私は“愛と責任”の中で生きている ― 生年月日と名前から見えた、私の輪郭

当サイトの一部に広告を含みます。

 私は、占いを“信じている”わけではありません。

 けれど、迷ったときや動けなくなったとき、自分の足元を照らすものとして、カードや命式を開くことがあります。

 今回は、私の「生年月日」と「名前」の意味について、占い師の視点で見つめ直しました。

 「榊原沙奈」という名前と、1990年1月4日という日付が、どんな運命の設計図を持っていたのか──あなたの自己理解へのヒントになるかもしれません。

① 生年月日から見る、私の生き方の輪郭

 私の生年月日について、四柱推命(簡易版)/九星気学を基に占いました。

基本性格

 本命性は一白水星/生まれ日の干支は己巳。

 この星回りは、「人に見せぬ情熱」と「観察する知性」が大前提にあるとされ、表向きは落ち着いて見えるものの、内側では情熱が囂々と燃えているのが特徴です。

運勢の波

  • 人生前半(〜30歳くらいまで):周囲との軋轢・家庭との縁に悩みやすい運気。ただし、20代後半に一度目の転機
  • 中盤(30〜50代):本来の才能を発揮し始める時期。個人事業や独立など「自分の旗」を掲げることで発展
  • 後半:精神面・価値観の深化。「伝える」「残す」仕事に向く(出版・教育・啓発など)

② 姓名判断から見る、「沙奈」という名前の意味

 榊原沙奈の総画数は38画。

 誠実で信念を貫く一貫性のある人生で、波風はあれども、地道な努力が最終的に報われる継続の強さが特徴です。精神性と知性を武器に道を切り開くタイプでもあります。

 次に地格は15画で、愛される要素があり、縁の下の力持ちとして評価されやすい。感受性豊かで、芸術や表現の才能があるとされます。

 人格の17画は、まっすぐで完璧主義な一面を示しました。自分にも他人にも厳しい反面、理想に真っ直ぐ進むタイプ。誤解されやすいですが、信念を貫く芯の強さが魅力のようです。

 外格は21画で指導者運。若干、近寄りがたい雰囲気を放ちますが、敬意をもって接されやすい特徴も。

 総合的に見ますと、「静かなる情熱家」。
 一見控えめで理性的に見えますが、内側に燃えるような理想や使命感を秘めており、特に30代から本格的に「言葉」や「知識」を通じ、誰かに届く人生を歩む流れがあります。

③数秘術から基本の性格

 私のライフパスは6で、「癒やしと愛の担い手」。

 調和とケアの星にあり、面倒見がよく、人や社会を良くしたいとの想いが強い星です。
 そのため、トラブルを回避するのは苦手で、「向き合って受け止める」タイプでもあります。

 バースデーナンバーである4は、堅実で誠実、リアリストという特徴を持ちます。

 綿密な計画力や責任感、忍耐強さがあり、夢を見るより叶える力が強い星です。ただし、手を抜かないため、自他に厳しい側面も。

 ディスティニーナンバーは1で、リーダー・先駆者タイプ。

 独立心と先導力が強く、人の後をついていくより、自分で決めて進みたい気質です。
 新たな価値観を作り出す開拓者で、意志が強くマイペース。誰にも似ていないため、孤独を感じやすい星でもあります。

 ソウルナンバーは6で、心での繋がりを求める傾向にあります。

 パーソナリティナンバーは22で、「落ち着きがある」「しっかりして見える」「強そう」とみられがちです。
 しかし実際には、繊細だけれど、それを人に見せない「縁の下の力持ち」。誤解も多いですが、本質的に人に頼られやすい特徴を持ちます。

 ここまでをまとめると、私の数秘は「愛と責任をもって世界を創る人」。

 外側は「信頼」「リーダー性」が強いのに対し、内面は「人を守りたい」という想いで溢れています。そのギャップは時に苦しみを生みますが、誰かのために旗を掲げる人生が合うようです。

私の「道」は、誰かの“問い”に触れたときに開く

 占いが教えてくれるのは、「あなたの運命はこうです」ではなく、「あなたは、こういう人かもしれない。どう生きますか?」という問いかけだと思っています。

 私の人生には、たくさんの分岐がありました。

 どれが正解だったかはわかりませんが、どの瞬間にも“意味”を持たせてくれたのは、言葉や命式でした。

 この記事が、誰かの“問い”を照らすヒントになれば――そんな想いで、私は今日も名前と生年月日に手をあてています。

占いを信じるかどうかはあなた次第ですが、この結果から興味が湧いた鑑定法があれば、ぜひ試してみてくださいね。

占い師である私が、自分の事故を占った理由 ― タロットに問いかけた「真実」と「報い」

当サイトの一部に広告を含みます。

◆事故の背景と、私が占いを決意するまで

 2024年の夏。私は交通事故に遭いました。

 当時の状況については、既に公的な記録に残されており、ここでは詳細を控えますが、現在も左手に痺れが残っています。

▶症状固定のご報告(動画)
 私の状態については、先日YouTubeにて症状固定の報告動画を公開しました。より具体的な経緯や当時の気持ちについては、こちらでお話ししています。

🎥 症状固定を報告する動画(YouTube)

 事故の後、通院や書類対応を進めるなかで、説明のつかない場面がいくつかありました。
 ただあくまで、“違和感”でしかなく、確定的な根拠を持つものではありません。

 私は行政書士として、日々制度と向き合っています。そして、占い師としても、人の感情や目に見えぬ流れに触れてきました。

 本件では、自分が「被害者」という立場にあることを自覚しながらも、どこかで“感情の整理”がつかぬまま、月日が流れている感覚です。

 そこで私は、カードに問いかけました。

 これは、犯人を暴く鑑定ではありません。また、誰かを追及したり断罪するものでもありません。

 ただ、自分の中にある“引っかかり”の正体に名前をつけたくなったのです。

◆鑑定①:加害者の行く末 ― カードに問う、姿なき存在の未来

 事故当時、相手車両を運転していた人物について、いまだ明確な特定に至っていません。

 この件に関しては、制度上の手続に委ねており、今回はあくまで「名前も顔もわからぬ相手」の行く末を問いました。

 この行為にどれほどの意味があるのか。私自身、自問を繰り返しながら鑑定を進めました。感情を整理するために。

🃏引いたカードとその位置

ポジション意味
行動の因果崩壊、衝撃、突然の破綻
社会的責任公正な裁き、制度の是正
評価・周囲の反応復活の失敗、赦されない
内面の変化後悔、喪失、取り返しのつかない感情
最終的な帰結未完、報われない結末、閉じない物語

🕯解釈:逃げた人に完結はない

 めくったカードたちは、一時的に逃れられたように見えても、やがて何かが崩れ、失われていく構造を静かに語っていました。

 はじめに示されたのは、築き上げてきた基盤が唐突に崩れるような出来事。これは、本人の意図を超えた“崩壊”や“大きな代償”を象徴しています。

 次に感じ取れたのは、「バランスを正す力」の存在。
 制度や社会的な関わりの中で、帳尻が合わされるような場面が訪れることを示唆しています。

 それから、周囲からの信頼を取り戻すことが難しく、「赦されぬまま次に進む者」として、何かを置き去りにした人生になる可能性が高いとも。

 相手方の物語が“完結しない”感覚が、最後に重く残りました。

◆鑑定②:運行供用者の行く末 ― 責任の重みは、どこへ向かうのか

 今回の事故において、加害者の特定には至っていませんが、車両の運行供用者(使用者・管理者)は確認されています。

 ですので私は、法制度においてこの人物の立場を知っているのですが、人として本件とどう向き合っているかについては測れずにいます。

 この鑑定では、「加害者ではないが、責任の位置に置かれた人物」が、今後どう変化していくのかを尋ねました。

🕯解釈:自覚なき責任の、その先に

ポジション意味
現在の立場・心理責任の形骸化、コントロールの放棄
事故への向き合い方誤認、不安、真実に対する無意識の回避
今後の動き計画、選択肢、次の手を模索する
周囲からの評価亀裂、信頼の喪失
最終的な行く末転機、因果の巡り、運命の節目

 最初に出たのは、本来あるべき責任感や統率力がうまく機能していない状態を映し出すものでした。

 ですので、「自分のせいではない」「やるべきことはやった」というような、形式的、かつ、本件と意識的に距離をとったものと推察します。

 続いて浮かび上がったのは、物事の本質から目を背け、曖昧さの中にとどまろうとする感覚でした。誤解や不安、現実の重みに対し、いまだ向き合いきれていない様子がうかがえます。

 一方で、未来の兆しに「このままではいけない」という選択の気配も感じられます。
 行動を起こす、または何かを決断する転機が迫っているように見えました。

 対人関係においては「信頼の揺らぎ」や「すれ違い」が既に起きており、それら関係性の修復は困難な位置まで来ていることが読み取れます。

 最終的に示されたのは、必然の転換点、時間と因果の巡り合わせです。

 すぐに何が起こるというわけではないものの、あるべき時に、あるべき変化が訪れる。
 これにより、本人が何を見て、何を失い、何を選ぶのかは、その瞬間に試されることになるものと考えられます。

🌙問いを残す

 私はこの人物に対し、「不誠実」と決めつけるつもりはありません。

 しかしながら、事故後の対応から感じる温度差とズレに、引っかかりを覚えていることも事実です。それこそが、本鑑定の動機でもあります。

 鑑定結果から、「何も起きていないように見えるいま」が全てではないことを読みましたので、真偽はさておき、問いとしてこの記事に残します。

◆鑑定③:真相は明らかになるのか/報いは返るのか ― 因果という問いに、カードが答えるなら

 本件に関し、事実関係のすべてが明らかになっているわけではありません。この前提を踏まえ、どうしても気になる問いがあります。

 この事故の本当の姿は、いずれ明らかになるのか。

 そしてもし、関係者の中に意図して事実を歪めた存在がいるとすれば、その報いはどこかで返るのか。

 これらは加害者への処罰感情だけでなく、鑑定を通し”因果”に向き合って来たからこそ尋ねたい問いでもありました。

🔍真相は明らかになるか?

 曖昧さを排し、はっきりとした言葉や事実が提示されるカードが示されました。

 たとえ今は霧の中にあっても、然るべきタイミングで避けがたい事実が明るみに出る可能性が高い、と読むことができます。

 それは制度的なものなのか、それとも、偶然の結果なのかまではわかりませんが、いずれにせよ、真実を突きつける刃がもたらされるという強い暗示です。

🔍嘘をついているなら報いは返るのか?

 この問いに対し、「与えられるべき豊かさが失われていく」という答えが示されました。

 仮に誰かが事実を歪めているとすれば、その人物はやがて、人の情けや支えから遠ざかる可能性が高い。それは罰のように見えますが、「育まれぬ人生」としてじわじわ蝕まれていく。

 報いとは、何かを失うという形でやってくることもある―――そう語っているように見えました。

🌙まとめて問いを

 これらの問いについて、私は断定するために鑑定したわけではありません。
 単に、心にある引っかかりに形を与え、違和感を特定するために鑑定の力を借りたのです。

 ですので、本記事をご覧の皆さんが決めてください。どこまで信じるか。

◆結びにかえて ― 占いは真実を語るのか?

 ここまでご覧くださった方の中には、「占いでそんなことがわかるのか」と疑問を抱かれている方もいらっしゃるかもしれません。

 実際、鑑定を行った私自身も迷い、何度も疑いながら行いました。

 ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、私は行政書士であり、占い師でもあります。
 そして、本件においては事故の「被害者」でもあります。

 そのような私が占った結果ですので、客観性を欠く部分もあるかもしれません。

 けれど私は、どうしても知りたかったのです。

 「この違和感はどこから来ているのか」。
 そして、何を信じて生き直せばいいのだろうか――と。

🌙占いは、暴く道具ではなく、整えるための言葉

 占いは、真実を断定するものではありません。

 では何かといえば、“正解”を提示するのではなく、人が自分の心と向き合うための言葉の形を変えたものです。

 今回の鑑定についても、悪者を決めたいわけではありません。

 単に、起きたことに意味を与える言葉がほしかった。その言葉の輪郭を見つけるために、鑑定の力を借りただけなのです。

📖どこまで信じるかは、あなたが決めていい

 本記事を読み、信じられると感じる方もいれば、「所詮は占い」と思う方もいらっしゃるでしょう。どちらも正しいです。

 占いとは、信じるべきものではなく、使うものと考えています。

 ヒントになるなら使えば良いし、違和感があればそっと閉じれば良い。

 ただひとつだけ、この記事を通して伝えたかったことがあるとすれば──

「逃げた人にも、完結しない物語は残る」
「真実は、静かに、確かに、巡ってくる」

 私はそう信じ、生きていくつもりです。

 そして、この言葉が誰かの心に届いたとき、今回の鑑定が“意味のある問い”として成立するのかもしれません。

INFJ(提唱者型)のリアル|行政書士×発信者×感情重視人間の葛藤と生存戦略

当サイトの一部に広告を含みます。

「あなたはINFJです」

 そう診断され、納得する部分もあったが、すこし嫌になり、やや誇らしくなった。

 MBTIで言うところの“提唱者型”だった。一応、「希少型」とされているらしいが、SNSを見渡せばINFJだらけじゃないか。

 しかも、よく紹介されている特徴――「理想が高い」「共感性が強い」「静かに情熱を燃やす」――それ、本当に私のことなのか。実際は、そんなに綺麗なものではない。

 器用ではないし、人間関係でよく傷つき、いつも感じすぎて疲れる。

 けれど、この診断を機に、私は「自分がどういう人間で、どうやって生きていきたいか」をようやく言葉にできた気がしている。

 この記事では、行政書士として働きながら、発信活動をして、生きづらさと向き合ってきたINFJのリアルを記録します。

🟪 1. INFJ診断との出会いと違和感

 MBTIという言葉を初めて知ったのは、たしかTwitterだった。

 自己診断や16タイプ、INTJとかENFP、なにやら記号のようなものが飛び交い、はじめは正直、流行りの血液型占いの発展系くらいに思っていた。

 話のタネにと考え、試しに診断してみたら「INFJ」。結果に表示される“希少型”の文字に警戒心が首をもたげる。

 「理想主義者」「人の感情に敏感」「一人の時間が必要」「人のために動くけど、自分を守れない」
――書かれていることに思い当たるところはある。だが、なんだろうか。この居心地の悪さ。

 そんな中で最も刺さった言葉。それは、

「INFJは、“自分を理解してくれる人なんていない”と思いながらも、それでも“誰かが気づいてくれる”はずだと信じている」

 という点だった。嫌な感じだ。わかってほしいくせに、わかってほしくない。そんなめんどくさい性分…図星である。

🟪 2. 「わかる」と「いや、ちがう」のせめぎあい

 INFJの解説を読みながら、「わかる」と「そうじゃない」とがせめぎ合った。

「理想を追う」――わかる。しかし、理想を言語化できぬ時期のほうが長かった。
「人の感情に敏感」――わかる。けれど、そのせいで“見なかったことにする”癖もついた。
「独特の世界観がある」――わかる。だが、“人と違う”ことがそんなに誇れるものだろうか。

 これらを踏まえ、いまだに「INFJ」だと名乗ることが気恥ずかしい。

 希少型だからではない。理想があるからでもない。

 名前が与えられることで、世界が固定されるのが怖いのだと思う。

 しかしようやく、MBTIを通し「他人と自分は、前提からして異なる」ことを受け入れられるようになったのも事実だ。

🟩 3. INFJで行政書士?実際どうなの?

 「INFJに向いている職業」として、カウンセラーや作家、福祉系の仕事が挙げられていた。

 その点、私は行政書士という、どちらかといえば「制度」と「文書」を扱う、感情から遠い仕事を選んだ。

 書類作成に感情はいらない。条文と条文の間に気持ちを挟んでも、申請書類は通らない。

 むしろ感情を混ぜすぎると、非効率でミスが起きる世界だ。

 ――にもかかわらず、この仕事を選んだのは、“言葉で人を守れる”からだ。

 私にとって、契約書の一文と遺言のひと言、いずれも、人生の“痛み”や“願い”の置き換えである。書類を整えることは、誰かが不安を抱えていた場所に、小さな手すりを設けること。

 感情を語らず、感情に応えることができる。

 それがINFJとしての私に、ちょうどよかったのだと思う。

 ただ、制度の隙間に人がこぼれていくのを見ると、何もできなかった自分を責め、理想を掲げすぎて現実から乖離していると感じると、内省モードに入ってしまう。

 書類が完成しても、胸中ではいつも「これでよかったのか」と自問している。

 INFJは、“やるべきこと”と“やりたいこと”が一致しないとき、静かに自分を蝕んでいくところ、あると思う。

🟦 4. 感情を持ち込む仕事・持ち込めない発信

 私は、発信をしている。

 YouTubeやnote、ブログ、X――これらの媒体において、行政書士として情報を出すことも多いが、どちらかといえば、感情のほうがよく出ているのではないだろうか。

 正論は、検索すればすぐに見つかる。

 だが、それらが誰を救い、誰を置き去りにするのか、そういった部分を言葉で記録したかった。

 だから私は、あえて感情を持ち込んでいる。誰かの心にひっかかる言葉を届けるために。

 ただし、こうした行動はINFJにとって、結構リスクだったりもする。

 なぜなら、感情を曝け出すのと同時に、批判や無理解を浴びることになる。

 コメントひとつを何日も引きずるし、「どうせ本気じゃないんだろう」と向けられる冷めた目に、自分の信念ごと冷やされることもある。

 それでも私はやめなかったし、厳密には、辞められなかった。

 誰にも届かなくてもいいんだ。でも、誰かひとりにだけでも、「あなたの言葉があったから頑張れた」と思ってもらえる可能性があるうちは、それが続ける理由になる。

🟧 5. INFJにとっての“生きること=意味を問うこと”

 INFJはおそらく、「なぜそれをやるのか」と動機の部分を毎日考えるタイプだ。

 楽しいときでさえ、「この楽しさに意味はあるか」と不安になり、頑張っているときほど、「これは誰のためか」「本当に必要なのか」の問いが脳裏をよぎる。

 これは性分だ。自分でさえ、止められない。

 公私を問わず、常に意味を探す。それがINFJの“厄介さ”であり、“誠実さ”でもある。

 だから、目先の目標や数字、外部からの評価だけで続けることが難しい。その裏側に「なぜ、私はそれをするのか」の答えがなければ、先に心がすり減る。

 逆に言えば、「やる意味」を見つけたINFJはとんでもなく強い

 周りに理解されず、共感が得られなくても、「これは自分にとって意味がある」と確信すれば、淡々と、しかし確実に、そこに立ち続ける。

 私がいまも、行政書士であり、発信者としてここにいるのは、「制度や仕組みのなかに置き去りにされている誰か」に気づき、言葉の形を借りて手を差し出したいと願っているからだ。

🟨 6. INFJが稼ぐという矛盾と希望

 INFJが稼ぐこと。それは何だか、とてつもなく矛盾している気がする。

 自分本位にお金を受け取ることに罪悪感を抱き、値付けをすれば「本当に価値はあるのか」と不安に苛まれ、儲かると必ず、誰かを犠牲にしていないかと恐ろしくなる。

 正直なところ、金の話をする自分がいまだに好きになれない。

 しかしながら、生きるには金が要る。

 梅(愛犬)や善(愛鳥)の生活や治療、進学、事務所の維持についても、理想だけではどうにもならない。

 だから私は、「稼ぐ」という言葉に自分なりの意味を与えた。

 私にとって稼ぐとは、「誰かを支える手段を自分の手で持ち続ける」ことである。

 誰かの声を文章にして届け、制度を知らぬ誰かに安心を提供し、絶望する誰かの「何とかなる」に寄り添う。そうして人のそばに立ち続けるには、お金が必要だった。

 INFJという特性を持つ自分が、発信を通して対価を受け取る覚悟ができたのは、「全てに意味を与えた」からに他ならない。

 コンテンツを問わず、すべての言葉に、誰に向け、何のために発するかを毎回考えている。

 数字や再生回数に振り回されることもあったが、最終的な支えとなったのは、“意味を信じてくれた人”だ。

 そうして今、もう一度、「命と向き合う道」を選ぼうとしている。

命と向き合う道を選びたい理由

 愛鳥・善の治療を機に、“現場で命を支える”仕事に心が傾いた。

 獣医師にはなれない。時間と年齢を考えると、とてもじゃないが現実的とはいえない。

 しかし、愛玩動物看護師が国家資格になったことを知り、「今より一歩、近づけるかもしれない」と思った。

 もしかするとその職業は、お金になる仕事じゃないかもしれない。

 けれど、私にとって意味のある仕事だ。だからその意味を、言葉と稼ぎの両面から支えていきたい。

🟫 7. おわりに:私が提唱したいのは、たぶん「静かに生きる誇り」

 INFJという型がどれだけ私に当てはまるか。そんなことはどうでもいいのかもしれない。

 大切なのは、「どう名乗るか」ではない。「どう在りたいか」の一点だ。

 私は決して、好戦的とは言えない。声を張り、誰かを説得することに長けていない。

 だが、諦めずに目の前の誰かを見ていたい。「あなたの痛みに、私は気づいている」と伝えられる人間でいたい。

 それが私にとっての“提唱”なのかもしれない。

 声は小さくていい。泣こうが揺れようが、生き方は自分で選び続けたい。

 目の前の命を守ることに、制度と制度の間でこぼれる誰かの言葉に、ひとつひとつ、意味を与えながら。

 INFJというラベルに不満を抱く日もあった。けれどいま、こう思う。

 「私は、私でよかった」と。

 この思いにたどりつくために、この診断と発信、善との出会いをはじめ、すべてに意味があったのだと信じていたいのである。