YouTubeで「心が折れる人」の5つの特徴─続けられないのは、才能のせいではない

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「YouTubeを始めてみようと思ってるんですが、やっぱり大変ですか?」

最近、この手のご相談を承る機会が少しずつ増えてきた。

YouTubeは確かに、発信や収益化の手段として魅力的だ。スマホ1台で始められ、知識や人柄が切り口次第で価値・資産になる。

ただし、「始めること」と「続けること」はまったくの別物だ。

現に、チャンネルを開設して数本で投稿が止まっている人は少なくない。なかには「頑張っていたのに急に更新が途絶えた」ように感じるチャンネルもある。

原因は、才能や根性の問題ではない。YouTubeという環境そのものが、折れやすいのである。

本記事では、なぜ人はYouTubeで折れるのか?

その理由と共通点を、実際に続けている側の視点から分析していく。

第1章:YouTubeが「折れやすい環境」である理由

YouTubeは、始めるだけなら簡単。

スマホで動画を撮影し、アプリで編集(最悪無編集でも◎)、ワンタップで投稿完了。

時間も場所も問わずに発信できる点では、非常に開かれたプラットフォームだ。

だからこそ、誤解されるのだろう。

「誰でもできる」
「やれば伸びる」
「続けるだけで結果が出る」

そのようなイメージが独り歩きしているが実際には、YouTubeの環境そのものが「心を折る構造」になっている。

すべての成果が数値化される

視聴回数、登録者数、高評価、コメント、インプレッション、クリック率など、動画を投稿すると、さまざまな数字が見える。

それ自体はとんでもなく有難いが、同時に「数字で評価され続ける構造」でもある。

自分では手応えのある動画でも、再生数が振るわないこともある。コメント欄に心無い言葉が書き込まれることもあるし、「高評価」が1つもつかぬまま動画が沈むこともある。

このような数字は疲労感となり、確実に蓄積されていく。

比較と沈黙がメンタルを削る

SNS全般に言えることだが、YouTubeは特に「比較」と「沈黙」がえげつない。

他のチャンネルを見ることはできるが、その裏側まで見えるわけではない。とはいえ、

「半年で1万人」
「投稿する度に10万回再生超」

などの投稿・成果ばかりが目に入れば、自分と比較し、無力感に襲われることもある。

さらに厄介なのは、無反応。

再生数ゼロの動画に低評価さえつかない状態は、露骨な批判よりも傷が深まることがある。

第2章:YouTubeで折れる人に共通する5つの特徴

YouTubeへの投稿を辞めた人のすべてが明確に、「辞める」と決めてから行動に移したわけではない。ほとんどの場合、少しずつ離れ、いつの間にか更新が止まっている。

そして、再開のきっかけを掴めぬまま、なかったこととして処理する。

なぜ、そうなってしまうのか。

ここでは、実際に折れやすい人に見られる5つの特徴を紹介する。

① 完璧主義で、全工程を1人で抱え込む

台本作成、撮影、編集、サムネづくり、投稿と告知、コメント対応など、すべて自分で処理しようとした結果、各工程で都度、理想と現実のギャップに苦しむことがある。

これは、はじめから完璧を求める人に多い傾向で、更新頻度が徐々に落ち、最終的には「クオリティを保てないなら出さない方がいい」という思考にすり替わる。

その結果、動画が投稿されなくなり、発信そのものからフェードアウトする。

② 数字に振り回され、承認を求めすぎる

  • 再生数を自分の価値と認識する
  • 視聴者の反応≒外敵評価に依存する

SNSでありがちなループだが、YouTubeは特に数字が可視化されており、小さな変動も一目瞭然。

これに反応する人は、自ずと感情のアップダウンが激しくなる。

やがて、動画を出すたびに心がすり減り、継続できなくなる。

③ 視聴者に寄せすぎて、自分を見失う

「誰にでも好かれたい」
「批判されたくない」

このような思考だと、発信内容が曖昧になり、全てが無難におさまる。

それ自体は悪いことではないが、無味無臭の動画だと無数になる動画の中で誰にも刺さらず、数字も反応も鈍くなるのは必然である。

その結果、「何を出しても響かない」と自己否定に繋がり、発信意欲が薄れていく。

④ 見切り発車で目的が曖昧

  • とりあえず着手するも、何のためにやっているかの点が不明瞭
  • 続ける意味を失い、更新が止まる

YouTubeに限ったことではないが、明確なゴール(誰に/何を届け/どこへ導くか)がないまま始めたところで、中盤からタスク地獄に陥るのが関の山。

その結果、日常に押しつぶされてしまう未来が待っている。

⑤ 孤独に戦い、誰にも相談できない

  • 周囲にYouTubeをやっている人がいない
  • 成果や悩みが共有できず、孤軍状態が続く

特に発信初期にいえることだが、人に相談することさえ怖い状態に陥ることがある。

その点、仲間やサポーター、相談できる相手がいると、ペースを崩したとしても戻ってこられる。

支えがないと、立ち止まったときに再起するのが難しくなる。


次章では、続けられている人との差をその違いを構造面から見ていく。

「折れない仕組み」については、noteでさらに具体的に解説している。

👉【有料note】「YouTubeで折れたくない人へ」続けるための対策とセルフチェックリスト

■第3章:続けられる人は「根性」が違うのではない

ここまでご覧になって、「自分にも当てはまるかも」と感じた人もいるかもしれない。

しかし、該当するからと言ってダメというわけではない。

なぜなら、YouTubeを続けられる人が皆、途中で折れるかもしれない項目にまったく該当せず、特別な才能や精神力を持っているわけではない。

では、淡々と発信を続けている人たちには何があるのだろうか。

彼らに共通するのは、自分と環境に合う仕組みを持っていることだ。

たとえば、

  • 数字に関わらず続けられる基準を持っている
  • 投稿を続けられる生活リズムがある
  • 悩みや迷いを安心して打ち明けられる環境、相手がいる
  • 再生数でなく、売上や成約率で評価している

など、折れづらい仕組みを先に作っている。

どんな人でも気持ちが折れそうになることはある。

事実、私自身も「このまま投稿を続けて意味あるのか」と疑った瞬間が何度もあった。

しかし、再起の方法や原因への対処法を知っていれば、いきなりポキッと折れるのでなく、折れても育てられる場所となる。

この点について、noteにて、折れないための構造設計とセルフチェックの方法を具体的に解説していく。

  • 自分の急所に気づけるチェック項目
  • 心が折れかけても戻れる習慣と仕組み
  • 投稿を無理なく続けるテンプレ設計と視点

単なる精神論でなく、継続の技術に興味がある方に読んでいただきたい。

👉【有料note】「YouTubeで折れたくない人へ」続けるための対策とセルフチェックリスト

まとめ

YouTubeは、頑張れば誰でも成功できる。

無責任にそう説いている講師もいるようだが、実際は「継続」そのものが既に、1つのハードルではなかろうか。

それを「気合い」や「根性」で越えられるのなら、誰も苦労はしない。

必要なのは、メンタルが折れづらい構造と、自分を守る仕組みである。

その有無が、途中で消える人と続けられる人を分ける境界線になる。

あなたが今、

「始めたばかりだけど、不安がある」
「やっているのに成果が出なくて焦っている」
「辞めたいほどではないけれど、しんどい」

そんな感覚を抱いているのなら、折れない仕組みを構築する視点を手にしてほしい。

▼具体的な対策とセルフチェックはこちら
👉【有料note】「YouTubeで折れたくない人へ」続けるための対策とセルフチェックリスト


他にも関連コンテンツとして、以下のnoteもあわせてどうぞ。

奢る?割り勘? それぞれの“地図”が違うだけだった|恋愛と承認の話

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※このテーマに関連したYouTube動画はこちら
📺 なぜ男女は奢りですれ違うのか?|恋愛における価値観の違いとは

 SNSを見ていると、

「奢るべき?」

「割り勘ってどうなの?」

 そんな言葉が不定期にアップされ、炎上しかけたり、議論になっていることがあります。

 この論争は何度も繰り返されているにもかかわらず、「いつも噛み合わないまま終わるなあ」と感じていました。

 今回はこのテーマに動画で向き合い、コメント欄でいただいた声を読みながら、改めて感じた事を少し、文章に残してみようと思います。

すれ違いを生む構造

 奢るか、割り勘か。これ自体は“どちらが正しいか”ではなく、お互いが理想とする関係の違いではないでしょうか。

 私が動画で使った表現を用いますと、それは単に立っている“地図”が異なるだけ。

  • 男性にリードしてほしい人
  • 対等でありたいが、少しは甘えさせてほしい
  • 自立した関係を望む
  • 「奢れなければ男ではない」と考えている

 いずれも、本人なりの誠実さから来ている場合がほとんどで、だからこそ「わかり合えない」ではなく、「交わらない」のではないかと感じています。

昔の恋愛:役割分担ベース

 昭和から平成初期にかけての恋愛では、

  • 男性:経済的に支える
  • 女性:仮定的に支える

という性別による役割分担が前提にあり、それが恋愛や結婚にも色濃く反映されていました。

 そのため、この時代における「奢り」とは、男性は誠意や力強さの象徴として、女性は「守られる存在」であることを期待され、それを受け入れることで関係が成立していたのではないでしょうか。

現代の恋愛:対等関係ベースのはずが…

 現代では、男女ともに働くようになっています。

 けれど現実には、制度も心構えも中途半端にしかアップデートされていません。

  • 経済的には平等を求める
  • 恋愛では依然として「男らしさ/女らしさ」が残っている

 その結果、

奢って当然。でも、収入は平等!

のように、矛盾に苦しむ人が増えているのだと推察します。

 特に女性の中には、

  • 自立を重視しながらも、特別扱いされたいという願望が見える
  • 私は奢られたいが、奢られる=依存ではないと主張するジレンマ

 一方、男性の中でも、

  • 平等志向になりつつも、「奢らなければ評価されない」不安がある
  • どちらにせよ評価軸が「金」になることへの不満

があるようです。

奢ることは主導権の象徴か

 奢る・奢られる問題について、表層的にはお金の話ですが、その根底には「主導権」や「序列」があります。たとえば、

  • 奢られる=弱者ではないか、と女性が嫌がる場合がある
  • 奢らせる=支配されている気がする、と感じる男性もいる

 つまり、現代の恋愛は外観こそ平等ですが、じつは主導権争いをしていることが多いのだと考えています。

【恋愛の地図】奢る・奢られる問題

タイプ思考ニーズ相手に求めるもの
古風な女性男性がリードすべき特別扱いされたい経済的支援、誠意
自立志向の女性対等でありたいが、甘えも許されたい理解、心理的ケア気遣い、心理的配慮
古風な男性女性を守るのが男の役目尊敬されたい感謝、頼られること
平等志向の男性対等でいたい人間的理解金以外での評価

奢り問題は、どちらが正しいではなく、どの恋愛観に自分が立っているかを把握しない限り、毎回の関係が摩擦になるのではないでしょうか。

コメント欄という“対話の場”

 本テーマの動画に対し、いくつか印象深いコメントをいただきました。

 たとえば、

昔は男性が奢るのが当たり前だった。そうでなければ、“女性を幸せにできない”と見なされるような空気もあった

というご経験を語ってくださった方もいました。

 けれど、今は女性も発言力を持ち、社会的にも対等な立場で働けるようになってきたからこそ、
「奢られること」に違和感を持つという声が出てくるのかもしれません。

 また、

SNSの発展で情報に触れる機会は増えたけれど、対話の場はむしろ減っているようにも思う

といったご意見も。

 発信者の意図が正しく伝わらず、切り取られて広まってしまうことへの不安や、“語り合うこと”の大切さを改めて感じた──という声もありました。

 この点、私自身もかつて、「奢ってもらえないこと」を通じ、大切にされていないように感じたことがあります。

 しかしそれは、相手が不誠実だったのではなく、私が立っていた“地図”はそうだっただけかもしれません。

おわりに:正解じゃなくて、重なれるかどうか

 このテーマに、結論はありません。

 なぜなら、人はそれぞれ、違う背景と異なる地図を持っているから。

 けれど、違うままにしておける関係や、違いを理解しようとする姿勢をもつことで、少しずつ“対話”をつないでいけるのだと思っています。

 動画でも触れましたが、我々は今、演出し、選ばれ、承認され──そんな風に自分を社会に差し出す場面を増やしています。

 だからこそ、「着飾らなくても大丈夫な場所」であったり、「そのまま話せる関係」を持つことで、救われる人もいるのではないでしょうか。

【追伸】

動画はこちらからご覧いただけます:
▶︎ なぜ男女は奢りですれ違うのか?|恋愛における価値観の違いとは