神奈川県秦野市「渋沢秋葉神社(しぶさわあきばじんじゃ)」参拝レポ

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当ページでは、神奈川県秦野市にある「渋沢秋葉神社」の概要と、渋沢秋葉神社までのアクセス、筆者参拝時の様子をお伝えします。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

渋沢秋葉神社(しぶさわあきばじんじゃ)

渋沢秋葉神社は、日の神様として地域の人々から崇敬されている小さな神社です。

古昔宝暦12年(1762年)般若院権大僧都が秋葉山本宮秋葉神社に秋葉山大権現本地秘法日夜守護処を歓請し、総修大住都渋沢村吉原 源八の地に祠を建立。

昭和56年(1981年)すぐそばにある渋沢中学校新設に伴い、隣接の土地所有者 諸星好昭氏の厚意によって新境内を醸成。社殿は氏子・崇敬者の寄進にて社殿が建設されました。

渋沢秋葉神社 御祭神
火之迦具土大神(ほのかぐつちのおおかみ)

秋葉神社までのアクセス

次の通りです。

基本情報

住所:〒259-1322 神奈川県秦野市渋沢吉原1945-1

最寄り駅

小田急線 渋沢駅より徒歩約30分

秋葉神社スナップ

ここからは、筆者参拝時の写真をご紹介します。

秋葉神社表参道入口
秋葉神社 参道の様子
参道の途中に架かる秋葉橋の下
秋葉橋からの風景
秋葉橋
秋葉橋
参道の過半数は階段
下から
境内入口に伏す丸太
境内と右端は中学校の校舎

鳥居
参拝時、銀杏の葉で埋め尽くされていた
驚くほど低い鳥居と社殿
扁額
社殿の彫刻
境内を彩る銀杏の葉

神奈川県秦野市「渋沢秋葉神社」まとめ

当ページでは、渋沢秋葉神社をご紹介しました。

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神奈川県足柄上郡「酒田神社(さかたじんじゃ)」参拝レポ

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当ページでは、神奈川県足柄上郡開成町にある「酒田神社(さかたじんじゃ)」の由緒、酒田神社までのアクセス、参拝レポをご紹介します。

筆者プロフィール

榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
榊原行政書士事務所 代表行政書士
やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

神奈川県足柄上郡「酒田神社」

かつて、明治政府発足にあたり、天皇親政・祭政一致となりました。

これに伴い、各村々の小社祀を統合し、盛大な祭祀を挙行するよう、明治6年(1873年)一村一社を命じられ完了。

しかし、明治22年(1874年)町村合併法によって酒田村が誕生し、各村に設置された鎮守は取り残される結果に。

これを問題視した政府は、社祀統合を図るために岡の・金井島・延沢・円通寺・中之名・宮台・牛島の鎮守七社を集め、明治42年(1909年)に酒田神社は創建されました。

御祭神
  • 伊弉諾命(いざなぎのみこと)
  • 吉備津彦命(きびつひこのみこと)
  • 大物主命(おおものぬしのみこと)
  • 誉田別命(ほむだわけのみこと)
  • 建御名方命(たけみなかたのみこと)
  • 事代主命(ことしろぬしのみこと)
  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)
  • 大山祇命(おおやまつみのみこと)
  • 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
  • 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
  • 菅原道真(すがわらみちざね)
  • 酒田神社祭礼
  • 2月26日 祈年祭きねんさい
  • 7月15日 臨時祭(風祭)
  • 10月9日 例祭
  • 11月26日 新嘗祭にいなめさい
  • 12月26日 大祓
  • 酒田神社までのアクセス

    基本情報

    〒258-0026 神奈川県足柄上郡開成町延沢465

    最寄り駅

    小田急線開成駅から徒歩約21分

    伊豆箱根鉄道大雄山線 和田河原町駅から徒歩約23分

    伊豆箱根鉄道大雄山線 冨士フィルム前駅から徒歩約25分

    酒田神社 スナップ

    ここからは酒田神社の様子を写真でお届けします。

    鳥居前
    社号碑
    酒田神社 鳥居と拝殿

    鳥居をくぐってすぐ右手に手水桶があります。

    水道の蛇口をひねって手を清めた後、お詣りへ。

    右の狛犬
    左の狛犬
    拝殿
    蜘蛛の巣がすごいけど、素敵な彫刻でした
    神額
    拝殿左手の彫刻
    拝殿右側の彫刻

    拝殿の左側に石碑が2台ありましたが、文字が読み取れませんでした。

    石碑
    文字が薄れて読めない…

    神奈川県神社庁によれば、酒田神社の他、境内に諏訪社もあるはずでしたが、それらしいお社は見つけられず。

    鳥居前には立派な慰霊碑が設けられ、活けて間もない花が供えられていました。

    慰霊塔(酒田地区)

    こちらの慰霊碑は昭和30年に建てられ、沖縄をはじめ、国内外諸地域にて戦没した酒田村出身者を祀るものだそうです。

    署名者は靖國神社宮司 筑波藤麿氏。佐戦没者数85社となっていました。

    神奈川県足柄上郡「酒田神社」まとめ

    当ページでは、神奈川県足柄上郡にある「酒田神社」をご紹介しました。

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    思い入れのある場所ぶらり【日常スナップ】

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    2022年に会社を辞めるまで、年中無休の会社に勤めていた筆者。

    2023年、10年超ぶりに正月休みを経験し、謎の背徳感を覚えました。

    この経験を踏まえ、「2024年はやりたいことをやろう」と決め、カメラを持ってぶらりと散歩に。

    当ページでは、このときに撮影した写真をご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    榊原行政書士事務所 代表行政書士
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

    2024年1枚目の写真

    新年、筆者が最初に撮ったのは風景。

    近所から見える富士山でした。

    「線」に惹かれるのは今年も変わらず

    撮影データを見ていると、被写体に偏りがあります。

    中でも、「線」に着目することが多いように感じます。

    同じ角度に並ぶクレーンの直線
    ずっと先までのびる線路
    青空に向かってのびる鉄塔
    等間隔に連なる電線

    たくさんの鉄塔
    柱に渡されたイルミネーションの線
    線路、鉄塔、電柱、マンション、いろんな線
    等間隔に並ぶ電柱と電線

    被写体は世界のすべて

    夕暮れ、空の色は忙しく変わります。

    抜けるような青空もいいけど、昼と夜の狭間のような時間にだけ見られるグラデーションと、鮮やかな空に照らされた世界すべてが好きで、自然と空を見上げながら歩きました。

    いつもは通勤する人達で混雑している道や場所も、元旦にはスカスカなんですね。

    ショッピングモールは地獄のように混んでいたけど、それ以外はとても快適な道のりでした。

    キレイなものを見た時、見せてあげたい(いっしょに見たいも含む)と思える相手がいるとすれば、とても幸せなことだと思います。

    過去にそう思い、実際に写真や動画を送ったことがありますが、筆者は玉砕でした。

    感性がずれていたのか、それとも、筆者の語彙・表現力不足が原因かは定かではありませんが、ひどくガッカリしたのを覚えています。

    好きなものを好きだと感じることのできる感性は、人生を通し、構築してきた集大成。

    筆者は前述の経験を通し、別々の場所で生まれ、異なる環境で育った人同士が、同じ物事に対して共通の感情を抱くのって、ほぼ奇跡と考えるようになりました。

    思い入れのある場所ぶらり まとめ

    当ページでは、筆者のストリート(日常)スナップをご紹介しました。

    令和5年(2023年)最後の参拝

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    令和5年(2023年)12月31日。

    仕事だけで1年を締めくくるのはちょっと悔しかったので、昼過ぎ、散歩に出かけました。カメラとスマホだけを持って。

    当ページでは、年の瀬をいつも通りに過ごすことを「勿体ない」と感じた貧乏性な筆者の大晦日を、ほぼ記録目的で撮った写真とともにお送りします。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    榊原行政書士事務所 代表行政書士
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

    曇天の大晦日

    朝、しとしと降っていた雨はやみ、雲の切れ間に青空が見えます。

    行儀良く並ぶ鉄柱と電線 見ていて気持ちよい

    筆者にとっての12月は「移動」の月でした。

    メイン業務は事務作業。基本的に事務所に籠もりますが、年末になると現地に赴く業務が増えるためです。

    だからこそ、街の微かな変化にも気づくことができ、新鮮味と感動を覚えます。

    およその盆栽たちがセピア色に
    物言いたげな表情に足を止めて見つめ合った

    気になるお店の気になるところ

    この辺りのお店は、大晦日まで営業し、1月1日、2日にお休みするところが多いようです。

    そんな中、既に休暇に入っているお店がありました。

    休暇中でも商品は外に並んでいて、私の方がドキドキ…

    いつも前を通る度、外から見える位置の商品(植物)が可愛らしいお店。

    窓際の商品たち 美人揃い

    休暇中というのに、一部の商品が外に陳列されたままなので、年明けの営業開始まで無事であることを祈るいっぽうで、この辺りの人は、私が考えているよりもずっと、心根が優しい人が多いのかもしれません。

    植物色々

    住宅街を歩いていると、多くのご家庭が公道から見える位置で植物を栽培しています。

    筆者自身、植物を栽培した経験があるせいか(現在も少数ながら栽培中)、つい気になって眺めてしまいます。

    かなり状態のいい多肉植物
    いまだクリスマス仕様の窓辺 かわいいから良い

    橋があると渡りたい

    この辺りには、複数の河川が流れています。

    そのため、橋がいくつも架かっているのが特徴でもあります。

    自動車用の橋は、歩行者も歩けるよう整備されているものがほとんどですが、反対に、歩行者用の橋を自動車で渡ることは叶いません。

    良い機会なので、いつもは自動車で通過する橋を、自分の足で渡ってみました。

    それから、川面の近くまで降りてみたり。

    反対に、橋の下をくぐってみたり。

    橋の下から見る景色は、いつもとはまるで異なる世界。

    水辺は肌寒く、上へあがる階段が非常に心強く思えます。

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    年内最後のお詣り

    しばらく散歩を楽しんだあと、帰路にある出雲大社相模分祠にお詣りしました。

    大鳥居も正月モード

    神社にお詣りするのは、正月と祭事のみだった過去の自分から考えると、大晦日はガラガラだろうと思ったのですが、平日に比べると人出はありました。

    拝殿前の賽銭箱等を見ると年の瀬を感じる

    平常時をどこに定義するか悩むところではありますが(真面目か)、祭事のない平日が「平常時」という前提で、正月用にめかし込んだ境内に、筆者も気分が高揚しました。

    手水舎の竹灯籠

    日付が変わった瞬間にお詣りする人が多いのでしょう。

    提灯や灯籠など、照明器具があちこちに設置され、日が傾き始めた午後でも幻想的な空気を放っていました。

    手水舎

    出雲大社相模分祠の手水舎は、元旦に限らず、日頃から華やかですが、この日は更に美しかったです。

    境内社もおめかし
    龍蛇神の杜

    あちこちに飾られた注連飾りに、嫌でも新年の訪れを感じます。

    龍蛇様御社殿

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    いい1年にしましょう

    当ページでは、令和5年(2023年)お散歩納めの様子をお送りしました。

    去年がどんな年でも、今年は更に良い1年にしましょうね。

    神奈川県秦野市「まほろば時計台」

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    小田急線秦野駅の北口を出ると、眼下の時計台が目に入ります。

    この時計台がある橋は「まほろば大橋」といい、かながわの橋100選に指定され、ドラマの撮影に使用されたこともあるそうです。

    当ページでは、神奈川県秦野市「まほろば時計台」をご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    やぎ座のO型。
    榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

    まほろば大橋

    小田急小田原線 秦野駅北口を出るとすぐ、橋と時計台が見えます。

    この橋は「まほろば大橋」といい、かながわの橋100選にも指定されています。

    「まほろば」は、人々が暮らす場として優れた場所を意味する大和言葉です。

    現在の位置に、初めて橋を建設したのは昭和6年(1931年)。当時は「昭和橋」と呼ばれ、市民から愛されてきた橋でもあります。

    その後、平成元年(1989年)には、老朽化ろ理由に竣工。そこで誕生したのが「まほろば大橋」です。

    橋の長さは35m。歩道の一部にはベンチが設置され、待ち合わせや休憩に使用する人を見かけることもあります。

    歴史を感じる建物が並ぶ水無川沿いでも浮くことなく、市民や来客を迎える「秦野の顔」でもあります。

    まほろば時計台

    橋の中央部にある時計台は「まほろば時計台」といい、高さは10m。上部には、秦野名物たばこ音頭の様子をモチーフにした像が並んでいます。

    タイミングが合わず、まだ1度も聞いたことがありませんが、正時になると鐘の音が響くようです。

    時計台の頭頂部から伸びているワイヤーは電球で、毎年12月になるとライトアップされています。

    撮影次第、写真でご紹介します…!

    まほろば大橋までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒257-0035 神奈川県秦野市大秦町1
    公式サイト:まほろば大橋(秦野市)

    まほろば大橋スナップ

    ここからは、筆者が撮影したまほろば大橋と、まほろば時計台の写真をご紹介します。

    まほろば大橋の橋に、タイヤのようなモニュメントが設置されていました。

    まほろば時計台の中ほどにある窓のような形をしたパネルは、四面すべて、絵柄が異なっています。

    何をモチーフとしたものか、はっきりとはわかりませんが、桜や山、水無川のようなものが見てとれることから、十中八九秦野市にちなんだものだとわかります。

    まほろば大橋の一部には、秦野市の花として指定されているさざんかの透かし彫りも。

    この向かい側には、たばこ音頭とハイキングを楽しむ人々も。

    まほろば時計台の底面には、「全国の銘石」と描かれたパネルがあります。

    1から16までナンバリングされている石は、次の通りです。

    全国の銘石
    1. 稲田御影石
    2. 根府川石
    3. 本小松石
    4. 塩山みかげ
    5. 蛭川みかげ
    6. 鉄平石
    7. 荒木石
    8. 本御影石
    9. 万成石
    10. 北木石
    11. 小豆島石
    12. 庵治石
    13. 鳴門石
    14. 大島石
    15. 島崎石
    16. 大隅白御影石

    このパネルに記載された石の名前と対応するのが、周囲にナンバリングされた石で、まほろば大橋建設に使用されたものだと思われます。

    どのようなご縁で、各地の石を使用したのか気になるところですが、詳細を示す記述等は見当たりませんでした…。

    秦野駅側には、大きなキノコ(もしかすると木かもしれない)の下で、猫と座る女性の像が設置されています。

    秦野と猫との関連はわかりませんが、まほろば大橋を憩いの場として活用しやすいように、との配慮が見える作品ですよね。

    橋のあちこちに設置されている街灯も魅力的です。

    平成2年には、国土交通省が選定する、手づくり故郷賞「街灯のある街角30選」を受賞したまほろば大橋。

    今回、惜しくも昼間の撮影となりましたが、夜にはほんのりと灯る明かりが水無川に反射し、とても幻想的な光景が見られます。

    神奈川県秦野市「まほろば時計台」まとめ

    当ページでは、神奈川県秦野市にある「まほろば時計台」をご紹介しました。

    秦野市内にある神社

    神奈川県秦野市「渋沢神社(しぶさわじんじゃ)」参拝レポ

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    当ページでは、神奈川県秦野市「渋沢神社(しぶさわじんじゃ)」の歴史、アクセス、参拝時の様子をご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    榊原行政書士事務所 代表行政書士
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

    渋沢神社(しぶさわじんじゃ)

    渋沢神社は、往時若宮八幡宮と称し、村の総鎮守でした。

    建保6年(1218年)喜叟寺きそうじの開基霊夢により、鶴岡の若宮を歓請しました。

    また、千村に当社を産土神とするところがあり、天明の頃、御嶽社より須佐之男命を勧請して相殿としました。

    昭和45年(1970年)鳥居を新築し、神殿、神楽殿等を大改修して今に至ります。

    渋沢神社 御祭神
  • 須佐之男命(すさのおのみこと)
  • 伊邪奈美命(いざなみのみこと)
  • 大雀命(おおささぎのみこと)
  • 渋沢神社 祭礼
  • 1月1日 元旦際
  • 2月17日 祈年祭
  • 2月節分 節分祭
  • 4月15日 例大祭
  • 11月15日 七五三祭
  • 11月23日 新嘗祭
  • 12月30日 年越大祓
  • 渋沢神社までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒259-1322 神奈川県秦野市渋沢2179
    電話:0467-81-1122

    最寄り駅

    小田急線渋沢駅より徒歩約20分

    渋沢神社スナップ

    ここからは、筆者参拝時の様子を写真でお伝えします。

    ピカピカの鳥居

    渋沢神社の鳥居は朱色で、光沢感があります。

    額束は旧字で「澁澤神社」とありますが、ネット上では「渋沢神社」の表記となっています。

    足下には、小さな桟橋が架かっています。

    上から見ると、喜叟寺のお墓と鳥居が並ぶちょっと不思議な光景です。

    境内の様子

    階段を昇ると、石灯籠が2つ。

    左側に蛇口が見えます。

    ただ、これは手水桶ではなく、こちらのようです。

    残念ながら、蛇口のハンドル部分がなく、手を清めることはできませんでした。

    拝殿です。

    一段あがったところにあり、脇には狛犬が座っています。

    右側の子は白目を剥いているようで、ちょっと強面。でも、足下には鞠という可愛い一面も。

    つがいの狛犬は、子どもをあやしているようです。

    渋沢神社には、入り口が3箇所在ります。

    1つは、筆者があがってきた石段。もう1つは後述するもの。

    3つめは、中学校前の通学路です。

    もう何年も毎朝、毎夕、こちらを通る子ども達を見守ってきたのだろうと尊い気持ちになりました。

    参道がゴッホ

    もう1つの参道も、階段です。

    頭上の鮮やかな木々立ちが落とす葉が、足下まで彩っていました。

    こちらの階段を降りていきます。

    足下がびっくりするほど可愛いんですよ。

    この葉は、どこから落ちてきたのだろうと見上げると、まるでゴッホの世界でした。

    しばらく降りたところで振り返った様子もまた、趣を感じます。

    すべての階段を降りると拓けた場所に出ました。

    どこを見ても紅葉が楽しい時期ですが、タイミングが良かったのか、斜めからの陽光で印影がついたことで躍動感ある光景でした。

    足下には、謎の像が数体ありました。

    ちょうど喜叟寺の裏側に位置するので、もしかすると喜叟寺で供養しているものかもしれません。

    こちら側に鳥居はないものの、紙垂がかけられたロープにて境界線が引かれています。

    神奈川県秦野市「渋沢神社(しぶさわじんじゃ)」まとめ

    当ページでは、神奈川県秦野市にある「渋沢神社」をご紹介しました。

    神奈川県秦野市「嶽神社(たけじんじゃ)」参拝レポ

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    当ページでは、神奈川県秦野市西大竹にある「嶽神社(たけじんじゃ)」をご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    榊原行政書士事務所 代表行政書士
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

    嶽神社(たけじんじゃ)

    大竹村(現大竹)は、鶴疇山(つるとしやま)八幡宮の氏子でしたが、明治8年(1875年)嶽神社 単独の氏子となりました。

    明治22年(1889年)に彫刻を施した社殿の完成後、昭和53年(1978年)に宮大工である関野実氏により大改修が行われ、現在の社殿が完成しました。

    嶽神社 御祭神
    日本武之命(やまとたけるのみこと)

    嶽神社 祭礼
  • 1月1日 歳旦祭
  • 2月27日 祈年祭
  • 4月11日 例大祭
  • 5月5日 端午祭
  • 6月30日 大祓
  • 8月31日 風鎮際
  • 11月23日 新嘗祭
  • 12月31日 大祓
  • 嶽神社 境内社

    • 御霊社
    • 八坂社
    八坂社
    社号はありませんでした

    嶽神社へのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒257-0012 神奈川県秦野市西大竹281-1

    最寄り駅

    小田急線秦野駅より徒歩約25分

    嶽神社スナップ

    ここからは、参拝時に撮影した写真を紹介します。

    嶽神社の鳥居は昭和9年(1934年)

    狛犬は、昭和36年(1961年)

    手水舎は昭和60年に奉納されたものです。

    八坂神社のそばにも手水鉢が設置されています。

    南はだの村七福神と鶴亀めぐりの対象となっていて、鶴とボックスが設置されていました。

    南はだの村七福神と鶴亀めぐり

    神奈川県秦野市西大竹「嶽神社(たけじんじゃ)」まとめ

    当ページでは、神奈川県秦野市「嶽神社(たけじんじゃ)」をご紹介しました。

    神奈川県秦野市「尾尻八幡神社(おじりはちまんじんじゃ)」参拝レポ

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    当ページでは、神奈川県秦野市にある「尾尻八幡神社(おじりはちまんじんじゃ)」の見所、アクセス、参拝時の様子をご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    榊原行政書士事務所 代表行政書士
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社を巡ること。

    尾尻八幡神社(おじりはちまんじんじゃ)

    尾尻八幡神社の創建時期は不明とされていますが、往時八幡宮と称え、延久年間(1070年頃)には現在の鶴疇山(つるとしやま)に祀られていて、尾尻、大竹、砂口三村の鎮守でした。

    ご神体は馬乗の像で、傍らには建保3年(1215年)9月16日と日銘があります。

    鎌倉将軍の尊崇厚く、相模三鶴八幡の1つとされ、政子安産祈願所とされたそうです。

    相模三鶴八幡

    尾尻八幡神社 御祭神
    誉田別之命(ほむだわけのみこと)

    尾尻八幡神社 祭礼
    • 1月1日 歳旦祭
    • 2月17日 祈年祭
    • 4月21日 例大祭
    • 5月5日 端午祭
    • 6月30日 大祓
    • 8月31日 風鎮際
    • 11月23日 新嘗祭
    • 12月31日 大祓

    尾尻八幡神社 境内社

    尾尻八幡神社には、次の境内社があります。

    • 津島神社
    • 山王社
    • 古峯社

    尾尻八幡神社までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒257-0011 神奈川県秦野市尾尻420
    電話:0463-81-1122

    最寄り駅

    小田急線 秦野駅より徒歩約20分

    尾尻八幡神社 参拝レポ

    ここからは、筆者参拝時の様子をお伝えします。

    良さそうだけど

    尾尻八幡神社の一之鳥居は、はだの桜道からちらり。

    尾尻八幡神社 一之鳥居

    しかし、なかなか参拝する機会がないまま、3年近くが経過していました。

    きっかけは

    そんな尾尻八幡神社にお詣りしようと思ったきっかけは、筆者の所属する行政書士会が開催する「はだの七福神めぐり」。

    毎年お正月に希望者を募り、7つの神社寺院をめぐるものです。

    イベント自体に参加はしませんが、七福神が気になったことが参拝のきっかけとなりました。

    参道がむちゃくちゃいい

    尾尻八幡神社の参道は、林道。

    右側にカーテン専門店、左側にマクドナルドという立地なのですが、ここだけは異世界です。

    鳥居手前からでもわかる境界感

    道は舗装されているため、第一印象より歩きやすかったです。

    途中から階段になります。

    小さな公園とカラス

    参道の途中に分かれ道があります。

    正面には拝殿、左手には公園がありました。

    お詣りの途中、カラスの鳴き声が目立ちましたが、公園にも1羽たたずんでいました。

    寒さのせいか、首をすぼめて丸くなっているようでした。

    尾尻八幡神社 拝殿

    参道に戻り、拝殿へ。

    こちらが尾尻八幡神社の拝殿です。

    大きな注連縄と、木彫りの彫刻にあたたかみを感じる造りです。

    手水舎を探したところ、右手奥にありました。

    自分で蛇口を捻るタイプで、問題なく手を清めることができたので参拝です。

    境内社と石碑

    尾尻八幡神社には、境内社が3社あります。

    そのうち1社は、拝殿の右手にありました。

    社号はわかりませんでした…

    お社の脇に立派な銀杏が立っていて、参拝時も色づいた葉がハラハラ舞っていました。

    尾尻八幡神社の境内でも、特に目立つ1本です。

    この他、日露戦争に行かれた方の忠魂碑らしき石碑(記念碑と記載があるように見えるのですが、詳細不明)もありました。

    石碑の後ろには、神輿櫓のような建物も。

    博識な人なら、詳細が記載されていなくても、建物の形状や配置から何が収容され、どんな目的で設置されているのか想像できるのだろうと思います。筆者はまだまだこれからですね…。

    はだの七福神めぐり

    もうひとつ。尾尻八幡神社の境内には、石がありました。

    恐らく、南はだの村七福神と鶴亀めぐりに関するものだと思われます。

    その証拠に、「親」とありました。

    かたわらのボックス内に、スタンプが収容されているようです。

    記載の通りダイヤルを回したのですが、筆者は開けることができませんでした。

    南はだの村七福神と鶴亀めぐり

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    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな
    榊原行政書士事務所 代表行政書士(lit.link)
    やぎ座のO型。趣味は写真を撮ること、神社をめぐること。

    鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)

    鶴岡八幡宮は、康平6年(1063年)源頼義が源氏の守護神として由比郷鶴岡(現 材木座)に、京都の石清水八幡宮護国寺を歓請したのがはじまりでした。

    その後、源頼朝が現在の土地へ遷し、鶴岡若宮と称したのが今の鶴岡八幡宮です。

    鎌倉の顔でもある鶴岡八幡宮は、「鎌倉八幡宮」と呼ばれることもあります。

    鶴岡八幡宮は、武士の都・鎌倉文化の基点にもなりました。

    由比ヶ浜海岸から鶴岡八幡宮まで、約2kmの直線を結ぶ参道や若宮大路を中心に発展してきたことから、今なお門前町として鎌倉観光の拠点になっています。

    鶴岡八幡宮 一之鳥居

    鶴岡八幡宮 御祭神
    • 応神天皇(第15代天王)
    • 比売神(ひめがみ)
    • 神功皇后(第14代仲哀天王の妃であり、応神天皇の母)

    摂末社

    鶴岡八幡宮の摂末社は次の通りです。

    • 旗上弁天社
    • 白旗神社…源頼朝、源実朝
    • 丸山稲荷社
    • 若宮(下宮)…仁徳天皇など
    • 祖霊社
    • 今宮…後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇
    • 由比若宮(元八幡)

    鶴岡八幡宮 御朱印

    鶴岡八幡宮の御朱印は、大石段(本宮)下、右手の「ご祈祷受付所」にて授かることができます。

    初穂料は500円、直書きにていただきました。

    鶴岡八幡宮までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒248-8588 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1-31
    電話:0467-22-0315

    最寄り駅

    JR鎌倉駅東口から徒歩約10分
    江ノ電鎌倉駅から徒歩約10分

    鶴岡八幡宮 参拝レポ

    ここからは筆者 参拝時の様子をお伝えします。

    三之鳥居から

    今回は、北鎌倉方面から来たため、スタートが三之鳥居でした。

    目の前はスクランブル交差点になっており、背面には参道「若宮大路」が広がります。

    右手に源氏池、左手に平家池がありますが、まずは本宮を目指します。

    源氏家にかかる桟橋

    平家池にかかる桟橋
    平家側には庭園

    京都を彷彿とされる通り

    参道を真っ直ぐ歩くと、交差する1本の通りがあります。

    白旗神社 社殿側
    北鎌倉に向かう通り側

    あまりに爽やかな横断っぷりに、京都の小路を思い浮かべながら更に進みます。

    手水舎

    鶴岡八幡宮の手水舎は、朱色のお社内に佇んでいました。

    手を清める人が次々訪れ、いつまで待っても無人の様子は撮影出来ません。

    それほど、鶴岡八幡宮は有名かつ人気の神社であることがわかります。

    向かい側には社務所がありますが、この日は空いていませんでした。

    舞殿(下拝殿)

    本宮の直線上に、舞殿があります。

    静御前が義経を慕って舞った若宮回廊跡に位置し、神事・結婚式等をこちらで行うようです。

    若宮(下宮)

    舞殿ななめ後ろに位置する若宮は、本宮とともに、国の重要文化財に指定されています。

    仁徳天皇、履中天皇、仲姫命、磐乃媛命を祀っているお社でもありますが、テント等で全体は見られませんでした。

    自祓い所

    舞殿左側に、茅の輪が設置されていました。

    自分でお祓いをするための人形が備えられており、初穂料は100円。

    多くの人が茅の輪をくぐっていました。

    鶴岡八幡宮の狛犬は訴求力が違う

    大石段の下に、狛犬がいました。

    色々な神社の狛犬を見てきたけど、初めて見るデザイン(という形容が正しいかどうか定かではないのですが)です。

    犬くらいの全身に対し、人面のようにも見えます。

    何か言いたげな表情が印象深い狛犬たちでした。

    本宮(上宮)

    石段を登り切ると、本宮楼門です。扁額の「八幡宮」の「八」は、鳥が向かい合っています。

    楼門に付された龍と虎の彫刻が、静岡浅間神社の楼門を想起させます。

    この先の本殿、武内社、宝物殿は全面撮影禁止だったため写真はありませんが、異国に迷い込んだような空気が漂っていました。

    親銀杏(大銀杏)と子銀杏

    大石段の下に、2つの銀杏があります。

    親銀杏の樹齢は1000年を超えるとされていましたが、平成22年(2010年)に強風により倒伏。

    その後、根元からひこばえが確認され、現在は順調に成長しているようです。

    旗上弁天社

    源氏池に浮かぶ島に旗上弁天社があります。

    治承4年(1180年)伊豆国における石橋山の戦いに敗れた源頼朝は房総へ。

    その後、鎌倉に移ると直ちに鶴岡八幡宮を創建し、平家討伐の本拠としました。

    このとき、夫人である北条政子によって源氏池に三島、平家池に四島を造り、平家滅亡を願ったとされています。

    3は「産」、4は「死」を意味するから…とされていますが、池を造るほど平家滅亡を願っていたのかと思うと、何とも言えない気持ちです。

    源氏池の三島には辨財天社を祀ったそうですが、これが旗上弁天社とはじまりとされています。

    社殿前 藤棚

    旗上弁天社 御朱印

    旗が見弁天社でも御朱印をいただくことができます。

    授与所

    直書きにて、初穂料は500円でした。

    風が強くおさえ紙が…
    旗が見弁天社 御朱印

    ふじさわ七福神 集印用色紙やオリジナルの御朱印帳も授かることができます。

    藤沢七福神用の色紙
    鶴岡八幡宮には鳩がたくさんいた

    丸山稲荷社

    本宮を左に進むと、稲荷社があります。

    おみくじ等 授与所を抜けていった先です。

    目印は、朱色の鳥居です。

    丸山稲荷社の御祭神は、倉稲魂神。建久2年(1191年)本殿が創られる前から、この地に祀られていた地主社です。

    社殿の造りは一間流見世棚造というもので、室町期の神社建築の遺例として高く評価され、境内に現存する建造物のうち最古といわれています。

    これらを踏まえ、昭和42年(1967年)には、国の重要文化財に指定されました。

    毎年11月8日に行われる火焚祭では、鎌倉神楽が奉納され、大勢の参拝客で賑わうそうです。

    その他のスナップ

    参拝時の写真をいくつかご紹介します。

    本宮を背に見た若宮大路(段葛)
    二之鳥居
    三之鳥居
    丸山稲荷社側の鳥居
    そばの手水舎
    丸山稲荷までの階段
    祖霊社裏手

    神奈川県鎌倉市「鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)」まとめ

    当ページでは、神奈川県ナンバーワン人気の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)をご紹介しました。

    とてもじゃないけど、1度の参拝で全てはまわりきれなかったので、次回にご期待ください…!

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    難攻不落の「小田原城(おだわらじょう)」レポ【御城印】

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    小田原城は、1500年頃に小田原北条氏の居城となり、関東支配の中心拠点として拡張整備され、最終的には日本最大の中世城郭となりました。

    当ページでは、小田原城の見所、御城印、小田原城へのアクセスをご紹介します。

    筆者プロフィール

    榊原 沙奈さかきばら さな(90′)
    やぎ座のO型。
    榊原行政書士事務所 代表を務めるかたわら、日常の疑問・悩みに効く情報を発信しています。趣味は、写真を撮ること、神社巡り。

    小田原城(おだわらじょう)

    小田原城は、室町時代に大森氏が築いた城郭を前身とし、1500年頃から100年にわたり、北条家5代で規模を拡大したお城です。

    しかし、天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原攻めにより、石垣山(一夜城)をはじめ、北条市は滅亡し、戦国時代も終焉を迎えました。

    このとき、徳川家康に従い大久保氏が城主となり、城の一部を破却して規模を縮小。近世城郭の姿へと改修されました。

    その後、明治3年(1870年)から明治5年(1872年)までの間に、場内の多くの建物は解体され、大正12年(1923年)の関東大震災により、江戸時代の姿は失われてしまいました。

    現在の小田原城天守閣は、昭和35年(1960年)に復興されたもので、昭和46年に常盤木門、平成9年に銅門、平成21年に馬出門が完成しました。

    御城印

    小田原城の御城印は、本丸売店(チケット販売所)にて購入できます。通常版は300円、切り絵は1,000円でした。

    気を付けたいのが、登城チケットはクレジットカード、交通系IC等に対応しているものの、御城印は現金のみ対応。

    以前、登城時に現金の持ち合わせがなく、今回は御城印のみ求めて来ました。

    左が切り絵、右が通常
    朱に金が映える
    ラメ感がゴージャス

    小田原城までのアクセス

    次の通りです。

    基本情報

    住所:〒250-0014 神奈川県小田原市城内
    電話:0465-22-3818

    最寄り駅

    JR小田原駅東口より徒歩約10分です。

    小田原駅構内 東海道線改札上にある小田原提灯
    小田急線
    東海道線のホームから小田原城

    車の場合

    小田原厚木道路 荻窪ICから約10分
    西湘バイパス 小田原ICより約5分
    東名高速道路 大井松田ICより約40分

    小田原城址公園に一般駐車場はないため、周辺の有料駐車場をご利用ください。

    登城ルート

    小田原城址公園には、4つの入り口があります。

    1. 正面入口(馬出門)
    2. 学橋・二の丸
    3. 南入口(御茶壷橋)
    4. 北入口

    引用:交通アクセス|小田原城【公式】

    小田原城 お散歩レポ

    ここからは、小田原城周辺のお散歩レポです。

    ※今回は登城しなかったので、次回をお楽しみに…。

    報徳二宮神社 境内を抜けてのスタート

    今回は、報徳二宮神社への参拝を終えてからの散策なので、南入口からのご紹介です。

    弁財天通り沿いの石碑

    報徳二宮神社参拝記事は、下記をご覧ください。

    関連記事

    報徳二宮神社 小田原城側の鳥居

    南入口

    南入口の脇には、御感の藤という藤棚があります。この藤棚は小田原市の天然記念物に指定されています。

    例年4-5月には爽やかな藤色のカーテンが見られますが、今(2023年12月現在)は足下のスズランが見頃でした。

    入り口には、このような看板もあります。

    御茶壷橋を渡ると、左手に蓮池がありますが、こちらも今は淋しい時期。

    蓮の見頃は、7-8月頃です。

    御茶壷橋を渡ると、左手に郷土文化館があります。

    早川石丁群の切石

    郷土文化館の前に、大きな石が2つあります。

    この石は、江戸城修築に使用する石垣用の石をつくる「石丁場」のものだと考えられていて、特に歴史的価値の高いものを移設保存したもの。

    切石の角を見ると、割り取るときに刻まれる「矢穴」が見られ、正面に「寸」の刻印があるので、小田原城にお越しの際は観察してみてくださいね。

    この切石の向かいに、小田原市郷土文化館があります。

    小田原市郷土文化館

    入館料は無料で、年末年始(12月28日-1月3日)を除き、9時-17時まで開館しています。

    文化館前の子馬

    銅門枡形内仕切門-銅門(あかがねもん)

    銅門(あかがねもん)は、江戸時代、二の丸正門として機能していた門です。

    枡形という形式の門で、櫓門(やぐらもん)と内仕切門の2つの門と、両者をつなぐ石垣と土塀で構成されます。

    内仕切門

    門外に架かる橋は住吉橋

    扉の飾り金具に銅を使用していたことから、銅門と名付けられたといわれています。

    内仕切門側からの銅門

    アップ

    現在の銅門は、発掘調査の成果、絵図、古写真等を参考に、平成9年(1997年)に復元したものです。

    小田原城を背に見た鋼門

    具体的には、平成5-7年(1993-1995)に枡形・石垣復元工事、平成8-9年(1996-1997年)に渡櫓門・土塀の順に行われました。

    石垣の復元には、関東大震災で住吉塀に崩落した石材を、門石に真鶴産の小松石(安山岩)平石、蔵王山系山岩を使用。

    復元にあたり、宮大工の芹澤伸明氏が棟梁を務め、市内の大工職人、近隣の左官職人らが持てるワザを結集し、造り上げたものです。

    復元に使用した木材のうち、鏡柱など14本の檜材はラオスから輸入し、天上の大梁2本は国産の黒松。これらの檜、松は、樹齢200年を超える大径木を使用しています。

    銅門(あかがねもん)土塀模型と礎石

    小田原城址公園内にて、銅門の土塀模型を見ることができます。

    この模型は、使用する木材や白壁の材料になる土の収縮・乾き具合などを確かめるために制作されたものです。

    土塀の材料は、地元でとれたものを使うことが多く、そのほうが現地の風土・気候に適うため合理的と考えられています。

    材料の混合比は、職人の勘に頼るところが大きいうえ、この混合比率を見誤ると、後にひび割れ等の原因にも…。

    かなりデリケートな作業だけに、慎重に進められたことがわかります。

    土塀が乾くのを待ったら、中塗り、本塗りの順で仕上げますが、銅門には砂漆喰を使用しているんですね。

    これらの作業は時間との闘いとなるため、左官職人が総出で行うのが一般的。

    私が呑気に眺めている銅門に、いったい何人の職人のワザが光っているのか、考えるだけでも背筋がのびます。

    それから、銅門礎石。

    この2つの石は、もともとの銅門で使用していたと考えられている石です。

    銅門の礎となる石は、ほぼ土中に埋められ、側面を斜めに加工し、櫓代の石垣に合わせて設置することになります。このうえで、穴に柱材を固定し、礎石となります。

    手前が1.6t、奥は1.8tもの重さがあるそうです。

    小田原城歴史見聞館/NINJA館

    土塀のそばに、小田原歴史見聞館(NINJA館)があります。

    メインとなるコンテンツは、戦国時代に北条氏を陰で支えた風魔忍者。

    映像・展示を通じ、北条五代の歴史と風魔忍者について学んでほしいという思いから造られた施設でもあります。

    開館時間は、9時-17時。入館料は大人310円、小中学生100円。

    休館日は12月31日、1月1日のみというタフな営業をなさっています…!

    ちなみに、歴史見聞館のある場所は、小田原城二の丸跡でもあります。

    通常、藩主の住まいは本丸にありますが、小田原城の本丸には、徳川将軍家のための御殿があり、小田原藩主の住まいは二の丸に置かれました。

    藩主の住まいとしてだけでなく、「二の丸御屋形」とも呼ばれ、藩内の政治を司る政庁としての役割もあったようです。

    いぬまき

    本丸に向かって歩くと、立派な木があります。小田原城跡のイヌマキです。

    小田原市指定天然記念物にも指定され、枝振りを支えるため、支柱も設けられています。

    頬杖をついているようで愛らしいですね。

    イヌマキは、関東南部以西の海岸地帯にある森林に多く自生している木で、小田原市内では身近な存在です。

    このイヌマキは幹周り4.5m、小田原市内最大のイヌマキでもあります。

    隣の木は、美紀の一部がぱっくりと割れてしまっているところを見ると、このイヌマキがどれほどの荒天を乗り越えてきたのかがわかりますよね。

    常盤木門

    朱い桟橋を通ります。

    平成29年(2018年)3月の様子

    春から夏に登城される方は、こちら側からの登城がオススメです。

    というのも、この桟橋の下には花菖蒲、本丸側の斜面にはたくさんの紫陽花が植えられていて、夜にはライトアップも!

    桟橋を渡るとすぐに石段があり、常盤木門です。

    本丸には、常盤木門と鉄門の2つの門を設けて、徳川将軍家 御殿を護っていました。

    「常盤木門」という名前は、戦国時代から本丸にあった7本松に由来しています。

    現在、7本松は1本しか残っていませんが、「巨松」と名付けられ、今でも多くの観光客に愛されています。

    常盤木門は、本丸の正門にあたり、重要な防御地点なので、他の門と比較しても大きく、堅固な造りなのがわかります。

    常盤木門外側から

    多聞櫓(たもんやぐら)と渡櫓門(わたりやぐら)があり、多門櫓は武器の貯蔵庫としても機能していました。

    ちなみに、門についているこちらの金具▽

    「乳鋲(ちびょう)」という装飾品で、閂鎹(門の釘)の先端が表に出るのを隠すために着けられるものです。

    目を惹きますよね、この形状。

    筆者はこのパーツを見つける度に、撮影している気がします。

    門の内側から
    本丸側から

    小田原城 本丸

    常盤木門をくぐるとすぐに本丸です。

    小田原城の本丸は、東西83間(約150m)、南北63間(約114m)の規模で、西端に天守台、中央に本丸御殿がありました。

    他のお城の場合、本丸御殿は藩主居館として用いますが、小田原城では徳川将軍家の宿所としての役割を持ち、寛永10年(1632年)の寛永小田原大地震にて倒壊後、三代将軍徳川家光の宿所として再建されました。

    現在の小田原城天守閣は、昭和35年に市制20周年記念事業として、総工費8000万円をかけて復興したもの。復興にあたり、「瓦1枚運動」が展開され、多くの市民から寄附が寄せられました。

    小田原城は、3重4階の天守櫓に「付櫓」「渡櫓」をつけた複合式天守閣で、地上38.7m、鉄筋コンクリート造、延床面積1822m2。

    最上階に見える高欄付き廻縁は、復興時、新たにつけられたものです。

    小田原城に登城するには、こちらから上がります▽

    平成29年(2018年)3月の様子

    入館料は、一般510円、小中学生200円。30名以上団体は一般410円、小中学生160円です。

    関連リンク
    オンラインチケット購入ページ|アソビュー
    チケット料金案内|小田原城公式サイト

    大手門跡

    小田原城址公園の敷地から少し離れたところに、大手門跡があります。大手門跡といっても、実際に設置されているのは鐘楼。

    目の前が小田原家庭裁判所という面白い場所にあります。

    この場所は、城下より一段高くなっていて、この門の西側が小田原城三の丸。藩の重臣のお屋敷が建ち並んでいました。

    大手門は、寛永10年(1632年)の改修工事により、三代将軍徳川家光の上洛を控え、石垣が造られました。

    寛永20年(1642年)には、幕府の許可を得て、正保年間(1644-1648年)に渡櫓門が建設され、延宝年間(1673-1681年)には、前面に冠木門が普請され、渡櫓・冠木からなる大手門の規模は、鋼門とほぼ同一でした。

    大手門櫓台 石垣上に鐘楼が設けられたのは、大正時代に入ってから。

    小田原城址公園からこちらまでの全てが、小田原城の一部だったと考えると、当時の将軍の勢力がどれほど大きかったかがわかりますよね。

    お土産

    お土産は、小田原城内に売店があるほか、城下の本丸売店・本丸茶屋でもお買い求めいただけます。

    売れ筋は、虎朱印最中城下町もなか、笹かま、手作りせんべい、ほととぎす。

    城・武将クリアファイル武将扇子立ちコマなどが人気です。

    筆者も武将扇子を持っていますが、他とあまりかぶらないし、渋くてかっこいいですよ~!

    ちなみに、お土産物にも使用される大納言小豆でつくる絶品あんこは、小田原市のふるさと納税返礼品にもなっています。

    現在は封鎖された星﨑記念館【写真】

    郷土資料館の奥に、古い建物があります。

    この建物は星﨑記念館といい、令和2年3月31日をもって60年の歴史に幕を下ろしました。

    中には図書館もありましたが、現在は小田原駅東口図書館に引き継がれています。

    そんな星﨑記念館の内部をおさめた写真があったので、下記に掲載します。

    ちょうど桜の時期で、大きな窓から見る桜が素晴らしかったです。

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