私は“愛と責任”の中で生きている ― 生年月日と名前から見えた、私の輪郭

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 私は、占いを“信じている”わけではありません。

 けれど、迷ったときや動けなくなったとき、自分の足元を照らすものとして、カードや命式を開くことがあります。

 今回は、私の「生年月日」と「名前」の意味について、占い師の視点で見つめ直しました。

 「榊原沙奈」という名前と、1990年1月4日という日付が、どんな運命の設計図を持っていたのか──あなたの自己理解へのヒントになるかもしれません。

① 生年月日から見る、私の生き方の輪郭

 私の生年月日について、四柱推命(簡易版)/九星気学を基に占いました。

基本性格

 本命性は一白水星/生まれ日の干支は己巳。

 この星回りは、「人に見せぬ情熱」と「観察する知性」が大前提にあるとされ、表向きは落ち着いて見えるものの、内側では情熱が囂々と燃えているのが特徴です。

運勢の波

  • 人生前半(〜30歳くらいまで):周囲との軋轢・家庭との縁に悩みやすい運気。ただし、20代後半に一度目の転機
  • 中盤(30〜50代):本来の才能を発揮し始める時期。個人事業や独立など「自分の旗」を掲げることで発展
  • 後半:精神面・価値観の深化。「伝える」「残す」仕事に向く(出版・教育・啓発など)

② 姓名判断から見る、「沙奈」という名前の意味

 榊原沙奈の総画数は38画。

 誠実で信念を貫く一貫性のある人生で、波風はあれども、地道な努力が最終的に報われる継続の強さが特徴です。精神性と知性を武器に道を切り開くタイプでもあります。

 次に地格は15画で、愛される要素があり、縁の下の力持ちとして評価されやすい。感受性豊かで、芸術や表現の才能があるとされます。

 人格の17画は、まっすぐで完璧主義な一面を示しました。自分にも他人にも厳しい反面、理想に真っ直ぐ進むタイプ。誤解されやすいですが、信念を貫く芯の強さが魅力のようです。

 外格は21画で指導者運。若干、近寄りがたい雰囲気を放ちますが、敬意をもって接されやすい特徴も。

 総合的に見ますと、「静かなる情熱家」。
 一見控えめで理性的に見えますが、内側に燃えるような理想や使命感を秘めており、特に30代から本格的に「言葉」や「知識」を通じ、誰かに届く人生を歩む流れがあります。

③数秘術から基本の性格

 私のライフパスは6で、「癒やしと愛の担い手」。

 調和とケアの星にあり、面倒見がよく、人や社会を良くしたいとの想いが強い星です。
 そのため、トラブルを回避するのは苦手で、「向き合って受け止める」タイプでもあります。

 バースデーナンバーである4は、堅実で誠実、リアリストという特徴を持ちます。

 綿密な計画力や責任感、忍耐強さがあり、夢を見るより叶える力が強い星です。ただし、手を抜かないため、自他に厳しい側面も。

 ディスティニーナンバーは1で、リーダー・先駆者タイプ。

 独立心と先導力が強く、人の後をついていくより、自分で決めて進みたい気質です。
 新たな価値観を作り出す開拓者で、意志が強くマイペース。誰にも似ていないため、孤独を感じやすい星でもあります。

 ソウルナンバーは6で、心での繋がりを求める傾向にあります。

 パーソナリティナンバーは22で、「落ち着きがある」「しっかりして見える」「強そう」とみられがちです。
 しかし実際には、繊細だけれど、それを人に見せない「縁の下の力持ち」。誤解も多いですが、本質的に人に頼られやすい特徴を持ちます。

 ここまでをまとめると、私の数秘は「愛と責任をもって世界を創る人」。

 外側は「信頼」「リーダー性」が強いのに対し、内面は「人を守りたい」という想いで溢れています。そのギャップは時に苦しみを生みますが、誰かのために旗を掲げる人生が合うようです。

私の「道」は、誰かの“問い”に触れたときに開く

 占いが教えてくれるのは、「あなたの運命はこうです」ではなく、「あなたは、こういう人かもしれない。どう生きますか?」という問いかけだと思っています。

 私の人生には、たくさんの分岐がありました。

 どれが正解だったかはわかりませんが、どの瞬間にも“意味”を持たせてくれたのは、言葉や命式でした。

 この記事が、誰かの“問い”を照らすヒントになれば――そんな想いで、私は今日も名前と生年月日に手をあてています。

占いを信じるかどうかはあなた次第ですが、この結果から興味が湧いた鑑定法があれば、ぜひ試してみてくださいね。

占い師である私が、自分の事故を占った理由 ― タロットに問いかけた「真実」と「報い」

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◆事故の背景と、私が占いを決意するまで

 2024年の夏。私は交通事故に遭いました。

 当時の状況については、既に公的な記録に残されており、ここでは詳細を控えますが、現在も左手に痺れが残っています。

▶症状固定のご報告(動画)
 私の状態については、先日YouTubeにて症状固定の報告動画を公開しました。より具体的な経緯や当時の気持ちについては、こちらでお話ししています。

🎥 症状固定を報告する動画(YouTube)

 事故の後、通院や書類対応を進めるなかで、説明のつかない場面がいくつかありました。
 ただあくまで、“違和感”でしかなく、確定的な根拠を持つものではありません。

 私は行政書士として、日々制度と向き合っています。そして、占い師としても、人の感情や目に見えぬ流れに触れてきました。

 本件では、自分が「被害者」という立場にあることを自覚しながらも、どこかで“感情の整理”がつかぬまま、月日が流れている感覚です。

 そこで私は、カードに問いかけました。

 これは、犯人を暴く鑑定ではありません。また、誰かを追及したり断罪するものでもありません。

 ただ、自分の中にある“引っかかり”の正体に名前をつけたくなったのです。

◆鑑定①:加害者の行く末 ― カードに問う、姿なき存在の未来

 事故当時、相手車両を運転していた人物について、いまだ明確な特定に至っていません。

 この件に関しては、制度上の手続に委ねており、今回はあくまで「名前も顔もわからぬ相手」の行く末を問いました。

 この行為にどれほどの意味があるのか。私自身、自問を繰り返しながら鑑定を進めました。感情を整理するために。

🃏引いたカードとその位置

ポジション意味
行動の因果崩壊、衝撃、突然の破綻
社会的責任公正な裁き、制度の是正
評価・周囲の反応復活の失敗、赦されない
内面の変化後悔、喪失、取り返しのつかない感情
最終的な帰結未完、報われない結末、閉じない物語

🕯解釈:逃げた人に完結はない

 めくったカードたちは、一時的に逃れられたように見えても、やがて何かが崩れ、失われていく構造を静かに語っていました。

 はじめに示されたのは、築き上げてきた基盤が唐突に崩れるような出来事。これは、本人の意図を超えた“崩壊”や“大きな代償”を象徴しています。

 次に感じ取れたのは、「バランスを正す力」の存在。
 制度や社会的な関わりの中で、帳尻が合わされるような場面が訪れることを示唆しています。

 それから、周囲からの信頼を取り戻すことが難しく、「赦されぬまま次に進む者」として、何かを置き去りにした人生になる可能性が高いとも。

 相手方の物語が“完結しない”感覚が、最後に重く残りました。

◆鑑定②:運行供用者の行く末 ― 責任の重みは、どこへ向かうのか

 今回の事故において、加害者の特定には至っていませんが、車両の運行供用者(使用者・管理者)は確認されています。

 ですので私は、法制度においてこの人物の立場を知っているのですが、人として本件とどう向き合っているかについては測れずにいます。

 この鑑定では、「加害者ではないが、責任の位置に置かれた人物」が、今後どう変化していくのかを尋ねました。

🕯解釈:自覚なき責任の、その先に

ポジション意味
現在の立場・心理責任の形骸化、コントロールの放棄
事故への向き合い方誤認、不安、真実に対する無意識の回避
今後の動き計画、選択肢、次の手を模索する
周囲からの評価亀裂、信頼の喪失
最終的な行く末転機、因果の巡り、運命の節目

 最初に出たのは、本来あるべき責任感や統率力がうまく機能していない状態を映し出すものでした。

 ですので、「自分のせいではない」「やるべきことはやった」というような、形式的、かつ、本件と意識的に距離をとったものと推察します。

 続いて浮かび上がったのは、物事の本質から目を背け、曖昧さの中にとどまろうとする感覚でした。誤解や不安、現実の重みに対し、いまだ向き合いきれていない様子がうかがえます。

 一方で、未来の兆しに「このままではいけない」という選択の気配も感じられます。
 行動を起こす、または何かを決断する転機が迫っているように見えました。

 対人関係においては「信頼の揺らぎ」や「すれ違い」が既に起きており、それら関係性の修復は困難な位置まで来ていることが読み取れます。

 最終的に示されたのは、必然の転換点、時間と因果の巡り合わせです。

 すぐに何が起こるというわけではないものの、あるべき時に、あるべき変化が訪れる。
 これにより、本人が何を見て、何を失い、何を選ぶのかは、その瞬間に試されることになるものと考えられます。

🌙問いを残す

 私はこの人物に対し、「不誠実」と決めつけるつもりはありません。

 しかしながら、事故後の対応から感じる温度差とズレに、引っかかりを覚えていることも事実です。それこそが、本鑑定の動機でもあります。

 鑑定結果から、「何も起きていないように見えるいま」が全てではないことを読みましたので、真偽はさておき、問いとしてこの記事に残します。

◆鑑定③:真相は明らかになるのか/報いは返るのか ― 因果という問いに、カードが答えるなら

 本件に関し、事実関係のすべてが明らかになっているわけではありません。この前提を踏まえ、どうしても気になる問いがあります。

 この事故の本当の姿は、いずれ明らかになるのか。

 そしてもし、関係者の中に意図して事実を歪めた存在がいるとすれば、その報いはどこかで返るのか。

 これらは加害者への処罰感情だけでなく、鑑定を通し”因果”に向き合って来たからこそ尋ねたい問いでもありました。

🔍真相は明らかになるか?

 曖昧さを排し、はっきりとした言葉や事実が提示されるカードが示されました。

 たとえ今は霧の中にあっても、然るべきタイミングで避けがたい事実が明るみに出る可能性が高い、と読むことができます。

 それは制度的なものなのか、それとも、偶然の結果なのかまではわかりませんが、いずれにせよ、真実を突きつける刃がもたらされるという強い暗示です。

🔍嘘をついているなら報いは返るのか?

 この問いに対し、「与えられるべき豊かさが失われていく」という答えが示されました。

 仮に誰かが事実を歪めているとすれば、その人物はやがて、人の情けや支えから遠ざかる可能性が高い。それは罰のように見えますが、「育まれぬ人生」としてじわじわ蝕まれていく。

 報いとは、何かを失うという形でやってくることもある―――そう語っているように見えました。

🌙まとめて問いを

 これらの問いについて、私は断定するために鑑定したわけではありません。
 単に、心にある引っかかりに形を与え、違和感を特定するために鑑定の力を借りたのです。

 ですので、本記事をご覧の皆さんが決めてください。どこまで信じるか。

◆結びにかえて ― 占いは真実を語るのか?

 ここまでご覧くださった方の中には、「占いでそんなことがわかるのか」と疑問を抱かれている方もいらっしゃるかもしれません。

 実際、鑑定を行った私自身も迷い、何度も疑いながら行いました。

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私は行政書士であり、占い師でもあります。
 そして、本件においては事故の「被害者」でもあります。

 そのような私が占った結果ですので、客観性を欠く部分もあるかもしれません。

 けれど私は、どうしても知りたかったのです。

 「この違和感はどこから来ているのか」。
 そして、何を信じて生き直せばいいのだろうか――と。

🌙占いは、暴く道具ではなく、整えるための言葉

 占いは、真実を断定するものではありません。

 では何かといえば、“正解”を提示するのではなく、人が自分の心と向き合うための言葉の形を変えたものです。

 今回の鑑定についても、悪者を決めたいわけではありません。

 単に、起きたことに意味を与える言葉がほしかった。その言葉の輪郭を見つけるために、鑑定の力を借りただけなのです。

📖どこまで信じるかは、あなたが決めていい

 本記事を読み、信じられると感じる方もいれば、「所詮は占い」と思う方もいらっしゃるでしょう。どちらも正しいです。

 占いとは、信じるべきものではなく、使うものと考えています。

 ヒントになるなら使えば良いし、違和感があればそっと閉じれば良い。

 ただひとつだけ、この記事を通して伝えたかったことがあるとすれば──

「逃げた人にも、完結しない物語は残る」
「真実は、静かに、確かに、巡ってくる」

 私はそう信じ、生きていくつもりです。

 そして、この言葉が誰かの心に届いたとき、今回の鑑定が“意味のある問い”として成立するのかもしれません。

INFJ(提唱者型)のリアル|行政書士×発信者×感情重視人間の葛藤と生存戦略

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「あなたはINFJです」

 そう診断され、納得する部分もあったが、すこし嫌になり、やや誇らしくなった。

 MBTIで言うところの“提唱者型”だった。一応、「希少型」とされているらしいが、SNSを見渡せばINFJだらけじゃないか。

 しかも、よく紹介されている特徴――「理想が高い」「共感性が強い」「静かに情熱を燃やす」――それ、本当に私のことなのか。実際は、そんなに綺麗なものではない。

 器用ではないし、人間関係でよく傷つき、いつも感じすぎて疲れる。

 けれど、この診断を機に、私は「自分がどういう人間で、どうやって生きていきたいか」をようやく言葉にできた気がしている。

 この記事では、行政書士として働きながら、発信活動をして、生きづらさと向き合ってきたINFJのリアルを記録します。

🟪 1. INFJ診断との出会いと違和感

 MBTIという言葉を初めて知ったのは、たしかTwitterだった。

 自己診断や16タイプ、INTJとかENFP、なにやら記号のようなものが飛び交い、はじめは正直、流行りの血液型占いの発展系くらいに思っていた。

 話のタネにと考え、試しに診断してみたら「INFJ」。結果に表示される“希少型”の文字に警戒心が首をもたげる。

 「理想主義者」「人の感情に敏感」「一人の時間が必要」「人のために動くけど、自分を守れない」
――書かれていることに思い当たるところはある。だが、なんだろうか。この居心地の悪さ。

 そんな中で最も刺さった言葉。それは、

「INFJは、“自分を理解してくれる人なんていない”と思いながらも、それでも“誰かが気づいてくれる”はずだと信じている」

 という点だった。嫌な感じだ。わかってほしいくせに、わかってほしくない。そんなめんどくさい性分…図星である。

🟪 2. 「わかる」と「いや、ちがう」のせめぎあい

 INFJの解説を読みながら、「わかる」と「そうじゃない」とがせめぎ合った。

「理想を追う」――わかる。しかし、理想を言語化できぬ時期のほうが長かった。
「人の感情に敏感」――わかる。けれど、そのせいで“見なかったことにする”癖もついた。
「独特の世界観がある」――わかる。だが、“人と違う”ことがそんなに誇れるものだろうか。

 これらを踏まえ、いまだに「INFJ」だと名乗ることが気恥ずかしい。

 希少型だからではない。理想があるからでもない。

 名前が与えられることで、世界が固定されるのが怖いのだと思う。

 しかしようやく、MBTIを通し「他人と自分は、前提からして異なる」ことを受け入れられるようになったのも事実だ。

🟩 3. INFJで行政書士?実際どうなの?

 「INFJに向いている職業」として、カウンセラーや作家、福祉系の仕事が挙げられていた。

 その点、私は行政書士という、どちらかといえば「制度」と「文書」を扱う、感情から遠い仕事を選んだ。

 書類作成に感情はいらない。条文と条文の間に気持ちを挟んでも、申請書類は通らない。

 むしろ感情を混ぜすぎると、非効率でミスが起きる世界だ。

 ――にもかかわらず、この仕事を選んだのは、“言葉で人を守れる”からだ。

 私にとって、契約書の一文と遺言のひと言、いずれも、人生の“痛み”や“願い”の置き換えである。書類を整えることは、誰かが不安を抱えていた場所に、小さな手すりを設けること。

 感情を語らず、感情に応えることができる。

 それがINFJとしての私に、ちょうどよかったのだと思う。

 ただ、制度の隙間に人がこぼれていくのを見ると、何もできなかった自分を責め、理想を掲げすぎて現実から乖離していると感じると、内省モードに入ってしまう。

 書類が完成しても、胸中ではいつも「これでよかったのか」と自問している。

 INFJは、“やるべきこと”と“やりたいこと”が一致しないとき、静かに自分を蝕んでいくところ、あると思う。

🟦 4. 感情を持ち込む仕事・持ち込めない発信

 私は、発信をしている。

 YouTubeやnote、ブログ、X――これらの媒体において、行政書士として情報を出すことも多いが、どちらかといえば、感情のほうがよく出ているのではないだろうか。

 正論は、検索すればすぐに見つかる。

 だが、それらが誰を救い、誰を置き去りにするのか、そういった部分を言葉で記録したかった。

 だから私は、あえて感情を持ち込んでいる。誰かの心にひっかかる言葉を届けるために。

 ただし、こうした行動はINFJにとって、結構リスクだったりもする。

 なぜなら、感情を曝け出すのと同時に、批判や無理解を浴びることになる。

 コメントひとつを何日も引きずるし、「どうせ本気じゃないんだろう」と向けられる冷めた目に、自分の信念ごと冷やされることもある。

 それでも私はやめなかったし、厳密には、辞められなかった。

 誰にも届かなくてもいいんだ。でも、誰かひとりにだけでも、「あなたの言葉があったから頑張れた」と思ってもらえる可能性があるうちは、それが続ける理由になる。

🟧 5. INFJにとっての“生きること=意味を問うこと”

 INFJはおそらく、「なぜそれをやるのか」と動機の部分を毎日考えるタイプだ。

 楽しいときでさえ、「この楽しさに意味はあるか」と不安になり、頑張っているときほど、「これは誰のためか」「本当に必要なのか」の問いが脳裏をよぎる。

 これは性分だ。自分でさえ、止められない。

 公私を問わず、常に意味を探す。それがINFJの“厄介さ”であり、“誠実さ”でもある。

 だから、目先の目標や数字、外部からの評価だけで続けることが難しい。その裏側に「なぜ、私はそれをするのか」の答えがなければ、先に心がすり減る。

 逆に言えば、「やる意味」を見つけたINFJはとんでもなく強い

 周りに理解されず、共感が得られなくても、「これは自分にとって意味がある」と確信すれば、淡々と、しかし確実に、そこに立ち続ける。

 私がいまも、行政書士であり、発信者としてここにいるのは、「制度や仕組みのなかに置き去りにされている誰か」に気づき、言葉の形を借りて手を差し出したいと願っているからだ。

🟨 6. INFJが稼ぐという矛盾と希望

 INFJが稼ぐこと。それは何だか、とてつもなく矛盾している気がする。

 自分本位にお金を受け取ることに罪悪感を抱き、値付けをすれば「本当に価値はあるのか」と不安に苛まれ、儲かると必ず、誰かを犠牲にしていないかと恐ろしくなる。

 正直なところ、金の話をする自分がいまだに好きになれない。

 しかしながら、生きるには金が要る。

 梅(愛犬)や善(愛鳥)の生活や治療、進学、事務所の維持についても、理想だけではどうにもならない。

 だから私は、「稼ぐ」という言葉に自分なりの意味を与えた。

 私にとって稼ぐとは、「誰かを支える手段を自分の手で持ち続ける」ことである。

 誰かの声を文章にして届け、制度を知らぬ誰かに安心を提供し、絶望する誰かの「何とかなる」に寄り添う。そうして人のそばに立ち続けるには、お金が必要だった。

 INFJという特性を持つ自分が、発信を通して対価を受け取る覚悟ができたのは、「全てに意味を与えた」からに他ならない。

 コンテンツを問わず、すべての言葉に、誰に向け、何のために発するかを毎回考えている。

 数字や再生回数に振り回されることもあったが、最終的な支えとなったのは、“意味を信じてくれた人”だ。

 そうして今、もう一度、「命と向き合う道」を選ぼうとしている。

命と向き合う道を選びたい理由

 愛鳥・善の治療を機に、“現場で命を支える”仕事に心が傾いた。

 獣医師にはなれない。時間と年齢を考えると、とてもじゃないが現実的とはいえない。

 しかし、愛玩動物看護師が国家資格になったことを知り、「今より一歩、近づけるかもしれない」と思った。

 もしかするとその職業は、お金になる仕事じゃないかもしれない。

 けれど、私にとって意味のある仕事だ。だからその意味を、言葉と稼ぎの両面から支えていきたい。

🟫 7. おわりに:私が提唱したいのは、たぶん「静かに生きる誇り」

 INFJという型がどれだけ私に当てはまるか。そんなことはどうでもいいのかもしれない。

 大切なのは、「どう名乗るか」ではない。「どう在りたいか」の一点だ。

 私は決して、好戦的とは言えない。声を張り、誰かを説得することに長けていない。

 だが、諦めずに目の前の誰かを見ていたい。「あなたの痛みに、私は気づいている」と伝えられる人間でいたい。

 それが私にとっての“提唱”なのかもしれない。

 声は小さくていい。泣こうが揺れようが、生き方は自分で選び続けたい。

 目の前の命を守ることに、制度と制度の間でこぼれる誰かの言葉に、ひとつひとつ、意味を与えながら。

 INFJというラベルに不満を抱く日もあった。けれどいま、こう思う。

 「私は、私でよかった」と。

 この思いにたどりつくために、この診断と発信、善との出会いをはじめ、すべてに意味があったのだと信じていたいのである。

それでも発信を続けるということ―伝わらなさと呆れの向こうで

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関連投稿

 「やめてしまおうか」と思う瞬間がある。

 それは、何かひどい言葉を浴びせられたからというより、「誰にも届かなかった」と感じる時間の積み重ねに、心がすり減っていくからだ。

 発信をしていると、ときに予期しない反応に心を抉られることがある。それはまるで、ナイフで刺しただけでは飽き足らず、刃先をグリッと回すような残虐性を帯びていて―にもかかわらず、投稿者本人にはその自覚がないことが多い。

 それでも、自分の言葉を手放さない理由があるのだと信じた。

 けれど最近になり、その「理由」がよくわからない。

 今回は、①伝わらない苦しみ、②反応に対する複雑な心情、③心身の限界―この3つを正直に、構造として掘り下げる。

 これは責任転嫁や断罪の文章ではなく、私自身がなぜ、ここまで疲弊したのかを見失わずにいるためのきろくである。

①伝わらない苦しみ

 私は何も、わかってもらえないことが苦しいのではない。本当に苦しいのは、「伝えようとしているのに届いていない」ことだ。

 できるかぎり論理を重ね、言葉を整え、誤解の余地を減らす努力をしてきた。

 感情よりも構造を、感覚より順序を優先して発信することを、自ら選んで来た。

 これが私のスタイルであり、生存戦略の1つでもあった。

 けれどその上で、なお届かぬとき、「ではどうすればよかったのか」と自分自身に刃を向ける。

 私は自分の感情を預けすぎぬよう、情報として届けているつもりだ。

 その理由のひとつは、相手を尊重するため。

 自分を語りたいわけではないし、寄りかかるつもりはない。それなのに、向こうから”感情”の形でノックされる。

 解釈という名の押し付け。
 勝手な期待と落胆。
 「こういうことでしょ」と雑なラベル付け。

 そのすべてが私を”面白く解釈できるフリー素材”として消費してくる。

 質の低い反応に触れる度、「それはあなたの話だよね」と胸中でつぶやく。

 本当は、そういう人たちの背景まで見たくない。それでも、見えている自分がいる。

 おそらく「こういう経験があったのだろう」と察し、自分の投稿より、投稿に反応した人が抱える未処理の感情や、認識の歪みが見えている。

 見たくない。

 私の目は、そんなものを見るために開いているのではない。

 だが、それを遮断するにはあまりにも意識を研ぎすぎた。

 私が最も欲しているのは、共感でも、反響でもない。

 理解したがる意志に対する最低限のリスペクトだ。

 誤解は構わない。ただ、読み取ろうとしてくれる姿勢だけは見せてほしい。

②反応に対する複雑な心情

 発信を通し、反応が届く。これが嬉しいこともあれば、疲弊することもある。

 厄介なのは、そのどちらにも属さぬ半端な反応―

 「来ることはわかっていた」
 「内容も想像通り」
 「だから余計に、腹立たしい」

 そんな類いのコメントだ。

 投稿前、おそらくこうしたコメントが届くだろうとある程度の予測を立てる。

 これが的中した瞬間、どこかで「やっぱり」と思っている自分がいる。

 ここでの的中は、”予測能力で”ではなく”諦め”に近く、自分でも戸惑っている。

 本当は痛いのだろうが、もう痛みを認識する余裕もないのか、それとも、認識しないよう避けているのか、自分でもわからない。

 少なくとも、それに向ける感情はもはや”失望”でも”怒り”でもない。”処理”だ。

 しかしながら、無反応にも落ち込む。

 「もう誰の目にも止まらないのか」と不安になる。

 わたしは別に、否定されること自体が嫌なのではない。

 意見の相違は当然で、発信をしている以上、それを受け止める覚悟はある。

 でも、否定しながらその場に滞在している連中には、どうしても苛立ちが隠せない。

 気に入らないなら、他に行け。
 もっと適切なチャンネルがあるだろう。

 これは単なる買い言葉ではなく、視聴者自身が持っている”選択の自由”を思い出してほしいという願いに近い。

 どのチャンネルを選び、どんな言葉に触れるか、その選択権はいつだって視聴者にある。

 にもかかわらず、自分に合わないと叫びながら当チャンネルに居座り、文脈は無視。期待にそぐわぬ発信に野次を飛ばし続ける滑稽さを前に言葉を失う。

 それを選んでいるという事実に対し、自覚がない。なんて情けないんだろう。

 誰にでも開かれている場所であるからといって、誰にでも応えるべき義務を負うのか。そんなことはない。

③限界を知りながら、止まらない

 疲れが抜けない。眠っても、回復したという実感がない。

 目覚めた瞬間は気分が軽い。差し込む朝陽と、傍らで眠る小鳥たちを前に、今日も世界に会えたことを喜んでいる。

 だが、「今日は何をするか」と考えた瞬間、奈落の底へと転落する。

 まるで、満天の星空を見上げていた視線を水平に戻した途端、燃え盛る民家を背景に、返り血を浴びた殺人鬼に囲まれているような感覚。

 コメントやDMを見るのが嫌だ。にもかかわらず、怖いもの見たさで確認する。

 ”どうせろくでもないことが書かれている”という予測が先行し、それが的中することに奇妙な快感を覚えている。

 もはや、痛みと予測の的中がセットとなっている。

 快感とは言うが、それを味わっているのではない。単に、不快感を「予想通り」とすることで処理している。それだけだ。

 しかしそれでも、私は投稿する。「反応がある」と思いながら。

 たとえば、相続に関する動画を投稿するとき。

 「ここに突っ込まれるのだろう」と感じながらも、撮り直す気力はなかった。

 そのことへの後悔と、わかっていながら刺された自分に対し、落胆と怒りが入り交じる。

 専門家を名乗る以上、仕上がりには責任を持たなければならない。

 けれどその”プロ”という肩書きを持ち出された途端、本当は「お前の落ち度だ」と指をさされているような気持ちになる。

 実際にそんな責められ方はしていないのに、そこにある”語気の圧”に反応する。

 発信は義務ではない。私が好きでやっている。そのことに違いはない。

 だからこそ、傷付けられることに憤る。

 否定だけして居座る不法侵入者。
 アドバイス風の言葉を振りかざしながらも、自分の”納得”のためだけに発信者を消費する餓鬼。

 彼らが自らのニーズを把握できていない点には、呆れる。

 まるで、ペンギンを見たくて動物園に来たはずが、コンドルの檻の前に居座って文句を言い続けているようなものだ。

 ペンギンのように可愛らしいショーを見せぬコンドルに苛立ち、飛ばない理由を分析し、”自分なら飛ぶのに”と嘲笑して去って行く。

 気づいていないんでしょ?

 檻の前に立ち、見て、感じ、そこに留まっているという一連の行動が、すでに”選択”であることに。

エピローグ:それでも、ここにいる

 発信者であること、発信の内容に正解はない。

 ていねいに届けても、歪められる。
 無視しようにも、視界に割り込まれる。
 構えても空振りし、気を抜けば刺される。

 それでも今日も、画面の前に座っている。

 期待などとうに捨てた。まして、救われたいなどと思ってもいない。

 ただ、誰にも渡さずにいた言葉を、たしかに自分の手で扱いたい。

 届かなくていい。
 曲解、大歓迎。

 たしかに伝えたかったことが、ここにあった。

 もし、同じような痛みを抱えた誰かが、この言葉の残響に少しでも足を止めてくれるなら。

 その一瞬は、無意味ではない。

 これは誰のための発信でもない。

 ただ、自分に対する”応答”としての言葉だ。

 だから今日も、沈黙の海に小さな石をひとつ、投じてみる。

 音がなくても、波が立たずとも、それでいい。

自己陶酔という病:恋愛ごっこに逃げ込む中年と、その共犯者たち

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 どこにでもいそうな顔で、どこにでもありそうな恋をする。

 しかし彼らはなぜか、”特別な愛”を演じたがる。

 既婚者の中年俳優と、世間から清純派とみなされていた若手女優。

 本気だと言いたげな眼差しで交わす言葉の裏に、本気でないことを互いに知っている空気が透けて見える。

 誰のものでもないと言いたげな眼差しを携え、互いに「自分だけは特別」だと信じたがっている。

 本当に大切に思っているのならなぜ、堂々と愛せないのか。
 なぜ家庭に帰り、なぜ彼女は待ち続けるフリができるのか。

 家庭もキャリアも失いたくはない。それでいて、誰かに求められる自分には酔っていたい。

 恋人の役を演じることでしか愛を感じられないふたり。

 それが叶わぬ現実に目を閉じ、耳を塞いで、”わたしたちだけの世界”で生きているフリをする。

 これは恋ではない。自己陶酔という病に冒されたふたりが、”恋をしている自分たち”というドラマに酔いしれているだけだ。

 この病の厄介なところは、その芝居に気づかず拍手を送る”共犯者”を生み出すことにある。

📻音声で聴きたい方はこちら(Spotify配信中)

この手の人間の特徴

 彼らは本気で「恋をしている」と思い込んでいる。

 しかし実際には、自分自身にとって都合の良い感情だけを選び取り、責任もリスクも取らず、”恋をしている気分”に浸るだけ。

 よく観察すると、次の共通項が見えてくる。

【特徴1】自分の”感情”を最優先

 愛している、辛い、会いたいーそういう感情だけを並べ、相手の立場や背景、傷付ける可能性を見ないし、考えない。

好きになっちゃったんだからしょうがないよね

それ、本当に相手を思ってらっしゃいます?

【特徴2】バレないことを前提に成立する恋愛

 バレるまでは純愛。バレたら”想定外”。

 つまり、逃げ道を確保したまま進む関係にしか踏み込めない。

 本当に大事なら、誰にも恥じず互いを守ることができる道を選ぶのではないか。

【特徴3】相手が”自分を肯定してくれる存在”であることが重要

 愛しているというより、「自分を必要としてくれる相手」との関係性に酔っている。

 恋人がほしいのではない。「恋人役をしてくれる人」がほしいだけ。

以上のことから、「恋」ではないことは明らかである。言うなれば、「甘え」と「自己愛」の循環でしかない。

分類と心理構造

 ”本気ヅラ人間”は、以下に大別することができる。

【タイプA】癒やし依存型ー「私がいないとダメなんだ」と思いたい

 このタイプは、誰かの弱さを見つけるとすぐに寄りかかる。

 それは支えることが目的なのではなく、”自分の存在価値”を実感するために他ならない。

 たとえば、最近不倫騒動が出た永野芽郁さんが演じるのはこのポジション。

 既婚者で、責任ある立場の男性に寄り添い、

彼が壊れないように支えているのは私

 だと信じ込もうとする。

 けれど実際には、自分が”選ばれし存在”であることを証明するステージに過ぎないにもかかわらず、本人はこれを『海よりも深い愛』と思い込んでいる。

【タイプB】承認型逃避人ー甘えながら責任は絶対に取らない男

 典型的な中年の逃避型はこれに属する。

 田中圭のように、仕事・家庭・立場という外圧の中で「良い人」を演じ疲れている存在は、その捌け口として、自分を肯定してくれる存在を求める。

 でも逃げたいだけで、何かを変える覚悟や行動はない。

 責任を取らなくて良い場所でだけ「本音」を語るふりをして、

俺も辛いんだよね

などとこぼし、理解されたい願望ばかりが前に出る。

 そのくせ、別れることも、離婚もできず、家庭を壊さない。ずっと”都合の良い場所”で被害者面をしていたいのが本音だろう。

 両者に共通するのは、「他人を使い、自分を満たす構造」にいること。

 愛ではない。必要とされたがっているだけ。

 しかもその必要性すら、自分の脳内だけで作られた幻であることが多い。

対処法:関わってしまったときの心得

 問題は、この手の”本気ヅラ人間”が優しい言葉や、弱っているふりをして近づいてきたときだ。

 最初は、「こんなに私のことを求めてくれる人、初めて…」といった錯覚すら抱かせるが、ちょっと待って。よく観察してほしい。

 彼らが求めているのは”あなた”ではない。”あなたがくれる安心感”だけだ。

 とはいえ、関わってしまっては仕方がない。

【対処1】話を聞いてあげない

 愚痴、言い訳、家庭の不満ー垂れ流される感情は、彼らの中では恋愛の前戯だ。

 聞くことで相手を理解できると思うのは幻想でしかなく、聞けば聞くほど、

この人は肯定してくれる

という誤解を加速させる。

で?あなたはどうしたいの?

 こう返した途端、彼らの口数は急激に減る。

【対処法2】かわいそうにーを武器にさせない

 弱っている人を突き放すには、罪悪感が伴う。

 それを知っているからこそ、彼らはしばしば”被害者ヅラ”をする。

 だがここで手を差し伸べると、「私はあなたに救われた」と安い台詞ばかりを吐き、ずるずると依存されるだけだ。

 大切なのは、「あなたの問題を私が背負う義理はない」と線を引くこと。この線こそ、相手の”演技”を無効化する武器になる。

【対処3】「で、どうするつもり?」

 彼らが最も嫌がるのは、”気持ち”ではなく”行動”を求められること。

  • 奥さんに話すつもりあるの?
  • いつ離婚するの?
  • 私たち、これからどうするの?

 こうした質問は彼らに、現実を突きつける鏡となる。所詮はごっこ遊び。鏡の前では成立しない。

”本気ヅラ人間”が最も嫌がること

 この手の人間は、責められるよりも、”自分が特別ではない”と気づかされることを何より恐れている。

 彼らの恋は、「誰にもわからない、ふたりだけの物語」でなければ成立せず、自分たちが”特別な関係”であるという前提が崩れた途端、一瞬で興味を失う、または自己陶酔が崩壊する。

 具体的には、以下の通りだ。

【嫌がらせ1】鏡を差し出す

あなたの台詞、他の人にも言ってない?

 その瞬間、「選ばれし自分」という幻想が崩れる。

 なぜならごっこ遊びは、他人と共有された時点で現実に引き戻されるからだ。

【嫌がらせ2】無関心の演出

アー、そういう人たまにいるよね

 同情も共感もせず、あくまで他人事で処理すること。これにより彼らが熱望する”特別な共犯関係”は崩壊する。

 彼らにとって最もキツいのは、怒られることでも嫌われることでもない。

 無視されることドラマから引きずり下ろされることだ。

【嫌がらせ3】役割を与えない

それって私じゃなくてよくない?

 相手を”恋人”として扱わない、”支えてくれる人”として持ち上げない。これに尽きる。

 ただの知人、ただの同僚、ただの通行人ー彼らが望む役割つきの関係を徹底して与えないこと。

 これにより彼らは、何者でもなくなることに堪えられず、静かにフェードアウトしていく。

 彼らは「愛されたい」のではなく「愛されている自分に酔いたい」だけ。その虚構を演出するには、あなたの共犯が不可欠である。

 しかしながら、あなたがその舞台から降りてしまえば、彼はひとり芝居しかできず、結果的に沈黙する。

おわりに:虚構に浸る人間が最も怖いのは

 恋をしているふり、苦しむふり、愛しているふりーふり、ふり、ふり。そのどれもが自分を傷付けない演出だ。

 彼らは傷付くことを怖れているのではない。

 ”大して特別じゃなかった”と気づくことを怖れている。

 自分は誰かに必要とされ、どこかで誰かにしか救えない愛がある。

 そう思い込んでいる限り、現実に向き合わなくていいのだから。

 けれどその演目は、いずれ終わりが来る。誰かが舞台から降りれば、簡単に幕は下りるのだから。

自己陶酔という病

 これは、恋ではない。断言する。単に、誰かを愛している”自分”に恋をしている。

 あなたの周りに、”本気じゃないのに、本気ヅラする大人”がいるとすれば、どうかその舞台の照明をそっと落としてあげてほしい。

 光の当たらぬ場所で、彼らの特別ごっこは続けられないから。

信じるだけでは変われなかった。だから私は、制度を選んだ。

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「運気を整えれば、人生が変わる」
「感謝を習慣化すれば、奇跡が起きる」

 ―これらの”ポジティブなお言葉”が広く流通し始めた頃、私は少し離れた場所から観察していた。もちろん、それらの言葉に救われた人がいたことも知っている。

 こうしたメッセージは、受け手の心を一時的に軽くしたり、背中をふわりと推す効果もあるのだろう。

 けれど、そこで語られる”変換”の多くは、成果を自己申告する形で語られているのが引っかかる。

 実際にどのような状況で、どのような手順を踏み、何が起きたか。

 因果の筋道が示されることは稀少で、「なんとなく変わった」「奇跡が起きた」と曖昧な報告にとどまることがほとんどではなかろうか。

 たとえるなら、「この神社にお参りしてから恋人ができました」という話と酷似している。

 その参拝者に恋人ができた事実はあっても、それが本当に神社にお参りしたからなのか、その後の行動や環境の変化によるものなのかは検証されぬまま、「参拝=効果あり」と短絡的に信じられていく。

 そしてこの構造は、心の問題に限らず、仕事やお金、人間関係に至るまで、あらゆる”困りごと”に広がっていく。

 だが現実には、その裏で目に見えぬものを信じるだけでは変われなかった人たちの静かな絶望を生み続けていたように思う。

整える努力はしてきた。でも、動けなかった

 私自身、スピリチュアルな思考をまったく信じなかったわけではない。

 むしろ、書かれている通りに感謝を口にし(”ありがとう”を100万回)、手帳に願いごとを記し、”心を整える”というアプローチを真面目に続けた。

 気持ちが軽くなる瞬間はあったような気がする。

 いつもよりやや前向きに話せた日や、人との関係が穏やかに感じられる日もあった。

 けれど不思議なことに、現実はほとんど動かなかった。

 結局、整った心のまま動かない日々が続いた。想像の中でなりたい自分を思い描くほど、それとはかけ離れた現実とのギャップが浮き彫りとなり、苦しさを増す。

 今となって思うのは、気持ちを整えることと現実を動かすことは、別の技術だったということ。

 ”運”や”流れ”という言葉にすがるのは簡単だが、それで何か動いた気になってしまうのがいちばん怖かった。

願いを届けるには、ルートが必要だった

 さまざまな習慣を繰り返して実感したのは、どんなに前向きな言葉を使おうが、どんなに祈ろうが、その願いを社会に届ける手段がなければ、現実は動かないことだった。

 思いだけで変わる世界も、確かにある。

 けれど私がいたのはそういう場所じゃなかった。

 それはたとえば、住所も差出人も書かれていない手紙のようなものだ。いくら丁寧に綴られていようが、宛先がなければ意味はない。

 自分の気持ちを社会とつなぐには、届けるルートが必要だ。

 それは制度であり、手続きであり、書類だった。思い描いたことを現実に移すには、”整える”だけでは足りない。

 社会の言語で伝え、認めさせるための仕組みを、自分の手で選び取る必要があった。

 次第に私は、「整える」より「動かす」ことを選ぶようになった。このころから、現実を変えるための知識に視点は移った。

願いを整えるのではなく、届ける技術を学んだ

 私が制度や書類と向き合い始めたのは、より確率の高いルートだと気づいたからだ。

 誰かに願いを届けたければ、手続きが求められる。

 何かを始めるには、届出が求められる。

 守られたければ、ルールと証明が求められる。

 それはとても味気なく、感情を置き去りにしているように見えるかもしれない。

 けれど実際には、制度ほど人の想いに支えられているものはない。

 婚姻届や離婚届、遺言、そして契約書。これらすべてが誰かの意志を形にするためにある。

 だから私は、その言語を学ぶことにした。

 「心を整える」から、「心を翻訳する」へ―それが私の選んだ方向だった。

私は、制度という言語を話す側になった

 私は、行政書士という職業を選んだ。世間では”書類をつくる人”というイメージが強いだろうか。

 けれど私にとっては、”想いを具体化する翻訳者”という意味に近い。

 制度とはとても、無機質に見える。まるで鉄骨のような冷たさと武骨さを前に、為す術なく立ち尽くしたことだってある。

 だがその中には、「どうすれば人が守られるか」「どうすれば意志を届けられるか」という問いが詰まっている。

 手続きを知らないだけで、人生の選択肢を削ってしまう人がいる。制度にアクセスできないだけで、自分の願いを通せぬまま立ち止まる人がいる。

 私は、こういった”届かぬままでいる願い”に対し、少しでもルートを示したい。

信じることに疲れた人へ、もう一つのルートを

 当ページは、誰かの信じる気持ちを否定する目的で書いたわけではない。

 私自身、信じたいと思っていた時期があり、「信じるしかない」人の気持ちも少しはわかるつもりだ。

 けれど、信じるだけで届かなかった願いがある。整えただけでは動かなかった現実がある。

 私はそれを、何度も目にした。だからこそ、「願うこと」と「届けること」のあいだに、もうひとつのルートを示すような発信をしたい。

 当連載では、制度を語る。

 しかしそれは、書類の話をしたいからではない。

 言葉にならぬ願いが社会に届いていく過程を、少しずつ描くために書こうと思う。

 信じることに疲れた人にも、また信じたいと願っている人にも、何かひとつ届くものがあると嬉しい。

スキャンダルを語る私たちへ──“感情”と“法”のあいだで

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また「炎上」が始まった

 またか。どうしていつも、こうなのか。

 永野芽郁と田中圭の報道に対し、特別な感情はない。どちらのファンでもないし、アンチでもなく、スキャンダルに一喜一憂できるほど”初(うぶ)”でもない。

 しかし、こうしてSNSのタイムラインに「不倫」「匂わせ」「略奪愛」「不買運動」が溢れかえる度に、どうしても問いたくなる。

 この滑稽な消費構図に我々は、どこまで関わり、どこまで無自覚なのか。

📺 なぜ「不買宣言」が起こるのか

 この手の報道が出るたびに、「もう○○の作品は見たくない」「CM契約解除すべき」というコメントが湧いて来る。その度に私は、ふと立ち止まる。

 いつから私たちは、出演者の”私生活”を消費の判断材料にするようになったのか。

 もちろん、CMや番組に起用される際はイメージも含めて選ばれているのだろう。けれど、それはあくまで制作側や起業の判断であって、視聴者が”制裁者”になる理由にはならない。

 好きな芸能人が自分の期待を裏切ったとき、がっかりする気持ちはわかる。

 しかしながら、「失望した」という感情のままに、「買わない」「見ない」と高らかに宣言し、それを公の場で主張しなければ気が済まない様子は、応援でも批判でもなく、自分の価値観を他者に押し付けている駄々っ子のようにしか見えない。

 永野芽郁に対し、特に風当たりが強く、声が大きくなるのは、彼女がこれまで多くの作品に出演し、明るく健やかなイメージとして目に触れる存在だったからだろう。

 露出の多さがそのまま、「裏切り」の材料になっているとはー。

 こうした報道全般にいえるが、芸能人本人より、我々の受け止め方に問題があるように思えて鳴らない。

⚖ 発信の自由と、その限界

 スキャンダルが報じられると、まるで公開処刑のように名前が拡散され、「あれは匂わせだった」「人として終わっている」などの断定的な言葉がそこかしこに並ぶ。

 けれど忘れないでほしいのは、我々が見ている情報がすべて真実とは限らないこと。

 いくらメディアが報じていたとはいえ、それは”事実とされている情報”でしかなく、切取り方により名誉毀損や業務妨害、侮辱等に該当する可能性がある。

 行政書士として思うのは、感情任せのSNS投稿や拡散が、法的なリスクを負うことがあるという点だ。

 「この人は終わった」と言い切り、私生活を断定的に語る投稿は、仮に相手が芸能人だろうと”表現の自由”の範囲を超えることがある。

🌙 言葉を残す前にできること

 誰かを批難したい気持ちが湧くときこそ、その言葉を世に発信し、残してもいいのかと立ち止まって考えてほしい。

 私たちは知らない誰かの「事実」を語るより、自分の「反応」を整えることでしか、この構図を変えることはできないのだから。

🌿誕生月で占う|4月21日〜27日の運勢と開運ヒント

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 新年度の慌ただしさも少しずつ落ち着き始めるこの時期、改めて自身の立ち位置や方向性を見つめ直すには良いタイミングです。

 本記事では、4月21日〜27日の1週間について、誕生月ごとに「今週の流れ」と「行動指針」、そして「ラッキーカラー・ラッキーアイテム」をお伝えします。日々の業務や対人関係の調整などにお役立ていただければ幸いです。


◆1月生まれ

 周囲に対して「わかっているふり」をしてしまいやすい傾向が出やすい週です。見せかけではなく、本質を掴む努力が求められます。

ラッキーカラー:ネイビー
ラッキーアイテム:スケジュール帳
行動のヒント:誠実な姿勢と基礎の見直しが信頼構築の鍵です。

◆2月生まれ

 強引に進めようとすると、かえって事態を悪化させる可能性があります。慎重に、状況を俯瞰する姿勢が必要です。

ラッキーカラー:グレー
ラッキーアイテム:ペーパーナイフ
行動のヒント:前進よりも、冷静な立ち止まりに価値がある週です。

◆3月生まれ

 悩みや不安が重くのしかかる傾向がありますが、実際よりも大きく捉えている可能性があります。情報の整理を意識しましょう。

ラッキーカラー:ラベンダー
ラッキーアイテム:入浴剤(香り重視)
行動のヒント:不安は可視化することでコントロールしやすくなります。

◆4月生まれ

 責任感から過剰に業務を抱え込みやすい週です。「引き受けすぎていないか」を自問する機会を設けてみてください。

ラッキーカラー:ブラウン
ラッキーアイテム:マッサージグッズ
行動のヒント:タスクの分担や委任も、立派なマネジメントです。

◆5月生まれ

 嬉しい結果や手応えを感じられる運気です。一定の成果が見込める一方、慢心せず次の段階へ意識を向けましょう。

ラッキーカラー:ゴールド
ラッキーアイテム:お気に入りのカップ
行動のヒント:小さな達成感こそ、次の挑戦のエネルギーになります。

◆6月生まれ

 一区切りがつくような節目の週です。達成した内容を丁寧に振り返り、今後の方向性を整理するのに適しています。

ラッキーカラー:ホワイト
ラッキーアイテム:組み立て式のパズルや模型
行動のヒント:完成は終わりではなく、次の起点です。

◆7月生まれ

 心に引っかかる出来事や感情が表面化する可能性があります。表には出しづらいものこそ、整理しておきたいタイミングです。

ラッキーカラー:ブルーグリーン
ラッキーアイテム:ハンカチやポケットティッシュ
行動のヒント:心のメンテナンスも、能率の一部です。

◆8月生まれ

 新しいことへの意欲が高まりやすい週。学びや趣味の分野でも良い刺激が得られるでしょう。挑戦には好機です。

ラッキーカラー:オレンジ
ラッキーアイテム:ボールペン/ノート
行動のヒント:好奇心は、実務における創造力にもつながります。

◆9月生まれ

 与える/受け取るのバランスが崩れやすい時期です。時間・労力・金銭の使い方を客観的に見直してみましょう。

ラッキーカラー:ダークグリーン
ラッキーアイテム:コインケース
行動のヒント:損得よりも「対等さ」を重視することが肝要です。

◆10月生まれ

 判断に迷いやすく、進行中の案件に停滞が生じる可能性もあります。選択肢の棚卸しが効果的な一週間。

ラッキーカラー:アイボリー
ラッキーアイテム:地図・ガイドブック
行動のヒント:情報の整理が、決断の質を高めます。

◆11月生まれ

 一つのプロセスが終わり、新しい展開へと向かうタイミングです。過去を清算することで、次の動きが見えてきます。

ラッキーカラー:ワインレッド
ラッキーアイテム:お香・キャンドル
行動のヒント:手放すことで、視野が広がることもあります。

◆12月生まれ

 自然な流れの中で物事が整いやすい週です。積極的に動くよりも、調和を意識した行動が運気を後押しします。
ラッキーカラー:スカイブルー
ラッキーアイテム:水筒・ドリンクボトル
行動のヒント:無理なく整う流れを、見逃さないように。

締めくくりに

 日々の行動や意識の持ち方を少し変えるだけで、物事の流れは驚くほど変化することがあります。
ご自身の今週のテーマと照らし合わせながら、ペースを整えて過ごしてみてください。

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4月5日~11日の運勢占い:誕生月別の総合運とラッキーアイテム

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 4月5日~11日までの1週間、あなたの運勢がどのように展開するか気になりませんか。誕生月ごとの運勢を占い、どんな準備が必要か、どんなアイテムやカラーがより良い運気を呼び込むかを知鑑定しました。この期間、あなたの運命にどんな変化が訪れるのか、誕生月別に占った結果をお届けします。さあ、あなたの運勢をチェックして、素晴らしい一週間を迎えましょう。

1月生まれ

 新しい挑戦や学びの機会が訪れます。自分の感情に素直に、積極的に行動することが大切です。

  • ラッキーカラー:赤色
  • アイテム: ブレスレット
  • アドバイス: 若干の不安があっても、行動することで自信をつけられます。新しい知識を得るために、積極的に学んでいきましょう。

2月生まれ

 思い切った決断が必要な時期です。過去の出来事や関係に終止符を打つことで、新たな道が開けます。

  • ラッキーカラー:黒色
  • アイテム: ペン
  • アドバイス: 悲しみや痛みを乗り越え、新しい未来を作るための行動が必要です。過去を整理して、前向きな気持ちで未来を見据えましょう。

3月生まれ

 内面的な成長や静かな時期です。外界の喧騒から離れて、自分と向き合うことで新たな気づきが得られます。

  • ラッキーカラー:灰色
  • アイテム: 日記帳
  • アドバイス: 自分を見つめ直すことで、本当に大切なことに気づくことができます。静かな時間を意識的に作りましょう。

4月生まれ

 自信を持って戦うことが求められますが、少し疲れが溜まっている可能性。少し立ち止まって状況を見直す必要があります。

  • ラッキーカラー:オレンジ
  • アイテム: マフラー
  • アドバイス: 焦りや無理な行動が逆効果になることもあります。冷静に、少し休息を取ることも重要です。

5月生まれ

 過去のことに執着しがちですが、それが前進を妨げる可能性。過去を手放し、今を大切にしましょう。

  • ラッキーカラー:青色
  • アイテム: アロマキャンドル
  • アドバイス: 過去に囚われず、新しいスタートを切る勇気が大切です。今の自分にフォーカスして、ポジティブに進んでいきましょう。

6月生まれ

 成功や勝利が見えにくい時期ですが、努力は確実に実を結んでいます。焦らずじっくり取り組んでいきましょう。

  • ラッキーカラー:緑色
  • アイテム: ノート
  • アドバイス: 目に見える結果がなくても、着実な努力が大切です。自信を持ち続け、信念を貫きましょう。

7月生まれ

 愛情や人間関係が円滑で、調和が取れた時期です。大切な決断を下すには絶好のタイミング。

  • ラッキーカラー:ピンク
  • アイテム: ハート型のアクセサリー
  • アドバイス: 重要な決断をする際、心の声を大切に。愛や協力の中で、最良の選択ができます。

8月生まれ

 不安や心配が強くなる時期ですが、心の中で恐れを克服することが求められます。ポジティブな考えを持ちましょう。

  • ラッキーカラー:紫色
  • アイテム: リラックスグッズ
  • アドバイス: 不安にとらわれず、冷静に問題を分析することが解決への近道です。心の平穏を保ちましょう。

9月生まれ

 バランスを取ることが必要な時期です。慎重に選択肢を見極め、調和を重視しましょう。

  • ラッキーカラー:白色
  • アイテム: 鏡
  • アドバイス: 素早い決断よりも、時間をかけて深く考えることが重要です。どちらの選択が最も調和を保てるかを意識して行動しましょう。

10月生まれ

 問題が解決に向かっているサインです。過去の困難を乗り越え、新しい局面へ進む準備が整っています。

  • ラッキーカラー:青色
  • アイテム: 地図
  • アドバイス: 新しいスタートを切る準備が整っている時期です。前進し、過去の痛みから学んだことを活かしていきましょう。

11月生まれ

 家庭や職場で不安定な時期。物事がうまくいかない場合もありますが、信頼関係を築く努力を続けることが重要です。

  • ラッキーカラー:茶色
  • アイテム: 写真立て
  • アドバイス: 困難な状況でも、安定感を取り戻すために一歩一歩進んでいきましょう。周囲とのコミュニケーションを大切に。

12月生まれ

 今は変化の時ですが、予期しない出来事が続く可能性もあります。柔軟に対応し、流れに身を任せましょう。

  • ラッキーカラー:金色
  • アイテム: 時計
  • アドバイス: 予期しない変化にどう対応するかが重要です。焦らず、状況に適応しながら柔軟に過ごしましょう。

 いかがでしたでしょうか?

 当ページを参考に、4月5日~11日までに訪れる運気の流れにうまく乗り、より良い日々を過ごしていただければと思います。もちろん、最終的に運を引き寄せられるのはあなた自身の行動と気持ちです。素敵な一週間をお過ごしください。

行政書士の生き残り戦略:IT時代に求められるスキルとは

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行政書士の仕事とは

 行政書士の業務は非常に多岐にわたるが、その中でも特に重要な分野について詳しく紹介し、他の士業との違いや魅力について触れたい。

1.行政書士の業務内容

 <ruby>行政書士<rt>ぎょうせいしょし</rt></ruby>とは、主に官公署(政府機関や自治体)への書類提出を代行する人を指す。主に以下の分野での活躍が期待される。

1.1 許認可申請

 企業や個人が事業を営む際には許可や認可の申請手続きが求められ、この手続きこそが行政書士の花形業務といえる。たとえば、建設業風俗営業産業廃棄物収集運搬業など、各事業に多くの規制が存在し、それに対応する申請書類の作成と提出等を経て許可を得る。行政書士は、これらの手続きを代行し、スムーズに許可が下りるようサポートするのである。

1.2 契約書作成

 契約書とは、法律的な効力を持つ重要な書類で、特に、ビジネスシーンには欠かせない。行政書士は、事業契約書、売買契約書雇用契約書賃貸契約書など、さまざまな契約書を作成する。相手と自分を守る目的で法律的な根拠を盛り込み、トラブルを避けるのに適切な内容に仕上げる必要がある。

1.3 遺言書作成

 遺言書の作成支援も行政書士の大切な仕事だ。遺言者の死後遺産分割に関する|紛争《トラブル》を防ぐために、法的に有効な遺言書を作る支援を行う。自筆証書遺言公正証書遺言など、遺言の種類に応じたアドバイスを通し、遺言者だけでなく、遺族間が抱える不安解消を助ける。

1.4 外国人の在留資格申請

 外国人が日本で生活するには、在留資格を取得する必要がある。行政書士は、外国人のビザ申請や在留資格の変更、永住権取得に必要な申請などをサポートする。こうした手続きには、法律だけでなく実務経験や柔軟な対応が求められる。また、最近では外国人労働者の受け入れに関わる業務が増えており、社会貢献の一環としても注目される人気業務の一つでもある。

1.5 その他の業務

 これらの他にも、民事信託や相続手続き、建設業法や旅館業法等に基づく届け出書類の作成等、多くの分野で専門知識を活かしサポートするのが行政書士の役目である。

2. 他の士業(弁護士、税理士など)との違い

 行政書士は、「書類作成と提出」を専門とする職業だ。そのため、他の士業と比較し、以下のような違いがある。

2.1 弁護士との違い

 弁護士は、法的な紛争解決のために裁判を行う専門家で、訴訟を担当するのが主な仕事だ。彼らは法律相談、訴訟、代理人業務を行い、個々の事案に対し、法的な助言や裁判所での活動を通じた解決策を見出す。

 一方で、行政書士は裁判や法廷での代理権は持たず、主に、書類作成や行政手続きを担当する。たとえば、契約書の作成や許認可申請などは行政書士が得意とし、弁護士が介入するのはトラブル発生時に限られる。

2.2 税理士との違い

 税理士は、税務に関する専門家だ。主な業務は、税務申告や税務相談、税務調査の立会いなどである。税理士は、税法に基づき税務の最適化を図るのに対し、行政書士は税務の専門知識を持たず、税務関連の業務を行うことはない。

 一方、行政書士は、税務関連以外における事業や契約に関する書類作成を得意とする。具体的には、許認可申請や契約書作成、遺言書作成などが挙げられる。

3. 行政書士の仕事の魅力とやりがい

3.1 社会貢献

 行政書士の仕事は、単に書類を作成して提出する作業だけではない。許認可申請を通じて新しいビジネスを支援したり、遺言書の作成を通し、家族間のトラブルを未然に防ぐなど、社会に対し様々な角度から貢献することができる仕事である。自らの作成した書類がスムーズに受理され、相手にとってプラスになる瞬間は大きなやりがいを感じられる瞬間だ。

3.2 独立・自営業がしやすい

 行政書士は、他の職業に比べると独立しやすい職業だろう。開業にあたり、国家資格の取得と所定の手続きが必要だが、初期投資が抑えられる点は大きなメリットだ。そうして開業するとフリーランスとなり、晴れて自由の身となれることから、独立を目指す人には魅力的な職業ではなかろうか。

3.3 幅広い分野で活躍できる

 行政書士の業務内容は多岐にわたる。契約書の作成といっても色々な種類があるのは言うまでもなく、許認可申請、遺言書作成、外国人の在留資格申請に至るまで、多様な案件を扱う。そのため、一つの分野にとらわれることなく活躍することができ、専門知識を深める過程を楽しむことができる。特に、自分の得意分野を見つけ、経験と知識を積み、それを強みとして活動できる点はとても魅力的だといえる。

3.4 専門性と需要の高さ

 社会のニーズが広がる中、行政書士の役割は今後ますます重要となるだろう。特に、外国人労働者の受け入れや高齢化社会に伴う相続手続きの支援など、今後の社会課題に対応する形で行政書士の業務は増えるはずだ。こうした変化の中、行政書士としての知識とスキルを磨き続け、社会に貢献していけるのは大きなやりがいにつながる。


行政書士試験とは

 行政書士になるには、一定の実務経験を経るか、または行政書士試験の合格が必要だ。

試験の特徴

試験科目

 試験科目と配点の割合は、以下のとおりである。

  • 憲法、商法・会社法(約1割)
  • 民法(約2割)
  • 行政法(約5割)
  • 一般知識(約2割)

合格率

 合格率は毎年10%前後で推移している。一般的な資格のうち、難易度は”そこそこ高い”といえるが、司法試験や公認会計士試験などの超難関試験ほどではなく、努力次第で十分合格可能だ。

効果的な学習方法

 行政書士試験に向けた学習には、戦略が大切である。

1. 学習スケジュールを立てる

 合格に必要な学習時間数は、公表する資格塾により異なるが、概ね600-1000時間といわれる。働きながらなら1日2-3時間、専業なら1日5時間程度を目安に取り組めば、準備期間1年程度で足りる計算となる。

 1年計画なら、まずは行政法・民法を徹底的に詰めるのがおすすめだが、短期(半年程度)なら行政法8割、民法2割を目安に集中的に取り組むといいだろう。

2. 効率的な勉強法

 同じ学習時間を過ごすなら、少しでも効率的なほうがいいだろう。効率アップを目指すなら、まずはインプットとアウトプットのバランスを大切にしたい。

 インプットでは、まずテキストと問題集を1冊に絞ることからはじめる。その後はひたすら過去問とテキストを照らしながら理解に努めるといい。

 対してアウトプットでは、ひたすら問題を解き続ける。記述式問題の配点が異様に高いため、記述対策に特化したテキストや問題集を手にする受験生も多いが、基本的には多肢選択式と同じ。問われている内容を正確に把握し、要点を抑えながら適切な回答をするのみだ。また、通勤時間や家事の隙間時間を有効活用したい。たとえば、音声学習やスマホで使える一問一答アプリなら、ほんの数秒でも導入が容易い。

 このほか、模試の受験を強く勧める。理由は、実力を客観的に測定する手段がそれしかないことと、本番さながらの環境を体験することで、未知の問題に対し、解答にかかる時間を測定することができるからだ。独学の場合、安易に思いつくのは市販の予想問題であるが、資格塾などが実施する外部模試では、受験生全員の回答傾向や成績順、人の手による記述式の採点等、至れり尽くせりであった。

関連リンク

🔗行政書士試験に独学で臨むメリット、注意点を解説

合格後の進路やキャリアパス

独立開業

 行政書士は、比較的独立しやすい資格のひとつである。まったくの未経験から開業にいたった筆者もそうだが、はじめの壁は資金面や場所ではなく、集客だった。

 開業資金について、約100万円程度あれば余裕でお釣りが来る(かけようと思えば、更に資金を投入することもできるが)。しかし、集客については金をかければ絶対に集まるとは言い難い。

 集客には知名度と信頼度が大きく関係するため、まずはSNSやブログYouTubeを活用して知名度を上げることに専念してはどうだろうか。

企業内行政書士

 行政書士として働くには、独立以外の道もある。それが、企業内行政書士(使用人行政書士)だ。建設業や運送業、不動産関連の企業では、日常的に許認可や届出を取得しなくてはならず、都度、外部の行政書士に委託していては費用がかさんでしまう。この点、自社の社員が行政書士資格を保有し、必要な知識さえ備えてくれていればラッキーではないか。

ダブルライセンスによりキャリアアップ

 行政書士資格だけでは不安という人は、他の資格と掛け算するといい。たとえば、宅建士や社労士、司法書士などの資格とは親和性が高い。また、FPや日商簿記、危険物取扱者免状などとの相性も良い。ただし、どの資格と掛け合わせるかはあなたの展望次第なので、自身のキャリアプランは慎重に検討してほしい。


行政書士の現場

 行政書士の仕事は、過去の自分が考えていたよりずっと幅広かった。案件により内容が大きく変わるため、毎回新たな挑戦が必要だ。たとえば、許認可申請や法人設立の手続き、補助金・助成金の申請など、これらを身近に感じたことのない人には、おそらく難しそうに見えるだろう。しかし、これらは結局、全てつながっていたりする。

 この仕事の難しさは、法律や規則の細かな部分を理解し、顧客の要望に対応する提案をしなくてはいけないことだ。特に複雑な手続きを依頼されたときには、間違えぬよういっそう慎重に進めなければならない。顧客アkらの信頼が厚ければ厚いほど、感じるプレッシャーも重厚になる。

 ただ、無事に手続きが完了したときの達成感や、顧客からもらう「ありがとう」は、感じたプレッシャーの重さ分だけ嬉しさと開放感を増す。これがやりがいを感じる瞬間でもある。

 顧客とのやり取りについて、原則、丁寧かつ誠実を心がけている。信頼を築くために意識していることとして、相手の話に耳を傾けること。いくら世間や筆者が正しいと感じた物事も、依頼人のニーズや希望に寄り添わなければならない。それに、どんなに些細だと感じようと、顧客が不安を抱いたときはすぐに話を聞くことだ。こうした姿勢が信頼を深めるのには大切だと思う。

 はじめのうちは遠慮気味な顧客が、すこしずつリラックスした表情を見せ、気さくに話してくれるようになると嬉しい。特に、一度築いた信頼関係は簡単に崩れることはなく、何度か相談してくれたり、「この人に任せたら楽だった」「おもしろい人がいる」などと紹介してくれることもある。

 これはどの仕事にも言えるが、結局、人と人との関わりこそが一番大事だと痛感するのである。


行政書士の未来、どうなる?

 行政書士業界の今後について、面白い流れになるんじゃないかと思っている。従来の業務は継続しつつ、法改正や社会情勢の変化に伴い、新たな仕事へのチャンスが広がるのではないだろうか。

 たとえば、近頃はオンライン申請の導入が目覚ましく、行政のデジタル化が加速している。民間企業には劣るものの、ほんの10年ほど前は山盛りの書類を行政官庁へ持参していた手続きも、デジタルデバイス1つで済むようになった。ただ、こうした手続きに対する「電子申請のやり方を教えてほしい」の声も少なからずある。便利になったのに、一部の人はこれを使いこなせないわけだ。このことから、困っている人に対しては、行政書士によるサポートの価値そのものは高まるのではないかと思う。

法改正で広がる行政書士の役割

 法改正があると、何が起こるか。新たな業務が生まれるのである。外国人観光客の増加に伴い、在留資格に関わる業務の需要はうなぎのぼりだし、企業のM&A(合併・買収)について、対応売る書類の作成と手続きなどは行政書士の得意分野だ。
 さらに、一部ドローンの機体については登録と飛行に際する許可申請が必要となり、農地転用などの農業支援、電子契約に関わる業務などもこれから広がりを見せるだろう。

AIと行政書士の未来

 ChatGTPなどの登場により、「AIにより行政書士の仕事は奪われる」との見解を示す者がいるが、手放しで賛同できるものではない。当該意見をもつ人の多くは、AIを何かと勘違いしている。AIはツールであり、完全に行政書士業務に置き換えるのは難しい。

 たとえば、契約書の作成やチェックについては、AIの得意分野だ。しかし、彼らができるのは”ひな形”に過ぎず、本当に適切かの判断については結局、生身の人間の領域。まして、法律絡みの話は実にややこしく、まったく同じ事例は限りなくゼロに近い。このことから、AIの得意分野はうまく活用し、思う存分業務改善に取り組めばいい。具体的には以下のとおり。

  • AIで契約書等のドラフト作成 → 行政書士がチェックと修正
  • チャットボットによる簡単な問い合わせ対応 → 複雑な事案のみ行政書士が対応
  • RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)により定型業務の自動化 → 行政書士はコンサル業務に注力

 単純作業をAIが行い、専門的な判断を行政書士と役割分担が進むだろう。

デジタル化と行政書士の生き残り戦略

 今後、行政手続きのデジタル化は避けられない。そのため、行政書士は「紙の書類を扱う人」から 「デジタルを活用した手続き支援の専門家」 へとシフトする必要がある。たとえば、既に試験導入が始まっている定款作成自動化への対応やクラウド契約の導入サポート、行政に関する電子申請代行 など、ITに強い行政書士になることで業務の幅は広がるはずだ。

 要は、単なる手続き代行から、顧客に最適な方法を提案できるコンサル的な立ち位置として活躍することが期待されるのだ。

まとめ

 行政書士の未来は、単なる書類作成屋(代書屋)からコンサルティングやITを活用したサポート業務へとシフトするだろう。これは必ずしも、行政書士自体が不要になるのではなく、むしろ、新たなスキルを身に着け、さらなる価値をいかんなく発揮できる時代の到来を意味している。

 これから行政書士を目指す人や、すでに開業してる人についても、時代の流れをうまくキャッチし、対応できれば、もっと面白い仕事ができそうだ。

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