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植物の楽屋

 静かな温室のなか、今日も植物たちは出番を待つ。

 花を咲かせるもの、葉を広げるもの、少ししおれて、また持ち直すもの。表舞台のように飾られた花壇の外で、彼らは鉄骨の陰で、ホースのそばで、配管に寄り添って、静かに息をしている。

 むき出しのパイプ、錆びたネジ、網目状の足場。それらはどれも、植物を生かすための装置だ。

 だが、裏方のはずのそれらが、ふと主役のように見える瞬間がある。植物と構造物の距離はとても近くて、いつの間にか絡まり、もつれ合い、「どちらがどちらを支えているのか」そんな問いすら浮かぶ。

 管理された環境のなかで、制御されながらも自然のリズムを刻もうとする植物の姿は、どこか人間の暮らしにも似ている。決められたスペースに、与えられた道具に、限られた光と水に。それでも懸命に葉を広げ、どこかへ伸びようとする。

 舞台に立つ前の静けさ。光が差し込む前の、少しだけ緊張したような空気。

 この温室は、まさに植物たちの“楽屋”なのだ。

鉄骨の檻に咲く

鋼の構造に絡まりながらも、確かに咲く花々。管理と自由、支配と繁茂。その境界線が、ここでは曖昧になっていく。

光をすくう葉

人工の足場の隙間からこぼれる光を、葉は逃さず拾い上げる。命にとって、それが自然かどうかは関係ないのかもしれない。

窓の向こうの密やかさ

曇ったガラスの向こう側に、控えめに存在する緑。内部を守る装置の一部でさえ、どこか植物の一部のように見えてくる。

命を運ぶ管

ひっそりと地面に延びる配管。水を通し、根元へと命を届けるその姿は、まるで見えない脈動を支える血管のようだ。

ひとり咲く、楽屋の主役

葉陰に揺れる、ひと房の花。大勢の植物たちの中で、ひっそりとそれでも堂々と、ひとりだけ出番を迎えようとしている。

忙しさの名残

作業が止まったあとの静けさ。道具と鉢がそのまま残された棚の上には、育てる手の気配と、時の流れが滲んでいる。

赤と緑の交差点

育成途中の鉢たちの間に、色づいた花がひとつ。計画と偶然が重なって生まれた、その一瞬のバランス。

静止した手元

枯れかけた葉と転がった鉢。整えられたはずの空間に、わずかな「止まった時間」が残っている。楽屋裏のリアルな風景。

陽を浴びる待機列

鉢植えの群れが一列に並ぶ。その向こうにはネットの天井。温室の規律と光の加減を、すべて受け止める準備ができている。

おわりに

 舞台袖で光を待つ植物たち。その姿は、ふだん目にする「花の写真」とは少し違うかもしれない。けれど、こうした裏側の風景にも、たしかな美しさと命の気配が息づいている。

 このシリーズの一部は、写真素材としても公開しています。あなたの表現活動や仕事の中に、この静けさを添えられる場面があればぜひご覧ください。

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